Index Top 不条理な三日間

第7節 解かれる誤解


 地面を蹴って、キリシは剣を振りかぶった。
 少女は動かない。何の構えもなく剣の刃を眺める。
(僕の技が通じるか?)
 袈裟懸けに剣を振り下ろしながら、キリシは自問した。
 自分の技量――三年前に半年ほど習った護身用の体術と剣術。それだけである。が、素人ならば十分に倒せる。ガルガス絡みのけんかで、実際に何人も倒していた。問題は、この少女が素人であるか。おそらく違う。何かしらの格闘術を身に付けているだろう。
 予想通り、少女は斜め後ろに退いて剣を躱してみせた。
「はッ!」
 腰から身体を回転させ、息吹を吐いて剣を跳ね上げる。斜め下からの斬撃を、少女は再び躱した。続く振り下ろしも、虚を突いて脇腹を狙った右拳も、難なく避けられる。
 キリシは後ろに跳んで、間合いを広げた。
(何だ……?)
 首筋の辺りが痒くなる。明らかにおかしい。自分の攻撃には、いくつも隙があった。攻撃を苦もなく避ける技量があれば、普通は反撃を放つ。しかし、反撃はない。反撃する素振りもない。なぜか、ただ避けるだけだ。
「あなたの攻撃は当らないわよ」
 静かな声が思考を中断させる。
 少女は右手を上げ、口の中で何かを呟き始めた。
 その姿に冷たい既視感を覚える。それは、呪文を唱えるティルカフィの姿だった。加えて、さっきの青白い光の矢と、凍った地面が脳裏をよぎる。これは……
「魔術か!」
 キリシは地面を蹴った。
 この少女はティルカフィと同じように魔術を使うことができる。今の魔術はおそらく攻撃用だ。その威力は想像がつかないが、呪文が完成すれば自分は倒されるだろう。
「―――!」
 無声の気合とともに、キリシは半ば無茶苦茶に剣を振るった。
 しかし、全く当らない。剣の軌道をあらかじめ知っているかのように、少女はことごとく閃く白刃を躱している。かする気配すらない。
 そして。
「エア・ブラスト」
 魔術が発動した。身体を貫く衝撃に、息が止まる。視界が弾み、浮遊感が身体を包んだ。手から剣が弾かれ、どこかへ飛んでいく。痛みは感じなかったが、自分が吹き飛ばされたことは知れた。
 背中から落下しながらも、辛うじて受身をとる。意識はなんとか保っていた。そのことに感謝しながら、後ろ腰に差したペイルストームを強引に引き抜く。
(この――!)
 勘に任せて、キリシは引き金を引いた。
 銃声。反動が腕を突き抜ける。何かが砕ける音。
 キリシは強引に身体を起こし、視界の端に映った少女に銃口を向けた。
「動くと、撃つ!」
「………」
 少女の動きが止まる。さすがに銃弾を避けることはできないだろう。
 肩で息をしながら、キリシはペイルストームを両手で握り直した。身体のあちこちが激しく痛む。どこかを怪我しているかもしれない。だが、それを気にしている余裕はない。
(僕に、人が撃てるか――?)
 両手に力を込め、キリシは胸中で呻いた。額に脂汗がにじむ。
 剣と銃、武器としての目的は同じだが、威力は全く違う。剣で人を殺すには相応の力と技術が必要だが、銃はただ狙って引き金を引くだけだ。普通の人間を殺人者に変える道具。自分は殺人者になれるか。
 答えは出ない。
 少女は表情ひとつ変えず、無言でキリシを見つめていた。必殺の威力を持つ武器を向けられ、何を考えているかは分からない。
 沈黙はどれくらい続いただろうか。
「どうしたんですかぁ?」
 場違いにのんびりした声が沈黙を破る。
 すぐには理解しかねたが、声はティルカフィのものだった。正面玄関のガラス扉を開けて、ふらふらと表に出てくる。今の騒ぎで目を覚ましてしまったらしい。
「ティルカフィ!」
 キリシと少女の叫びが重なった。
 その声に、ティルカフィが二人に目を向ける。すぐには事態が呑み込めなかったのだろう。一度ぱちくりと瞬きをした。それから、嬉しそうに微笑む。
「あ、ルーさん――。ずいぶん早かったですね。待ってましたよ。それに、キリシさんも。二人して何してるんですか?」
「………」
「………」
 固まった。
 二人は顔を見合わせる。
「そうか……。そういうことか」
「不毛な争いだったわね」
 キリシはペイルストームを下ろし、少女――ルーは嘆息して肩をすくめた。
 分かってしまえば、実に虚しい。ティルカフィは自分の仲間がやって来ると言っていた。ルーはその仲間。ティルカフィを探しにやって来て、キリシを敵だと勘違いして攻撃を仕掛けた。キリシもルーを敵だと勘違いして、今まで戦っていたのだ。
「キリシさん、何だかぼろぼろですね」
 近くまで歩いてきたティルカフィが、キリシの姿を見て呟く。
 キリシは崩れるようにその場に腰を落とし、ペイルストームを後ろ腰に差した。たったそれだけの動作で、身体中に痛みが走る。苦い笑みを浮かべて、
「色々とあってな……。ひとまず、治してくれないか?」
「ヒール・ライト」
 という声は、ティルカフィではなくルーのものだった。白い光の粒子が、キリシの身体に降り注ぐ。以前ティルカフィが使った魔術とは違うものらしいが、ともあれ痛みが消えた。少しおかしな感触が残っているものの、気になるほどでもない。
「誤解が解けたところでさっそくだけど――。あの二人、どうする?」
 言いながら、ルーは校庭に指を向ける。
 立ち上がりながら、キリシも校庭に目を向けた。
 校庭の中央では、ガルガスと獣人が元気に戦いを続けている。獣人は大刀を捨てて、今は単なる素手の殴り合いになっていた。ただ、獣人を包む青い輝きは消えていない。打撃とともに、青い光が爆ぜる。
「陽炎さん、ガルガスさん……」
 二人を見て、ティルカフィが自分の髪を撫でた。
 キリシは近くに落ちていた剣を拾い上げ、腰の鞘に収めた。ついでに、陽炎という名前を頭に刻み込んでおく。陽炎、獣人の名前。
 ルーは冷めた眼差しで獣人――陽炎を見つめ、
「ああなったら、陽炎は止まってくれないわよ。あの黒コートの男はあなたの仲間でしょ? 何とか説得して止められない?」
「いや」
 キリシは首を横に動かした。
「ガルガスも一度殴り合いを始めたら、相手を倒すまで止まらない。しかも、比喩抜きで拳銃の弾丸にも耐えられるくらい頑丈だから、まず倒されることはないぞ」
「どっちかが倒れるのを待ってたら夜が明けるわね……」
 と、一度夜空を見上げてから――
 ルーはさらりと提案する。
「二人まとめて吹き飛ばしましょう」
「え?」
 というティルカフィの声を残して。
 ルーは呪文を唱えながら、二人の方に歩いていった。

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