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第6節 来たる者達


 朝霧家から約五キロ離れた所に、小高い丘がある。
 その頂上に佇み、ジャックはポケットから白い箱を取り出した。煙草の箱である。指で角を叩くと、手品のように一本の煙草が飛び出してくる。それは、空中で一回転してジャックの口に収まった。箱をポケットに戻して、煙草の先に指をかざすと、ポッと音を立てて火がつく。
「チェインが部下を動かし、カンゲツ・クサナギが動いた。アスカ・アサギリはカンゲツに守られている。だが、私は何もしていない。出遅れたか……」
 透明な板を眺めながら、ジャックは呟いた。テレビ画面大の透明な板が宙に浮かんでいる。そこには、朝霧家の様子が写っていた。ジャッジを使って、遠くにあるものを望遠鏡のように拡大して、映像としているのである。
 黒い瓦屋根の上に、寒月が立っていた。執行者の身体能力は、獣をも超えてる。自分が半径一キロ以内に近づけば、それに気づいて何かの行動を起こすだろう。
「だが、出遅れたことはさしたることではない。最後に勝てばいい――」
 煙草の煙を吐き出し、ジャックは呟いた。
「現時点での最大の障害はカンゲツだな。私がアスカに近づけば、全力で抵抗してくるだろう。奴は愚か者だ。アスカの力の重大さを把握していない」
 明日香に眠っている力はとてつもないものである。世界を滅ぼしかねないほど。本来なら何かが起こる前に力を奪わなければならない。寒月はそれを守っている。
 明日香に迫るには、寒月を退けなければならない。
「奴は一級執行者の中でも最強と謳われてる。戦って勝てない相手ではないが、勝っても無事ではすまないな。目的を果たす力が残っているかどうか……」
 ジャックは吸い終わった煙草を吐き捨てた。赤い火を残した煙草は、地面に落ちる前に消滅する。ジャッジを使い塵にまで分解したのだ。
「あとは、チェインか」
 即時抹殺命令が出されている鎖の妖魔。単独行動を好む妖魔には珍しく、五十人近い部下を持っている。チェインも自分と同じように明日香を狙っていた。
 明日香を中心にして寒月とチェインと自分が三つ巴になっている。
 寒月は明日香に張りついている。自分は事の成り行きを見て、機会を狙う。となると、次に動くのはチェインだろう。
「チェインがカンゲツを引きつけている間に、私がアスカを奪う。作戦としては妥当だが、上手くいくだろうか……。ここはおとなしく、様子を見るべきでは?」
 自問しながら、ジャックはその場を離れた。
 宙に浮かんでいた透明な板が、消滅する。

         ▽                   △

 公園にあるベンチに座り、カラは呟いた。
「困ったネ。道に迷ったヨ」
 外見年齢十代前半の少女である。ただし、人間ではない。瞳の色は金色、長いオレンジ色の髪を背中に流している。着ているものは、丈の長い貫頭衣。だが、身体より一回り大きい。両手の裾を捲くり、腰の辺りを細い帯で縛っていた。服には、赤、青、緑の糸で幾何学的な模様が刺繍されている。故郷の民族衣装だ。靴は履いていない。
 手には、手書きの地図が握られていた。
 この辺り一帯を書いたものである。
「ある程度は、予想していましたけど」
 囁くように言って、ヴィンセントは夜空を見上げた。
 外見年齢にして、四十歳ほどの男。だが、やはり人間ではない。血のように赤い瞳、灰色の髪をオールバックにしている。夜闇のように黒いタキシードを一分の隙なく着こなし、裏地の赤い漆黒のマントを羽織っていた。
「市の位置までは分かったんですが。彼のいる場所は……」
 ヴィンセントの手には、一冊の地図帳が握られている。『初心者用関東一帯道路地図』と書かれた表紙に、関東地方のおおまかな地図が描かれていた。
 この地図を頼りに、大体の場所まではやって来たのだが。
「ワタシ、ひらがなは読めるケド、カンジはゼンゼンだヨ」
 手書きの地図を見ながら、カラが頭をかく。
「この『郵便局』って何て読むノ……? 『歯医者』って何て読むノ? 『交番』って『公園』って、『図書館』って? 『コンビニ』ってのは読めるケド」
 地図には、目的地までの道順が描かれていた。しかし、書いてある文字は全て漢字である。振り仮名は書かれていない。……読めない。
 ここまで来られた理由の半分は、地図帳に振り仮名が書いてあったからである。
「寒月殿は日本語を自在に操れますけど、僕たちは平仮名を読むのが精一杯ですからね。彼は僕たちが漢字を読めないこと、知っているのでしょうか?」
「タブン、知ってるヨ――。デモ、カンゲツって結構間が抜けてるからネ。きっと、書き忘れたんだと思うヨ」
 笑いながら、カラが答える。
「笑いごとではないのですが」
 呻きながら、ヴィンセントはマントを脱いだ。
「いっそ、空から調べましょうか?」
「それは駄目だヨ。カンゲツは誰にも見つからナイように来い、って言ってたヨ。敵はタクサンいるって。そいつらに、バレちゃ駄目だって」
「そういえば、言ってましたね」
 カラの指摘に、ヴィンセントは脱いだマントを身にまとう。敵は凶悪な上級妖魔とその部下数十人に、特級執行者まで。生半可な敵ではない。
 迂闊に動けば、自分たちの存在に感づかれてしまう。
「一級執行者である彼が僕たちに助けを求めるということは、非常に危機的な事態に陥っているということですね。必要な時までには見つかってはいけないということですか」
「デモ、カンゲツに会わないと駄目だヨネ」
「結局そこに行き当たるんですか」
 ヴィンセントはカラが持っている地図を受け取った。地図には公園らしき四角が三つ書かれている。自分たちがどこの公園にいるかは勘に頼るしかない。
「まずは……」
 地図に書かれた×印を示す。
「この目的地らしい『あさナントカ』まで行きましょう」
「場所は分からないケド。ま、何とかなるヨ」
 カラが気楽に付け足す。

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