Index Top 我が名は絶望――

第5節 命の輝き


 全身に、想像を絶する力が漲る。それは自分の制御できる許容量を、遥かに上回っていた。その力は、ミストの命を取り込んだ時の比ではない。だが、その代償として、自分が消滅していくような喪失感が身体を蝕む。ディスペアは自分の命が猛烈な勢いで削られていくのを感じていた。時間がない。
 ディスペアは硝子の剣を引き抜き――
 疾る。
 セインズの横を駆け抜けざまに、その身体を薙ぎ斬った。セインズは動かない。動けなない。ディスペアの動きは、セインズが捉えられる領域を凌駕している。
 ディスペアは足を止めた。急に止まったせいで、足元に薄い土煙が舞い上がる。振り返ると、セインズも振り向いたところだった。
「これは……。凄いね」
 セインズの驚嘆の声を聞きながら、ディスペアはその場に片膝をついた。意識を失うかと思うほどの目眩が襲ってくる。が、全身全霊を込めて踏みとどまった。ここで、気を失うわけにはいかない。
 その間に、セインズは白く輝く傷口に手を当て、
「治れ」
 呟く。
 が、傷に変化はない。
「治れ――!」
 再び呟くが、傷は治ろうとする気配すら見せなかった。さっきの一撃で、完全に命を絶ち斬られたのだろう。再生力を失った傷は、何をしても治らない。
 襲ってくる目眩と戦いながら、ディスペアは硝子の剣を振り上げた。
(持って、あと十秒……!)
 セインズは黒曜の剣を握り直し――
「十三剣技・十三斬鉄!」
 振り下ろされた硝子の剣を受け止めた。巨大な金属のぶつかるような音を立てて、セインズの足が数センチも地面にめり込む。
「く……!」
 セインズが歯を食いしばった。
 ディスペアは硝子の剣を握る手に、力を込める。
 ピシッ、と音を立てて、黒曜の刃に一本の亀裂が入った。それを始めに、二本、三本と亀裂が増えていく。持ち堪えられたのは、三秒にも満たなかった。
 黒曜の刃が粉々に砕け散る。黒い破片が飛び散り、虚空に溶けるように消失した。
 硝子の剣がセインズの右肩を捕らえる。セインズにそれを防ぐすべは残っていない。硝子の刃が、白い軌跡を残しながらセインズの身体を斜めに斬り裂いた。
「な――」
 セインズの顔に驚愕の色が浮かぶ。
 だが、ディスペアはそれを眺めている余裕などなかった。視界が霞み、何も考えられなくなっていく。しかし、ここで止まるわけにはいかない。
「十三剣技・零無限!」
 全感覚が消失するほどの、衝撃。
 硝子の剣を力の限り握り締め、ディスペアは声に出さずに吼えた。残像すら残さぬほどの速度で、ディスペアはセインズの周りを駆け抜ける。足元の地面が砕け、土煙が舞った。渦を描く土煙の中で、超音速の斬撃を全方向からセインズに撃ち込んでいく。
 光の塊と化した硝子の刃が、セインズの身体をずたずたに斬り裂いていった。それを止めるものは何もない。何も考えられぬまま、ディスペアは無茶苦茶に身体を動かす。技術も経験も関係ない。ひたすらに硝子の剣を動かし。
 やがて、自分が何をしているのかも分からなくなって――
 硝子の剣を動かす力も失い、ディスペアはその場に腰を落とした。硝子の剣に、生命力を限界寸前まで削り取られてしまったせいで、力は残っていない。硝子の剣を包んでいた純白の輝きは消えている。
「あ……あ……」
 呻きながら、ディスペアは視線を落とした。ようやく、頭が動き始める。
 目の前には、原型も留めぬまでに斬り刻まれたセインズの身体が散らばっていた。見ているうちに、身体の破片は乾いた土のように崩れていく。
 後には、千切れた白い長衣と、黒曜の剣の柄だけが残った。
 それきり、何も起こらない。
「………死ん、だな……」
 独りごちる。
 セインズは死んだ。命を絶ち斬られて、死んだ。
 復活することはない。
 ディスペアは右手で黒曜の剣の柄を拾い、その場に立ち上がった。たったそれだけの動作だというのに、息が乱れる。
「終わった、か……。いや、まだか……」
 呟きながら、ディスペアは視線を巡らせた。目当ての人物は見当たらない。戦いに巻き込まれないよう、どこかに隠れているのだろう。
「……フェレンゼ――!」
 ディスペアが呼びかけると、木々の陰からフェレンゼが姿を現した。戦いに巻き込まれないように、隠れていたらしい。両腕で、ミストを抱えている。
「どうやら、終わったようですね」
 周囲を見回しながら、フェレンゼは呟いた。
「まだ――終わりではない」
 言いながら、ディスペアは硝子の剣を杖にして、フェレンゼに近づいていく。消耗が酷く、身体に力が入らない。気を抜けば、倒れてしまうだろう。
「大丈夫ですか、ディスペア君!」
 フェレンゼが駆け寄ってくる。
「俺は大丈夫だ――」
 言いながら、ディスペアはミストを見つめた。目を瞑ったまま、動かない。硝子の剣に命を取り込まれて、死んでいるのだから当然だ。目を開けることはない。
 普通ならば……。
 ディスペアは足元の地面を指差した。
「フェレンゼ。ミストをそこに寝かせてくれ」
「え? どういう?」
「いいから……。俺の言う通りに、してくれ」
 息を切らせながら、告げる。
 腑に落ちない表情を見せながらも、フェレンゼはミストを地面に寝かせた。
「何をするつもりです?」
「借りたものを……返す」
 答えて、ディスペアは硝子の剣の切先をミストの胸に向ける。覚悟はできていた。思い残すことはない。これで、何もかもが終わる。
 ディスペアは硝子の剣をミストの胸に突き立てた。抵抗は感じない。
 最後の力を振り絞って、呟く。
「――剣よ、その刃で貫きし者に、我が命を与えよ……!」

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