Index Top 我が名は絶望――

第2節 訪ねてきた少女


「ねえ……」
 と、声をかけられ、ディスペアは食事の手を止める。
 声のした方向に視線を動かすと、そこに赤い服を着た少女が立っていた。さきほど、店の主人と何か話していた少女である。騒がしかったので一瞥したが、興味もなかったので話の内容は聞いていない。
「何か用か?」
 問いかけると、少女は硬い表情で息を呑んだ。初めて自分に話しかける人間というのは、なぜか大抵がこのように緊張している。気にはしないが。
「ええ。あなたに話がるんだけど。あ……。あたしはミストよ。よろしく」
「俺はディスペア」
 相手の自己紹介に対して、ディスペアは自分の名を告げた。
「話って何だ?」
 相手を見据えて、先を促す。
 緊張は残したまま、ミストは店内を見回した。テーブルはひっくり返り、食器や料理も散らばった店内。あちこちに人が倒れている。一人主人がモップで掃除をしていた。店の中を小さな竜巻が通り抜ければ、このような状態になるだろう。
 ディスペアが店内に目を向けると、ミストがおずおずと言ってくる。
「さっき聞いたんだけど……。あなた、ここにいる全員を一人で倒したんでしょ」
「ああ」
 野菜と鶏肉のス―プを口に運びつつ、ディスペアは答えた。別に隠すほどのことでもない。ミストが現れる前に、自分がここにいる全員を叩き伏せた。
 ミストは恐る恐るといった調子で、
「一体、どうしてそんなことしたの?」
「ふむ?」
 口の中のス―プを飲み込み、ディスペアはミストを見やった。それから、近くに倒れている男を指差す。安物の軽鎧を着た黒髪の男。ミストもその男に目を向ける。
「そいつが……」
 と言いかけてから、ディスペアは口ごもった。眉間にしわを寄せ、近くの曲剣を腰に差した赤毛の男に指を移す。よく見ていなかったため、誰だったか思い出せない。
「こいつだったか……? まあ、誰だか忘れたが、俺が食事をしている最中にいきなり絡んできたんだ。昼間から酒を飲んで、酔っぱらっていたらしい。それで、うるさいと追い払ったら、いきなり殴りかかってきた」
 そこまで言うと、顎に手を当てる。
「それで、反射的に突き飛ばしてしまったんだが、どうやら力を入れすぎたらしくてな。そいつは派手に吹き飛んで、そこのテーブルに突っ込んだんだ。そしたら、今度はそのテーブルにいた奴らとけんかになって、なし崩しに周りを巻き込んだ乱闘になって――」
 話を聞いていたミストの顔が、引きつった。
 ディスペアは続ける。コップの水を一口飲んでから、
「放っておいてもよかったんだが、騒がしいから全員黙らせた。さほど力は入れていないから、さして怪我はしてないだろう」
「力は入れていない……って、強いのね、あなた」
「弱い」
 ディスペアは即答した。目を伏せて、
「俺はまだ、弱い」
「………。十分強いと思うけど」
 いくらかの間を挟んでミストが言ってくる。どことなく疲れた表情からすると、どうやら呆れているらしい。なぜ呆れているかは、分からない。
 ともあれ、ミストは話を切り替えるように手を動かした。今度は、期待を湛えた視線を向けてくる。やや興奮した声で、
「ところでさ――。こんな場所にいるんだから、あなたっていわゆる傭兵でしょ? あたし、あなたに仕事を頼みたいんだけど。いい? 報酬は弾むわよ」
 そう言って、肩に掛けた鞄を叩いた。その中に、金がしまってあるらしい。
「話を聞こう」
 その言葉を聞いて、ミストは隣の椅子に座り、鞄を横に下ろす。それから、内緒話でもするような小さな声で言ってきた。
「単刀直入に言うけど……。実はあたし、フルゲイトを探してるのよ」
「フルゲイト……」
 白い眉を動かし、ディスペアは口の中でその名を繰り返した。
 フルゲイトの名前は、何度となく耳にしている。
 それは、約六百年前に偶然によって生み出された、極めて高度な魔法原理だ。現在でもこれを超える魔法原理は存在しない。しかし、実験の失敗から発生した暴走により、その魔法原理は消失してしまった。一般にはそう伝わっている。単にフルゲイトと言えば、魔法原理そのものから、原理を用いて作られた遺産の類まで、広い意味を持つ。
 現在でも、冒険者や発掘屋、考古学者など、フルゲイトを探す者は多い。
 食事を再開しつつ、ディスペアは告げた。
「無駄だ。やめておけ――。今まで何百人もの人間がフルゲイトを探しているが、見つけた奴は一人としていない。あれは探そうとして見つかるようなものではない。お前のような素人ならなおさらだ」
「そうだけど……」
 ミストは不服そうに眉を斜めにした。自分の力だけでフルゲイトを見つけることはできないという自覚はあるらしい。しかし、何か秘策でもあるのだろう。
 含みを持った声で、言ってくる。
「今、フルゲイトを探している人はいるでしょ?」
「ああ。いるな」
 食事の手を休めて、ディスペアは天井を見上げた。噂は何度か耳にしている。最近、フルゲイトを探す発掘隊が結成された、と。
「クロウ・ガンドの発掘隊」
 独り言のように、ミストが呟く。
「ハロッツ魔法研究所の所長クロウ・ガンドが結成した発掘隊よ。あいつらは、フルゲイトの在り処を示した文献を持っている。きっとフルゲイトを見つけるわ」
「あてにはならないな」
 ミストから目を離し、ディスペアは呻いた。
「フルゲイトの遺産を探す発掘隊は今まで何度も結成されている。その多くが、フルゲイトの在り処を示した文献を持っていると自称していた。だが、フルゲイトを発見した発掘隊はひとつとしてない」
「でも、今まで見つからなかったからって、今回も見つからないとは限らないわよ」
 瞳に強い意志を湛えて、ミストは言い返してくる。
 言っていることは正しい。過去の結果と、現在の結果は関係がない。今までが失敗でも今回も失敗とは限らないのだ。逆に、今回が成功とも限らないのだが。
 ディスペアは目蓋を下げて、
「ようするに、お前は何をしたいんだ?」
 訊くと、ミストはぐっと拳を握った。熱い口調で答えてくる。
「あいつらより早くフルゲイトを見つけるのよ! 大昔に作られたものだから、今は誰のものでもないでしょ。あいつらが見つける前にあたしが見つければ、フルゲイトはあたしのものよ!」
「そうだな――」
 古い遺跡などから発掘されたものの多くは、基本的に誰の所有権も発生しない。発見した者が、所有権を行使できるのである。分かりやすく言えば、見つけた者勝ち。フルゲイトをミストが見つければ、ほぼ無条件でミストのものとなる。
 ディスペアは最後の一口を口に運んだ。
「それで、お前はフルゲイトを使って何をしたいんだ?」
「え……?」
 言葉に詰まるミスト。目が点になっている。そこまでは考えていなかったらしい。虚ろな視線をどこへとなく漂わせてから、一転して開き直ったように言い切った。
「その時に考えるわよ!」
「そうか」
 呟いてから、ディスペアはミストを見つめる。今まで言われたことを頭の中で繰り返して、短くまとめた。相手に向けた視線に力を込め、
「つまり、お前はフルゲイトを横取りしたいんだな。だが、自分一人では力不足。それで、発掘隊を出し抜くために俺の力を借りたい、と」
「うーん。言い方悪いけど、そういうことね――」
 気まずそうに笑いながら、ミストは頭をかいて、
「引き受けてくれる?」
 期待の眼差しを受け止め、ディスペアは瞑想するように目を閉じた。自分はこの依頼を引き受けるべきか否かを、考える。
 答えは半秒も経たずに出た。
 目を開き、それを口に出して告げる。
「分かった。引き受けよう」
「ありがとう」
 嬉しそうに笑い、ミストは鞄に手を伸ばす。
「じゃあ、報酬は――」
「言い値でいい」
 ディスペアはこともなげに言い放った。
 それを聞いたミストの顔が、固まる。言い値でいい、と言われたことが信じられないらしい。平坦な声音で、確認するように問いかけてきた。
「言い値って、いいの……?」
「構わない――。俺は傭兵ではないからな。金のために動いているわけではない。俺は、俺自身の目的のために動いている。金に興味はない」
「あ。そう……?」
 頷きながらも、ミストは釈然としない面持ちだった。言われたことの真意が分からないのだろう。分かってもらうこともない。
 気を取り直すように咳払いをして、ミストは椅子から立ち上がる。
「とにかく、早く出発しましょう」
「待て」
 ディスペアは静止するように手を上げた。
「フルゲイトを探しに行く前に、よる所がある」
「よる所?」
「ああ――。俺は今、知り合いに呼ばれている。俺はこれからそいつの所に行かなければならない。用事は小一時間で終わると思う。フルゲイトを探しに行くのは、その後になりそうだが。いいか?」
「……いいけど」
 ミストは不服そうに答えた。本心では、即座にフルゲイトを探しに行きたいのだろう。だが、下手に文句を言えば依頼を断られると考えたのか、反論はしてこなかった。
「それと、もうひとつ」
 言いながら、ディスペアは食べ終わった料理の食器に指を向ける。つられて、ミストも食器を見つめた。空の食器。野菜のかけらが、底に張りついている。
「これの代金、払ってくれないか? 俺は今、金を持っていない」
「……?」
 ミストの瞳に疑惑の光が浮かんだ。

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