Index Top 不条理な三日間

第6節 臨界点突破


(何だ――?)
 自分に向けられた銃口を見つめ、キリシは声に出さず自問する。何かが、明らかにおかしい。今まで感じたこともない奇妙な感触が、全身を包んでいた。これまでの激しい攻撃が全て嘘だったかのように、身体が軽い。
 引き金が引かれ、漆黒の弾丸が撃ち出される。
 キリシは左手に持った《杖》を一振りした。
 純白の輝きが――
 飛び来る物質破壊弾を呑み込み、広場を斬り裂く。空気が弾かれ、風斬り音が唸りを上げた。白光の激流は、ひび割れたアスファルトを砕き、広場の反対側にある林の木をなぎ倒す。光の通った跡には何も残っていない。
 飛び散ったアスファルトの破片が、辺りに降り注いだ。
 一転して訪れる静寂。
 寸前で光を避けたハーデスが、追い詰められた表情を見せる。
「もうここまで来たのか。予想以上に早い!」
「ふざけるな」
 愕然と叫ぶ陽炎。
 その言葉で、キリシはようやく自分の異変に気づいた。身体を包むように、炎のような純白の光が生まれている。《杖》の力によるものだろう。剣の力を移植した陽炎やチェイサーは術が使えるのだ。《杖》に触れた発動者である自分が使えてもおかしくはない。その強さはチェイサーをも上回っている。
 異変はそれだけではない。
 身体が再生を始めていた。破壊された組織が、壊れる過程を逆回しにするようにつながっていく。再生した皮膚には傷跡すら残っていない。右足と左腕のえぐられた部分、わき腹と胸に開いた穴。それらも見る間に塞がっていき、跡形もなく消える。
 さらに、失った右腕までも再生した。
 しかし、人間の腕ではない。元の腕よりも二回りほど大きく、皮膚は石膏のように白い。無骨な指先から伸びる爪は、刃物のような輝きを宿している。喩えるならば、白い悪魔の腕と言ったところだろう。
「そうか……」
 それを見て、キリシは悟った。《銀色の杖》の力を受け続ければ、そう遠くないうちに文字通りの怪物になる。自分はその怪物になりかけているのだ。
「逃げろ! もう俺たちの力でキリシを止めることはできない!」
 ハーデスが悲鳴にも似た声を上げる。
「ここまで来て、逃げられっかよ」
 やけ気味に言い捨てるなり、陽炎が斬りかかってきた。
 自分めがけて叩きつけられる大刀。キリシはその分厚い刃を、無造作に右手で受け止めた。そのまま苦もなく握り潰す。ばらばらに割れた金属の破片が地面に散らばった。
「―――!」
 陽炎は残った柄から手を離し、後ろに逃げる。
 が、凄まじいまでの速さで繰り出された《銀色の杖》が、斜め下から突き上げるようにその身体を斬り裂いていた。鮮血が飛び散る……僅かな時間すらなく、キリシの右手から放たれた《力》が叩き込まれる。
 壊れた人形のような格好で、陽炎は吹き飛ばされた。
 その行方も見届けず、キリシは走り出す。刹那だけ遅れて、自分がいた空間を数発の物質破壊弾が貫いていったが、それはどうでもいい。
 ティルカフィとルーが両腕をかざした。
「カオス・ブライト!」
 二人の呪文が重なる。強大な破壊力を生み出す合成術。だが、さきほどと同じ程度の威力ならば、真正面から直撃したところでかすり傷すら負わないだろう。
 だが、それ以前に術自体が発動しなかった。何も起こらない。
「失敗!」
 ルーは横にいたティルカフィをすぐさま突き飛ばす。反動で自分もその場を離れた。二人がいた場所を、キリシの爪が斜めに引き裂く。
 右腕を振った動きから、キリシはルーめがけて《杖》を突き出した。
 ルーは紙一重で刃を躱す。
 だが、その表情に絶望の色が映った。
 妖術による予知。次に起こる出来事を知ることができる。戦いにおいてそれは非常に有利なことだが、裏を返せば知ることしかできない。相手の動きが自分の反応速度を上回っていれば、避けることはできないのだ。
 撃ち出されるように伸びた右手が、ルーの首を鷲掴みにする。
 勢いよく身体をひねり、キリシはルーを視界の端に見えたハーデスに投げつけた。ハーデスは避けない。避けるわけにもいかないだろう。ハーデスはルーの身体を受け止め、横に放り投げる。
 だが、それは十分すぎるほどの隙だった。ハーデスが体勢を立て直す時には、キリシは《力》を込めた右腕を振りかぶり、密着するほどに間合いを詰めている。
 目の前に突きつけられるペイルストームの銃口。始めから、攻撃の瞬間にできる隙を狙っていたらしい。攻撃と防御は、同時にできない。
 しかし、キリシは止まらなかった。もとより、止まるつもりなどない。破壊衝動の命じるままに、右拳をハーデスの身体めがけて振り下ろす。
 ペイルストームの引き金が引かれ――
 カチ、という虚しい音だけが響いた。弾切れ。
 大地を揺るがし、ハーデスの身体が地面に沈む。あまりの衝撃に、周囲のアスファルトがめくれ上がった。手から離れたペイルストームが、高く跳ね飛ばされる。
 駄目押しとばかりに、キリシは《力》を込めた《杖》を叩きつけた。爆裂する純白の輝きが、アスファルトの破片ごと地面をえぐり飛ばす。いかに頑丈でもこの攻撃は耐えられないだろう。そこには深さ二メートル以上もある、火口のような大穴が穿たれた。
 穴の底に倒れたハーデスは、指ひとつ動かさない。
 キリシは《杖》を持ち上げた。夜の闇に溶けるように、光が消える。
 それから、緩慢な足取りで歩き出した。
 その先にはティルカフィがいる。恐怖の眼差しで、キリシを見つめていた。
「キリシさん……」
「逃げろ」
「え?」
 ティルカフィの肩が跳ねる。声をかけられるとは思っていなかったのだろう。
 構わず、キリシは続けた。足は止まらない。
「逃げろ。今ならまだ間に合う。逃げろ」
「で、でも……」
 弱々しくかぶりを振って、ティルカフィは数歩後退る。左手が、腰に差した剣の柄に触れた。キリシが持っていた片刃の剣。それを鞘から引き抜き、正眼に構える。
 その姿を眺めながら、キリシは語気を強めた。
「やめろ、無理だ。君一人の力じゃ、僕に傷をつけることもできない。早く逃げろ……! もう僕は駄目だ。手遅れだ。僕が完全に人間じゃなくなる前に、理性の欠片が残ってるうちに、君だけでもいいから逃げてくれ! 僕は、君を殺したくはない!」
「いえ。わたしは、逃げません」
 ティルカフィは力強く答える。
 その口調に、キリシは聞き覚えがあった。ティルカフィたちに、自分を殺してくれと頼んだ時の自分の口調である。自分が死ぬことを覚悟した声。
「君は、死ぬ気か!」
 キリシは目を剥いた。ティルカフィとの距離は徐々に縮まっていく。間合いは消えれば、自分は攻撃を仕掛けるだろう。そうなれば、ティルカフィの命はない。
「わたしはキリシさんを止めます!」
 言うが早いか、ティルカフィは剣を振り上げ斬りかかってきた。
「無理だ!」
 《杖》の一閃が、自分に向けられた刃を弾く。抵抗もなく、剣は横へと飛んでいった。暗闇に乾いた音が響く。
 ティルカフィは動きを止めた。
 キリシは《杖》を頭上に振り上げる――
「逃げろ! もう、僕は止まらない!」
 だが、ティルカフィは逃げなかった。無言でキリシを見つめている。恐怖に身体が硬直してしまったのか、それとも他に理由があるのか、動こうとする素振りすら見せない。
「―――!」
 無言の叫びとともに、《銀色の杖》が振り下ろされる。
 声は、前触れもなく聞こえた。

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