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中編 不思議な少女


 時計は六時半を回っている。
「お料理できましタ」
 ルクはそう言いながら、サジムの前に料理を置いた。
 パン三枚とブラウンシチュー、辺りで取れた野草のサラダ。普通の料理と言えば普通の料理だが、久しぶりにまともな料理とも言える。最近はパンと肉野菜煮込みしか食べていなかった。
 サジムはスプーンでシチューをすくい、口の中に入れる。
 微かに甘味を帯びた塩味と旨味。
「うん。美味しいよ」
「それはよかっタです。これからもお料理頑張りマす」
 両手を握り締めて頷いているルク。嬉しそうに微笑んでみせた。最初は表情や感情も拙かったが、時間が経つにつれ感情なども分かりやすくなっている。今でも十分に拙いが。
「それにしても、先生には感謝しないとな。お礼の手紙を送っておこう」
 サジムはルクを見つめながら頷いた。
 掃除も洗濯も料理も、なかなの腕前である。書斎はきれいに掃除され、散らかっていた流し台も片付けられ、料理も作れて味もよい。身の回りの世話をする――まさに言葉通りの働きをしてくれていた。
「君は一体何を食べるんだ? ぼくはまだ聞いていなかったと思うけど。ここにある程度のものなら好きに食べていいけど」
 サラダを噛みながら、サジムは尋ねた。
 青い液体を人型にしたようなスライムの身体。濃い青色の髪と緑色の瞳。眼の部分は視覚を持つ組織なのだろう。服装は白いワンピースとサンダル。
 普通のスライムは微生物や朽ち葉を食べるらしいが、ルクは違うような気がした。しかし、普通に食事というのも想像できない。
「それでハお言葉に甘えさせて貰いまス。ちょっと待って下さいネ」
 ルクはそう言うなり、テーブルに水差しを乗せる。二リットルの水が入るガラスの器。以前贈り物として渡されたが、使わずにいたもの。
 次に、コンロの近くにあった調味料箱を持ってきた。箱を開けてから、砂糖を大雑把に大さじ五杯放り込む。続けて塩を小さじ一杯、香辛料を一降り。調味料箱を片付けてから、冷蔵庫から取り出した生卵をひとつ割り入れた。
「おいおい……」
 思わず呻くがルクは止まらない。
 さらに一リットル牛乳瓶の中身を全て注ぎ込み、泡立て器を用いてかなり大雑把にかき混ぜ始めた。攪拌される水差しの中身。
 ほどなく白い液体が出来上がる。
「できましタ」
「……呑むのか、それ?」
 頬を引きつらせ、サジムは尋ねた。サラダに伸ばしたフォークが止まる。
 砂糖、塩、香辛料、卵、牛乳の混合液。ちゃんと分量を計算すればそれなりに呑める味のものになるだろう。しかし、ルクは目分量で放り込んでいた。
 贔屓目に見ても美味しいとは思えないが、
「はい。これがワタシのご飯です」
 ルクは両手で水差しを掴み上げ、左手を腰に添える。
 縁に口を付け、水差しを傾けた。
 サジムが見守る中、中身を一気に飲み干していく。見る間に減っていく液体。ほどなく一リットルほどの白い液体がルクの体内へと消えた。
 トッ。
 軽い音を立てて、空の水差しがテーブルへと置かれる。
 ポケットから取り出したハンカチで口元を拭き、ルクは頭を下げた。
「ごちそうサまでした。ワタシは一日一食で大丈夫なので、次のご飯は明日ですネ。水分補給はこまめにしますケド」
「……それ、どうなってるんだ?」
 唾を飲み込み、サジムはルクを凝視する。
 白い液体が喉を通り過ぎていくのは見えた。しかし、人間でいう胃の辺りでどうなっているかは不明である。そのまま吸収しているのか、何か器官があるのか、いくつか想像出来るだけで確証はない。白い生地の向こう側。
 ルクはワンピースの裾を摘んで持ち上げる。太股辺りまで。
「見てみたいですカ? 見たいなら、どうぞ」
「遠慮します」
 きっぱりと告げるサジム。右手を顔の前で動かし、明確に拒否の態度を示す。
「そうですか。残念です」
 本当に残念そうに目蓋を下ろし、ルクは手を放した。裾が落ちる。 
 想像をかき立てるだけで、決して見たいとは思わない。食事時によろしくない光景が待っているのは、容易に考えつく。そこまで度胸はない。
 パンを一囓りしてから、サジムは別のことを口にした。話題を変えるように、
「君はどこで寝るつもり? ここにはベッドはぼくの分しかないけど、今から買ってくるわけにもいかないし、ベッド買う余裕もないし……どうしよう?」
 窓の外を指差す。
 今は六月なので日は高い。雨期特有の薄曇りで日差しは弱いが、晴れていればまだ外は明るいだろう。しかし、あと一時間程度で夜だった。
 いつもは十一時前に寝ている。
 ルクは頬に人差し指を当ててから、
「そうですネ。ワタシは寝るという概念がないのですガ、数時間くらいは身体を休めないといけませン。あのガラス瓶があれば大丈夫デス」
 指差しのたのは、台所の隅に片付けてあったガラス瓶だった。ルクが最初に入っていた容器である。確かに適当だろう。
 ルクは両腕を左右に振ってから、
「逆にベッドとかじゃ休めないですヨ」
「なら、大丈夫か」
 サジムは頷き、食事を再開した。


「ご主人サマ」
 サジムはふと頭を上げた。
 就寝前のワインを一杯飲んで、寝室のベッドに腰を下ろした時である。
 部屋のドアを開けてルクが入ってきた。
「どうした? 何かあったのか?」
 白い光がルクの姿を照らしている。
 天井で白い光を放つ光り石。水に浸けると光を放つ魔石の一種だった。最近ではロウソクやランプの代わりとして普及し始めている。
 ベッドと机と本棚だけの地味な部屋。元はこの見張り台隊長の部屋だったらしく、一人部屋にしてはやや広い。窓からは外の夜闇が差し込んでいた。日暮れ過ぎから霧雨が降り始めている。辺りは静かで、どこか幽霊の出そうな雰囲気。
 ベッドの傍らまで歩いてくるルク。そのまま、真顔で言ってきた。
「夜のご奉仕のお時間でス」
「はい?」
 眉根を寄せて訊き返す。意味が理解できなかった。
 ルクは腕組をしてから続ける。青緑色の眉を寄せた神妙な表情。
「住み込みの使用人に、ご主人サマ相手のエッチなご奉仕をする義務があるトは、ワタシ始めて知りましタ。ワタシ、人間じゃないですけど、頑張ってみまス」
「ナンだそれは? 聞いたことないけど」
 呆然としたまま、サジムは再び訊き返した。ルクの言っていることは理解できる。その程度の思考は働いていた。しかし、なぜそんな事を言い出すのか理解できない。
 一度きょとんとしてから、ルクは一冊の本を取り出す。
「イえ、この本に書いテありました」
『昼のメイド/夜の娼婦』
 サジムは無言のまま本を奪い取った。
 地味な表紙の分厚い新書。一部の人間にはかなり有名な官能小説である。細部まで細かく描写されていて、実用度は極めて高い。元ネタを知らなければ、実話と勘違いする人もいるかもしれないい。
「あと、この本トか、この本トカ」
 エッチなお姉さんは好きですか、図解女体の神秘、大人の保健体育、とらぶる☆まじしゃん、猫と仔ネコ、きゅーけつきな夜、妖霊と獣人の禁断の恋――。
「……ッ!」
 声にならぬ叫びとともに、サジムは本を全て奪い取った。
 手近にあった布を鷲づかみにしてから、その中に本を詰め込み縛り上げる。本束をベッドの下に放り込んで、大きく息を吐いた。これらは明日隠すことにする。ルクの手の届かない場所へとしまい込まないといけない。
「迂闊だった……」
 サジムは荒い呼吸を繰り返していた。
 不思議そうに瞬きしながらその様子を見つめるルク。
「ご主人サマ……? ワタシ、何かマズいことしてしまいましたカ?」
「こういうのは作り話だから本気にしないでくれ。別にえちぃことまでしてくれとは言わないから。普通に家事手伝ってくれればいい」
 明後日の方向を見つめながら、サジムは呻いた。顔が赤いのが自分でも分かる。一人暮らしが長かったため、この手の読み物を隠さなかったのは不手際だった。
「でも、ご主人サマ……」
 かすかな布擦れの音を立てて、ルクが一歩前に出る。
 視線を戻すと、どこか憂いを帯びたルクの顔が目あった。透明な緑色の瞳と、透き通った青い肌。座ったままのサジムの肩に右腕を回し、そっと左手を足の付け根に伸ばす。
「こっちは大きく……うーん。なってないですネ」
「この状況で反応するほど、ぼくは無節操じゃないから」
 サジムはルクの肩を掴み、立ち上がった。
 一緒に立ち上がり、残念そうに両手を下ろすルク。
「さ、これからぼくは寝るから君は自分の寝床に戻ってくれ」
 サジムはベッドに腰を下ろし、そう告げる。ルクが色々と気を遣ってくれるのは嬉しい。しかし、よく分からない冗談で睡眠を妨害されるのは正直嫌だった。
 それで素直に引き下がると思ったのだが――。
 ルクは辿々しく言ってきた。戸惑ったような口調。
「すみませン、ご主人サマ。あの、えト、こんなこと言うのも気が引けるのですガ――実はワタシ、こういうエッチなことに凄く興味があるんデス」
「はい?」
 余計に訳が分からなくなり、サジムは疑問符を浮かべる。収束に向かったと思ったのだが、一転しておかしな方向へと進み始めた。状況が呑み込めない。酒のせいで思考が鈍っているわけではない。
 しかし、ルクは一人で話を進めている。
「ワタシは半液体魔術生命体ですケド、人間並の知能もありまスし、女の子としての心もありまス。それで、ご主人サマのエッチな本読んでいたら、ワタシもご主人サマとエッチなことをしてみたくなっちゃいましタ」
「………」
 返答に困り、サジムは視線を泳がせていた。これからどうしていいのか分からない。無碍に追い返すわけにもいかないし、逆に受け入れるのもまずいだろう。思考力の鈍った頭で無理矢理考えるが、答えは出ない。
「これは、どうしろってんだよ」
「駄目ですカ?」
 屈託のない眼差しで見つめてくるルク。その真意がどこにあるのかは不明だった。本気で言っているのか、単純な夜伽の演技なのか、はたまた何かの冗談なのか。
「それは、先生があらかじめ仕組んだのか? それとも、君の独断?」
「ワタシは自分でこうすると決めましタ」
 顔を近づけながら、ルクが答える。ルクはそう言うが、フリアル先生の仕組んだことかもしれない。時々真顔で笑えない冗談を言う人だった。
「……どうするか?」
 自問していると、ルクの胸が目に入ってくる。ワンピースの生地を押し上げる大きな膨らみ。そして、襟元から覗く胸の谷間。
 十回転近く思考を動かしてから、サジムは諦めたように告げた。
「分かったよ、相手するから。でも、今回一回だけだぞ」
「ありがとうございまス、ご主人サマ」

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