Index Top 我が名は絶望――

第5節 魔法


「魔法……」
 ディスペアはその単語を噛み締めるように呟く。
 魔法――魔力と、媒介となるものを使い、自分が望む現象を限定範囲内で起こす方法である。この世界に生まれた人間は、例外なくその資質を持っている。その種類は、誰もが知っているものから、無名に等しいものまで百を超える。一人が扱うのは一種類。
 だが。
「俺は魔法が使えない」
「……はい?」
 ミストの顔からすっと表情が消えた。表情を構成する筋肉が弛緩している。
 ディスペアは再び言った。
「俺は魔法が使えない」
「………ほんと、なの?」
 ミストは驚きと疑いの入り混じった視線を向けてきた。思っていることは考えずとも分かる。魔法が使えないということが、信じられないのだろう。常識的に考えれば、魔法の資質を持たない人間など存在しない。だが、事実は事実だ。
「嘘を言ってどうする。俺は魔法が使えない。全くな――」
「……………」
 ミストは再び足を止める。
 数歩先に進んでから、ディスペアは振り返った。さっきも同じことをしたな、と感動もなく思い返しながら、動きを止めたミストを見やる。
 気持ちを静めるように深く瞬きしてから、ミストは訊いてきた。
「じゃあ、あなた――どうやって戦うのよ……?」
 傭兵や冒険者などの戦いに関わる人間は、大別して魔道士と戦士に分類できる。魔法を主体として戦う魔道士と、体術や武器術を主体として戦う戦士。だが、どちらにしても魔法は戦いにおいての要だった。弱い相手ならともかく、相手がある程度強くなると、魔法なしで戦うことはできない。これは、常識以前のことである。しかし。
「魔法を使わずとも敵を倒す方法はある」
 相手を見返し、ディスペアは告げた。素人ならば、魔法なしで戦うのは無理と考えるだろう。だが、魔法を使わずに敵を倒す方法は実在する。
 ミストは腕組みをして、ぶつぶつと呟いた。
「確かに……さっきの酒場にいた人たちを、一分もかけずに倒しちゃったんだから、強いのは確かだけど……。そんな方法あるの?」
「分かりやすくに言えば、格闘術を極めることだ。魔法といえども所詮は戦闘技術のひとつに過ぎない。それを超える技術を用いれば、魔法なしでも相手を倒すことはできる」
「何か、拍子抜けね」
 がっかりしたように息をつく。もっと仰々しいものを想像していたらしい。しかし、戦闘の理論というのは、えてして他愛のないものである。
「言葉にすればどうということもない。が――これを実践するのは極めて難しい。それに、魔法を使わず魔法に対抗する方法は、格闘術だけじゃない。他にもある」
「何なの、それ?」
「例えば、だ。お前はどんな魔法を使う?」
 訊くと――ミストは上着の懐に手を入れ、数枚の札を取り出した。紙幣と同じくらいの形と大きさで、表面に複雑な文字のようなものが書かれている。
「あたしは、これを使うわ」
 ディスペアはその札を見つめた。
「呪符魔法か――。呪符を媒介とする即効型の魔法。一枚から十枚ほどの呪符を使って発動させる。高度なものになるほど、使う呪符の数が多い。発動させるごとに呪符は消耗し、手持ちの呪符がなくなると魔法が発動できなくなる」
 そう言うなり、ディスペアは一息にミストとの距離を詰めた。右手を閃かせる。音などしない。ミストは何が起こったか分からなかっただろう。
「簡潔に表せば、こういうことだ」
 言った時には、ディスペアの手に呪符の束が握られている。
 それを見て、ミストは目を丸くした。
「ええっ!」
 大袈裟な声を出しながら、懐に手を入れる。上着の内ポケットに呪符はない。右手の呪符もなくなっていた。一瞬の早業で、ディスペアが抜き取ったのである。
 心底感心したように、ミストは改めてディスペアの右手を見つめた。
「魔法はその効果の反面、どうしてもどこかに隙ができる。魔法と対抗するには、その隙を突けばいい。呪符魔法の場合は呪符を奪って、破り捨てる。分かりやすく言えば、魔法を使えなくすることだ」
 ミストに呪符を返しながら、ディスペアは説明する。誰でも考えつく理論。だが、先のものと同じように、実践するのは非常に難しい。戦闘で成功する可能性は高くない。
 懐に呪符を収めながら、ミストが興奮気味に呟いた。
「凄いのね。あなた――」
 だが、ディスペアはそれを否定するように腕を動かす。
「別に俺が凄いわけじゃない。お前が未熟過ぎるだけだ。今のように、あっさり呪符を盗まれるのは、魔法を使う者として失格だぞ」
「う……」
 顔を強張らせるミスト。一緒に、身体も強張る。
 それを眺めながら、ディスペアは続けた。
「どうやら――お前は、実戦経験がないようだな」
「………う、うん……」
 ミストが弱々しく肯定する。
 初めてその姿を見た時から、薄々察していたことではあった。ミストは実戦経験が皆無ということは。けんかもしたことないだろう。腰に差している剣や、持っている呪符の束、着ている防護服も、今の状態では飾りに等しい。
「人と戦った経験すらないのに、フルゲイトを手に入れようとするなんて。無謀と言うべきか、見上げた根性と言うべきか。おとなしく帰った方が身のためだと思うが」
「うるさいわね!」
 今度は頬を紅潮させて、ミストが叫ぶ。声の大きさに周りを歩いていた人間が、奇異の目線を向けてきた。それに気づき、ごまかすよう咳払いをしている。
 ミストの姿を眺めながら、ディスペアは吐息した。
「仕方ない。俺が教えてやる」
「教えて、って……。え?」
「戦い方の基本くらいは、俺が教えてやる。人並みに戦えるまでにはできないが、いくらかはましになるだろう。つけ焼刃でも、ないよりはましだ」
 相手を見据えたまま、腕組みをして呻く。ミストが今の技量で誰かと戦ったならば、ものの十秒と経たずに倒されてしまうだろう。それはぞっとしない。
 ミストはふっと渋い表情になった。
「お金、取るの?」
「いらない」
 そう告げて、再び歩き出す。
 遅れて歩き出しながら、ミストは意外そうに笑ってみせた。
「――あなたって、見かけによらずお人好しなのね」
「………」
 ディスペアは何も言わなかった。

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