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前編 恩師からの贈り物


「えっと、ナナ・フリアル……」
 サジムは荷物に張られた差出人の名前を読み上げた。
 シャツとズボンという簡素な部屋着の男である。年齢は二十代前半くらいで、身体は細い。絞られた体躯というわけでもなく、単純に痩せているだけだが。適当に伸ばした赤髪と茶色の瞳で、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた。
 テーブルに置かれた一抱えほどの木箱。
「先生?」
 荷物の差出人は師である老魔術師からだった。
 先生と言っても魔術を教えられているわけではない。五年前に教師として数学などを教えられていた。その時に随分と気に入られていて、今でも親交がある。
『我が愛弟子へ。相変わらず不摂生な生活をしているようなので、身の回りの世話をするものを送る。大事にしなさい。  ――フリアルより』
 手紙は簡潔にそう書かれていた。簡潔すぎて分かりにくいのは、昔からである。ただ、流しに山積みされた食器や最近の食生活を考えると、言いたいことは理解できる。
 しかし、分からない。
「世話をするもの?」
 サジムは自問しながら、箱の蓋を開けた。手紙の内容を考えるよりも送ってきたものを見る方が早いだろう。大体実物を見れば分かるのも、昔からだった。
「何だこれは?」
 箱に入っていたのは緩衝用の乾し珪藻と大きなガラス瓶だった。
 蓋には金属の留め具が付けられていて、中には液体が入っている。上が青く、底の方が赤い透明な液体。見るからに怪しげ。少なくとも口に入れるものではない。
 そして、紙が一枚。開いて見ると、短く一文。
『蓋を開け、中身の液体に髪の毛を一本放り込みなさい』
「……怪しい」
 眉根を寄せつつ、サジムは呻いた。
 とはいえ、フリアルは他人の迷惑になるようなことはしない。冗談好きな爺さんであるが、その行動にはきっちりと意味がある。
「でも、先生なら信用できるか」
 サジムは瓶の蓋を開けた。ゆらりと波紋の起こる液面。匂いはない。赤い髪の毛を一本抜いてから、それを液体に落とす。
 髪の毛が音もなく沈んでいき、消えた。溶けたらしい。
 見守ること数秒。
 液面が波打ち、青い液体が瓶から溢れた。零れているわけではない。容積自体が増えているのだ。青い液体がテーブルにこぼれ、そのまま一筋の流れとなって床へと落ちていく。まるで意思を持っているように。
「大丈夫か、これ……?」
 サジムは唾を呑んだ。軽率な行動をちょっと――いや、かなり後悔する。
 そうしているうちに、床に液体が全て落ちた。
 しかし、普通の水のように広がってはいない。床に溜まった一抱えほどの丸い液体。大きな丸い水滴を思わせる形状で、中心部に赤い球体があった。
「スライム?」
 大きさは明らかに違うが、それはスライムだった。濁った沼などで時々見かける原生生物。普通は握り拳よりも小さく、緩慢に動きながら微生物を補食する。
 だが、これは普通のスライムではない。
 ぐにゃりと全体が揺らぎ、縦へと伸びた。人の背丈ほどの高さになり、人型へと近づいていく。横に伸びていく二本の腕。そのまま足が別れ、顔立ちが作られ、平坦な身体に凹凸が生まれ、十秒ほどで人間に近い形状へと変化した。
「――何なんだ?」
 サジムは誰へとなく問いかける。八割方止まった思考。
 それは、青い女だった。見た目の年齢は二十歳ほどだろう。身長は百六十センチ強で、背中の中程まで伸びた髪と、女性特有の凹凸のある身体。もっとも、マネキンのようで作り物っぽい。全身が透明な青い液体でできていて、うっすらと向こう側が透けて見える。髪の部分は青緑で色合いが濃い。
 胸の中にある手の平大の赤い球体は核だろう。
 女はゆっくりと目蓋を開けた。緑色の瞳でサジムを見つめる。ジト目のような、感情の薄い眼差しだった。口を動かし、声を出す。
「あなたが、ワタシのご主人サマですか?」
「そうなのか?」
 逆に訊き返すサジム。
「アナタは、ご主人サマの匂いがします。だからワタシのご主人サマです。はじめましテ。ワタシは液状魔術生命体のルクです、よろしク」
 棒読みめいた口調で答えてから、ルクは箱に手を入れた。
 一体どこに隠してあったのか、箱から白い布を取出す。広げると無地のワンピースだった。半袖で膝丈、ポケットがひとつ付いている。頭から被るようにワンピースを着込み、両腕を順番に袖に通した。両手を首の後ろに通して髪を襟から出し、首を左右に振って髪を散らす。人間ではないのだが、まるで人間のような仕草だった。
 ルクは再び箱に手を入れ、今度は室内用の上履きを取り出す。それを両足に履いてから気を付けの姿勢を取った。丁寧にお辞儀をする。
「というわけで、ご命令をどうゾ。ご主人サマ」
「……命令って」
 止まっている思考を無理矢理動かす。
 サジムは何度か頭を空回りしてから最初に浮かんだ疑問を口にした。
「君、そもそも何なんだ? 答えてくれ」
「ワタシはフリアル先生に作られタ半液体魔術生命体です。平たく言えば、人間並の知能を持ったスライムですネ。ご主人サマのために働くように作られていマス。でも、そんなに思考の応用は利きませンので、無茶な命令は困りまス」
 読み上げるように答えるルク。感情の込められていない、淡泊な口調。人間のような複雑な感情がないかもしれない。単純に感情表現が苦手なのかもしれない。
「ともあれ、言いたいことは分かったよ」
 フリアルの手紙に書いてあった、身の回りの世話をするもの。それが彼女らしい。
「でも……相変わらず妙な仕事してるな。先生」
 サジムは腕組みをした。研究の副産物を改造したものだろう。
 その独り言には構わず、ルクが歩き出す。普通の人間のように手足を動かしていた。テーブルの横を通りサジムの隣にやってくると、右手を差し出す。手の平を上に向けて。青い半透明の手で、床が薄く透けていた。
「百見は一触にしかずでス。触ってみて下さイ」
 言われるままに、サジムはその手に触れた。
 人間のような肌ではなく、滑らかな感触。弾力のあるガラスという表現だろうか。奇妙ではあるが、決して気持ちの悪いものではない。不思議と骨の入ってる感触がある。骨格っぽい部分を確かめるように弄っていると、ルクが口を開いた。
「身体の内部には組織を硬質化させた骨がありまス。そのおかげで、内骨格生物のような動きが可能デス。骨とは違うので弾力も強いですケド」
「ふむ」
 意外と仕組みは複雑らしい。
「ちなみに、ワタシはゼリーみたいで美味しいですヨ」
「……え?」
 付け足した一言に、サジムは顔を上げた。疑問符を見せる。
「むー」
 ルクは目を逸らして口元をしかめた。反応が不満だったらしい。
 しかし、すぐに表情を戻してから、腕を引き後ろに一歩下がる。
「というわけで、ご主人サマ、ご命令をどうぞ。炊事洗濯掃除からマッサージ、さらには演劇やダンスまで色々できると思いまス。出来なかったらごめんなさイ」
 自信があるようでない台詞。本人も自分がどこまでできるか知らないらしい。
 無茶なことをさせなければ問題ない、とサジムは推測した。一般的な家事をやらせるのは大丈夫だろう。何もできないものを送ってくる理由もない。
「じゃ、ぼくの書斎の掃除やってもらうかな」
「分かりましタ。一生懸命頑張りまス。期待してイて下さい」
 返事をするルク。気合いを示すようにぐっと拳を握ってみせる。
 サジムは椅子から立ち上がり、台所を出た。
 古ぼけた廊下を歩いていく。この辺りの家は大抵木造りだが、ここは煉瓦造りだった。煉瓦の中には竹の芯が通されていて、壁の強度を高めている。
 ルクは珍しげに壁に触れていた。 
「ここ、ご主人サマのお家でしょウか?」
「借り家だけどね。街外れにある見張り台。昔は兵士の詰め所に使われてたらしい。今はそれをぼくが借りてる。家賃も手頃だし掘出し物件だと思う」
 生活が苦しかった頃、友人に住まいの相談したら、その師匠とやらの紹介でこの詰め所に放り込まれる。最初は不満だったが、片付けをしてみると意外と快適な場所であると気づいた。それが二年前である。
 ほどなく、書斎にたどり着いた。
 重い樫のドアを開ける。
「散らかってますネ」
 部屋を眺めてから、ルクが呟いた。
 床に散らばっているのはメモ帳の切れ端や埃、紙くず。食べ物の欠片までは落ちていないが、お世辞にもきれいとは言えない。片付けをしなければいけないと思いつつ、つい先送りにしてしまうのだ。
「ご主人サマは小説家さんでしょうカ?」
 ルクがそんなことを訊いてくる。壁際に並んだ本棚と、奥の机に散らばった原稿用紙。それを見つめる感情の薄い緑色の瞳。
「まだ駆け出しだけどね」
 サジムは苦笑した。苦笑いの中に自信を宿した微笑。
 商業作家となってから早三年。最初は生活も苦しかったものの、今は月刊誌で連載もしていてそれなりに生活できるほどの収入を得ている。
 散らかった部屋を示し、サジムは尋ねた。
「埃を掃き取ってから紙とかを捨てて、本を隅っこの棚に載せておくだけだけど、できるか? そんなに難しいことじゃないし」
「大丈夫デス。任せてくださイ」
 敬礼とともに、どこか棒読みで答えるルク。

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