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第5節 予想外と想定内


 魔獣の右腕がチェインを弾き飛ばす。傷だらけの身体が紙くずのように宙を舞い、倉庫の壁を突き破って外へと放り出された。
 魔獣は低い唸り声を上げながら、寒月たちを見やる。
「こいつは、制御されていない魔獣だ……。放っておけば、無差別に暴れまわる。被害が出る前に、この場で消す。依存はないな」
「ありません」
 ヴィンセントはサングラスを外した。赤い双眸で魔獣を見つめながら、それを懐に収め、る。右手を上げと、黒い霧が収束し、手の中に大鎌が現れた。ただの大鎌ではない。妖術によって作り出された大鎌である。鋼鉄よりも硬く、斬れ味も高い。
「いくヨォ! トランス!」
 カラが身構える。それを合図としたように、全身から金色の獣毛が伸び、尻尾が生えた。耳が尖り、口がせり出し、牙が突き出す。身体は小さいが、人狼族随一の力を持つ金色の狼。その身体能力は、人間の十数倍になる。
「ぐおおおあああああっ!」
 魔獣が吼え、真紅の炎を吐き出す。
「空気よ、壁となれ!」
 ヴィンセントが左手をかざす。その先にある空気が壁となり、迫り来る炎を防いだ。妖術ではない。魔法である。ヴィンセントは妖魔ながら、魔法を操ることができるのだ。
 カラは横に走る。文字通り目にも留まらぬ速さで魔獣の左側に回りこんだ。右腕を弓のように引き絞り、跳躍する。矢のように突き出された拳が、魔獣の顔面をえぐった。
 反撃の爪を躱すように、カラが後退する。構えは崩さない。
 寒月は烈風と疾風を強く握り締め、
「その魔獣はお前らに任せた!」
 告げるなり、真後ろへと振り返った。壁際に佇む明日香に向かって叫ぶ。
「明日香! 急いで、こっちへ走れ!」
「へ?」
 半呼吸分の間を挟んで、明日香が戸惑いながらも走ってくる。
 寒月は二つの銃口を明日香の方に向けた。だが、狙いはその後ろの壁である。
「破壊弾!」
 連続して発射された弾丸が、壁を貫き、炸裂した。ばらばらに爆ぜ散る壁を見ながら、寒月は照準を左へと移動させる。壁が次々と粉砕されていき……
 入り口の所で銃撃を止めた。烈風、疾風を懐に収める。
「ようやく姿を現したな。ジャック・ファング」
 目付きを険しくして、寒月は呻いた。
 入り口の扉が倒れ、一人の男が姿を現している。ジャック・ファング。明日香の力を危険視しその命を狙う、特級執行者。
「ここまで接近すれば、いずれ気づかれる。ある程度は予想していたよ」
 外見年齢は二十代後半だろう。実年齢は知らない。肩まで伸ばした金髪に、青い瞳。表情からは、真面目さと冷静さが伺える。縁取りのある白い上着と白いズボンといういでたちで、右手に装飾のなされた直剣を、左手に四角形の盾を持っていた。両手の武具以外は、以前見た時と変わりはない。
「ヴィンセントとカラは、魔獣と戦うのに精一杯だ。こちらにかまけている余裕はない。君一人で、私に勝てるか?」
「勝つ――必要はないさ」
 ジャックの言葉に、寒月は言い返した。
「お前をここから退かせればいい。そのためには、ある程度の手傷を負わせるだけでいい。明日香を殺す余力がなくなったと悟れば、お前は逃げる」
「しかし、それだけの手傷を負わせることはできるか? 単純な力の差はもちろん、君は私が扱うジャッジも知らない」
「そうでもないぞ」
 不敵に微笑む。
「お前の使うジャッジは、見当がついている」
「ほう……」
 告げられて、ジャックの頬がぴくりと動いた。今の台詞がはったりか否かを考えて、はったりと考えたらしい。挑戦するような口調で言ってくる。
「なら言ってみろ」
「特性を持った物体の、実体化」
「―――!」
 ジャックの顔が引きつった。
 満足げにその表情を眺めながら、寒月はコートの襟を引っ張り、
「俺は人一倍勘がいいんでね。お前が昨日から俺たちを監視していることには気づいていた。どこにいるかは分からなかったが。その時、僅かだがジャッジの気配を感じた。お前が持っている剣と盾からも、同じ気配を感じる」
 一度口を閉じてから、再び口を開く。
「ここからは、当て推量なんだが……。特級執行者の力から推測するに、お前のジャッジで特性を持った物体を作り出せる数は三、四個が限界なんじゃないか。俺たちを監視するのに使ったのを引くと、あと二、三個だろう。今持っている武器は、何の特性もない、ただの武器なんじゃないか――?」
「…………」
 ジャックは何も言ってこない。
「図星、らしいな」
 寒月が呟くと、ジャックは目を閉じて深呼吸をした。
 今までの動揺が嘘だったかのような、落ち着いた面持ちで言ってくる。
「だが――それで私に勝てるというのは早計というものだな。一級である君と、特級である私の間には力という壁が存在する」
「だが――それで俺に勝てるというのは早計というものだな」
 ジャックの台詞を真似するように寒月は言った。左手をかざすように突き出す。この男を倒すには、殺す気で挑まねばならない。
「戦いは力だけじゃない。技術、精神力、武器、地理、運……あらゆる要素が絡んでくる。それが多ければ多いほど、強さは曖昧になっていく。紅――!」
「くれない?」
 明日香の呟きを聞きながら、寒月は意識を統一した。左手の中に、突如として黒鞘の刀が現れる。それを腰に差して、柄に手をかけ――
 冷たい氷のような刃が、空に解き放たれた。血に染まったような赤い刀身は、不気味でもあり、幻想的でもある。鏡のように研ぎ澄まされた刃は、一点の曇りも刃毀れもない。その刀は、まるで今しがた鍛え上げられたような姿を見せていた。
「無垢の煌き!」
 紅にジャッジの煌きを帯びるの見てから、寒月は一度だけ背後を振り返る。
 ヴィンセントとカラは、魔獣相手にそれなり食い下がっているようだった。魔獣の吐き出す炎や爪、牙をかいくぐり、魔法と大鎌、体術で着実に相手の身体を削っている。無傷というわけでもないようだが。
 寒月はジャックへと向き直り――
「俺たちも始める、か」
 言い終わるよりも早く、飛び出した。黒髪とコートが広がる。
 ジャックは盾を突き出した。盾で刀を受け止めて、その隙に剣で斬りかかるつもりだろう。単純だが、有効な戦法である。相手がどこにでもある刀なら。
 紅は、盾を斜めに斬り裂いた。抵抗すらないほど滑らかに。
 返す刀で、自分に向けられた剣も斬り落とす。
 寒月は座り込むほどに体勢を低くし、
「天翔流・水面斬り!」
 足を斬り相手を無力化させる技。だが、ジャックは紙一重で後ろに跳んだ。相手は特級執行者である。そうそう技が決まるものではない。
 体勢を立て直し、寒月は紅を構えた。
 後退しながら、ジャックは斬られた剣と盾を投げ捨てる。それらは、コンクリートの地面に落ちる前に消滅した。実体を支えている力を失ったのだろう。
「一級執行者最強という噂も、伊達ではないな」
 現れたのは、柄の長い大斧だった。一撃で木を斬り倒せそうな代物である。人間に扱えるようなものではないが、ジャックにとってはどうということもない。
 寒月は紅を構え、走った。
 強烈な踏み込みとともに、大斧が唸りを上げる。比喩抜きで木を斬り倒せそうななぎ払い。左から右に向かう斬撃を、寒月は跳躍して躱した。黒髪を尾のように引きながら空中で一回転して、
「旋風斬り!」
 ジャックの左肩を斬り、着地する。振り向くと、大斧が真上から振り下ろされたところだった。避けられない。寒月は左腕を持ち上げ。
「鋼鉄の護り!」
 巨大な金属がぶつかるような轟音が響く。
 寒月の左腕が、大斧を受け止めていた。痺れが身体に響いているが、腕に傷はできていない。腕を返して大斧を弾き、紅で分厚い刃を斬り飛ばす。
「六花咲!」
 寒月は右足を踏み出し、素早く紅を動かした。ジャックは後退して斬撃を躱すが、身体には細い創傷がいくつも刻まれる。
 だが、致命傷には遠い。
「どういうことだ――! ジャッジで肉体を硬化させただと! お前のジャッジは武器と連動するものではないのかA それにそのカタナ、私の武器を紙切れのように……!」
 斬られた大斧を見つめて、ジャックが呻く。寒月が重い斬撃を腕だけで受け止めたことと、その分厚い刃を苦もなく斬り捨てたことが信じられないのだろう。
「執行者や妖魔の悪い癖は、努力をしないことだ。ある程度の強さになったところで、満足してしまう。だが、俺は違う。どこまでも貪欲に強さを求める。今日まで、鍛錬や研鑽を欠かしたことはない。だから、俺は、強い!」
 言ってから、寒月は紅を鞘に納めた。左手で鞘を掴み、右手を紅の柄にかける。身体を前傾させ、ジャックを睨んだ。顔から表情が消える。
「俺はヴィンセントとカラを助けなけりゃならない。お前と悠長に戦ってる暇はないんだ。急いで終わらせるぞ。天翔流居合・一閃!」
 紅が鞘から抜き放たれ――
 寒月は地面に転がった。
「何だA」
 跳ね起きて、ジャックを見やる。
 その手には、子供の背丈ほどもある剣が握られていた。装飾のなされた金色の柄に、記号のような文字が刻まれた漆黒の両刃。だが、ただの剣ではない。
 その剣は抜き放たれた紅をすり抜け、寒月の胴を斬ったのだ。傷や痛みはないが、斬られた感触はしっかりと残っている。しかも、ごっそりと生命力も削り取られた。
「特級執行者を甘く見るなよ……!」
「――特性を持った武器か。半実体で、物体をすり抜ける。効果は、防御を無視して相手の生命力を削り取ることができる、といったところだな」
「残念ながら、ひとつ足りないな。この剣の名は、ドレイン――。斬った相手の力を削り取り、それを自分のものとすることができる」
「そりゃ、面白いな」
 寒月は紅を構え直した。不用意に敵の間合いには踏み込めない。ドレインの攻撃は防御できないし、斬られればジャックの体力を回復させてしまう。しかし、攻撃しないわけにはいかない。
「斬鉄の輝き!」
 寒月は紅を振りかぶった。
「飛燕刃!」
 その場で、袈裟懸けに振り下ろす。何かを感じてか、ジャックは横に跳んだ。しかし、遅い。ジャッジを帯びた不可視の刃がジャックの左腕をかすめ、後ろの扉を斬り裂く。鉄の扉が斜めに断たれて、地面に転がった。
「何だ……A 今のは!」
 動揺しながらも、ジャックが接近してくる。距離を置くと不利と感じたのだろう。
 同じように、寒月も間合いを詰めた。ただし、ジャックよりも速い。剣の間合いの内側へと、飛び込む。体当たりをするように。身体に密着しては、刃渡りのある剣を振るうことはできない。自分も同じだが……
「虎咬衝!」
 寒月は全身の筋肉を収縮させ、紅を突き出した。赤い刃が、ジャックの胸を貫通し、突き飛ばす。敵に密着して、突進の勢いを乗せて突きを放つ技だ。
 が、ドレインの刃が寒月の胸を削る。
「くっ」
 寒月は後退し、ジャックから距離を取った。ジャックの身体にできた傷は塞がり始めている。特級執行者だけに、回復も早い。
「天翔流――」
 呟きつつ、寒月は右手で紅を回転させた。空気を斬る音とともに、何十本もの不可視の刃が虚空に生まれる。目には見えないが、それははっきりと感じ取れた。
「竜巻斬り!」
 寒月は紅を突き出す。不可視の刃の群れが、竜巻のように折り重なり、ジャックに押し寄せた。ジャックはそれを何とか見切って躱したが。
「散!」
 刃が弾け、複雑な起動を描いて四方八方に飛び散る。その数は百を超えるだろう。特級執行者とはいえ、これを見切ることはできない。見えない刃が、アスファルトの地面を砕き、ジャックを斬り裂いた。白い上着が破れ、血が飛び散る。
「百烈衝!」
 この隙を逃す理由はない。剣の間合いに飛び込み、寒月は右腕を動かして立て続けに紅を突き出す。残像を残して空を斬る刃が、間断なくジャックの身体を貫いた。
 ドレインが動く前に。
 寒月は紅を鞘に納める。居合の体勢を作り――
「一閃!」
 解き放たれた刃が、ジャックの右腕を斬り落とし、右胸を斬り裂いた。ドレインが地面に落ちて消滅する。しかし、ジャックは身体を捻りながら後ろに跳んで斬撃の後半を避けていた。身体を両断するまでには至らない。
 追撃に移ろうとするが……
 痛みを感じて、寒月は視線を落とした。
 脇腹に、針のように細い深緑色の短剣が刺さっている。
「これ、は……?」
 短剣を抜いて呻くと、ジャックはか細い笑みを見せた。身体中から血が流れて、白い服を赤く染めている。紅による連続攻撃を受けたせいで、酷く消耗しているらしい。紅はただの何でも斬れる刀ではない。命を破壊する力を持つ。
「置き土産の、ヴェノムだ……。思いの外……手傷を負ったらしい……。君の力を過小評価していた……。これでは……明日香を捕らえることは、できそうにないな……。ここは退かせてもらう……」
「待て――」
 追おうとするが、思うように身体が動かない。
 ジャックは斬り落とされた右腕を拾い上げ、寒月に背を向けた。そのまま走り出し、建物の隙間に消える。三秒もせずに、気配も感じなくなった。
(ヴェノム……毒の短剣か。身動きが、取れない……!)
 心中で呻いて、寒月は膝をついた。
 もし自分が妖魔だったら、数秒もせずに死んでいただろう。幸運にも、ヴェノムの毒は執行者を殺すほどの力はないらしい。かといって、無事ではすまなかった。
 ヴィンセントたちに加勢することができない。
「明日香!」
 叫んで、寒月は紅を放り投げた。
 紅が明日香の前に刺さるのを見てから、アスファルトの地面に倒れる。

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