Index Top 第3話 主従の約束

第3章 服従の証し


 一ノ葉は初馬と赤い帯を交互に見つめてから、低い声音で呟いた。
「どう見ても首輪だが?」
「チョーカーだと言っている」
 初馬は再び告げる。自身に満ちた口調で。
 知り合いの術具職人に頼んで作ってもらったチョーカー。頑丈な鞣革とチタンのバックルで作られた特注品。さらに防御用術式まで組み込んだ強固な代物である。値段は七万円もしたが、よい買い物をしたと思う。
 今度は無言のまま考え込む一ノ葉。五秒ほどだろう。一人納得したように頷いてから、無造作にチョーカーをゴミ箱へと放り投げた。紙くずでも捨てるように。
「………!」
 痛みを無視して飛び上がる初馬。空中でチョーカーを掴み止め、受け身も取れず床に落下する。重いものの落ちる音が室内に響いた。
 傷の痛みに数秒歯を噛み締めてから、勢いよく起き上がる。
「人のプレゼントを無造作に捨てるな!」
「首輪などいらん。ワシは飼い犬ではないのだぞ」
 初馬を指差し、一ノ葉が呻いた。
 まるで首輪のような赤いチョーカー。実際首輪をイメージしてデザインしたのだから当然である。しかし、あくまでも赤い革製のチョーカーであり、首輪ではない。
 チョーカーを前に出しながら、初馬は言い切った。
「大丈夫だ、安心しろ。絶対に似合う」
「その首輪が似合うことは簡単に予想できるわ。だからこそ絶対に嫌だと言っている。何でワシが首輪など付けなければいけないのだ!」
 犬歯を見せて吠える一ノ葉。普通は怒るだろう。
 デザインを考えている時から、一ノ葉には怖いくらい似合う予想していた。実物と並べて見れば、絶対に似合うという確信がある。
「お前が俺の式神である証明」
 初馬はこともなげに告げた。
「俺が勝ったら俺を主人と認める約束だ。だけど、お前のことだから本心では従っていないかもしれない。だから、これは俺に従う証明。約束は守って貰うぞ? 使役者と式神の上下関係、これだけは式神使いとして絶対に譲れない」
「くっ……」
 奥歯を噛み締め、一ノ葉が呻く。
 やはり他人を主と認めるのは嫌なのだろう。だが、式神とは実戦で共に命のやり取りも行う相棒なのだ。上下関係はきっちりと教え込まなければならない。優しさや甘さで、命を落とすことは絶対に避けなければならない。
 初馬はベッドに座った一ノ葉に歩み寄り、
「覚悟はできた?」
「………」
 視線を横に逸らしたまま、返事はない。
 まがりなりにも式神、使役者と式神との関係は知っているはずだ。それが理解できないほど愚かでもない。抜けた所はあるものの、一ノ葉は非常に頭がいい。
 沈黙を肯定と解釈し、初馬は一ノ葉の首にチョーカーを持った右手を回した。
 一ノ葉は明後日の方向を見つめたまま、身じろぎもしない。表情も変えず、狐耳も尻尾も動かさない。注射される瞬間のような反応である。
 反対側から左手を回してチョーカーを掴み、赤い帯を首に巻き付けた。滑らかな髪の毛が手の甲を撫でる。そのまま首の正面でバックルを止めた。
 カチ、という微かな金属音。
 一度だけ狐耳と尻尾が動いた。
「これで、オッケイ」
 初馬は二歩後ろに下がり、満足げに頷く。首元に巻かれた赤いチョーカー。紺色のメイド服と合わせて、不気味とも言える調和を生み出していた。
 一ノ葉は怖々と首元に手をやり、チョーカーを撫でる。これが夢ではなく現実であることを確認するような仕草。狐耳を力無く垂らした。
「ふふ……。これでワシも人間の下僕なのか……」
 自虐的に微笑んでいる。
 今まで式神とは思えない強さを以て、人間に従うことを拒んできた。資料にはそう書いてある。もっとも、一ノ葉を作った一族はかなり強いので、力で従わせることは出来ただろう。だが、それはしなかったらしい。
 初馬は時計を見やった。
「と、まだ七時半にもなってないのか」
 普段なら修行などに時間を割かれてしまうのだが、今の状態では筋トレすらできない。面倒くさいと考えている修行も、無いと寂しいものだった。
 テレビはほとんど見ない。ネットに繋ぐ気にもなれない。あまり本は読まない。寝るには早すぎる。時間を潰す方法がない。そして、退屈は嫌いだった。
 初馬は部屋の中央でぐるりと回ってから、ベッドに向き直る。
「なあ、一ノ葉?」
 ベッドに座ったまま、落ち込んだように尻尾を弄っている一ノ葉。心持ちやつれたように見える。他人に従属することは、一種の自己の崩壊なのだろう。
 やや遅れから顔を上げた。
「……何だ?」
「夜のご奉仕を頼みたい」
 初馬の言葉にしばし考え込み、
「ご奉仕?」
 訝しげに訊き返してくる。虚を突かれたような表情からするに、単純に意味が分からなかったのだろう。考えるように狐耳を動かしていた。
 初馬は一ノ葉の隣に腰を下ろし、人差し指を立てた。
「古い言葉では夜伽と言うらしい」
「意味は分かった……」
 目蓋を落として呻く。
「貴様は相変わらずアホだな」
「病院じゃ九時就寝だったから九時になれば寝られるとは思うけど、まだ七時半くらいだし。今から寝るのはさすがに無理だ。だから、エッチなことして時間を潰そうと思って。幸い隣の人は午後十時くらいまで帰ってこないようだし」
「その論理展開が理解できない」
 真顔で言い切る初馬に、一ノ葉は冷めた口調で言い返した。
 自分でも奇妙なことを言っていると思うが、それは適当に無視する。
 初馬は一ノ葉の肩に右手を置いて、
「お約束とかそういうもので納得してくれ。返事は?」
「断る」
 そっぽを向いて即答する一ノ葉。これは予想通りの反応。
 しかし、それは顔に出さず初馬は尋ねた。
「しばらく俺の言うことは何でも聞くという約束じゃない?」
「それとこれとは話が別だ」
 視線を外したまま一ノ葉が答える。
 初馬は表情には出さずに不敵に微笑んだ。口元がひくりと動くものの、笑みは表情に出さない。ここまでは予想通りでである。
「それならこっちにも考えがある」
 そう言うなり、初馬は右手で一ノ葉の頭を押さえ、自分へと顔を向けさせた。その顔に浮かぶ戸惑い。何をされるのか悟ったわけではないだろう。
「待て――」
 言い切るよりも前に、初馬は自分の口で一ノ葉の口を塞いだ。
「んっ」
 唇に伝わってくる暖かく柔らかな感触。脈絡のない口付けに、焦げ茶色の目が見開かれる。驚きにぴんと立つ狐耳と尻尾。身体も硬直して、動くこともできない。
 伸ばされた尻尾がベッドに落ちるのを見てから、初馬は口を離した。
「……な、にを?」
 訊いてくる一ノ葉に、さきほどまでの元気はない。
 初馬は左手を一ノ葉の背中に両腕を回し、優しく抱き締める。恋人同士がするような抱擁。手の平に触れるエプロンの背紐。
 何か言おうと開け着かけた唇を、再び口付けで塞いだ。
「ん……」
 再び目を見開き、身体を強張らせ、狐耳と尻尾を立てる。
 しかし、それも数秒。そのまま目蓋を少し落とし、身体から力も抜き、尻尾もベッドへと落としていた。緊張していた身体から力が抜けていく。
 唇の感触をしばらく楽しんでから、初馬は一ノ葉の口に舌を差し入れた。
「ぅん……」
 一ノ葉の喉から漏れる小さな声。
 初馬が軽く舌を差し入れると、怖々と舐め返してくる。意識的に行っているものではなく、反射的なものなのだろう。最初はただ舌先を触れ合わせるだけのものが、次第に大胆な動きへと変わっていた。
「くんっ、ふぅ……」
 口の中へと伸びてきた舌を、初馬の舌が絡め取る。一ノ葉は恍惚とした表情で、目蓋を落としていた。光の消えた瞳。思考はまともに働いていないだろう。
 そのまま、お互いに舌を絡め合う。脳へと直接響いてくるような唾液の音。
「ぅんん……ん……」
 一ノ葉が肩に両腕を回してきた。
 初馬は空いていた右手を一ノ葉の腰へと伸ばす。口付けと舌技は止めない。紺色のワンピースを透過している尻尾。ぱたぱたと元気に動き回る尻尾を、無造作に掴んだ。
「!」
 全身が硬直し、目を見開く一ノ葉。舌の動きも止まる。
 初馬は右手を動かし尻尾を攻め始めた。尻尾の根本を緩く握り締めて上下に扱く。狐色の毛が手の平を撫で、痺れるような感触が腕を駆け上がっていた。
「っあぁ!」
 初馬の唇から口を離し、一ノ葉が甘い声をこぼす。虚ろな瞳のまま、背中を反らして舌を突き出した。左手で押さえていなければ、後ろに倒れていただろう。
 しかし、尻尾を攻めるのは止めない。
「あ、尻尾は……駄目、やめて……」
 初馬を抱き締める腕に力を込めて、一ノ葉が懇願してくる。尻尾は敏感な器官。キスとは比べものにならない感度だろう。
 初馬は素直に右手の動きを止めた。
 それで、糸が切れたように脱力する一ノ葉。前に倒れて、初馬の肩に身体を預ける。耳元で聞こえる荒い息遣い。肺の収縮に合わせて、肩が上下していた。
「よしよし」
 初馬は左手で一ノ葉の背中を抱え、右手で満足げに頭を撫でる。人間とは少し髪質の違う狐色の髪の毛。並の女性よりも艶やかだろう。
「口では文句を言っていても身体は正直だな」
 お約束めいた台詞を口にする。
「貴様はぁ……」
 恨みがましげに一ノ葉が唸っていた。しかし、腰が抜け手足が震えているせいで、身体に力が入らない。初馬に抱きついたまま動けないでいる。
 初馬の右手が右の狐耳を摘んだ。
「ッ!」
 一ノ葉の肩が跳ねる。尻尾と同じく、狐耳も敏感な器官。人間の耳とも比べものにならないほどに。親指と人差し指で優しくさすった。
「もう一度訊くけど、夜のご奉仕をお願いしたい。返事は?」
 初馬に抱きついたまま、嫌々をするように首を左右に動かす一ノ葉。しかし、逃げることもできず、耳攻めを甘受している。
「返事は?」
「断っても、無理矢理押し倒す気、だろうが……!」
 必死に虚勢を張り声を荒げる。しかし、拒否することはできなかった。拒否すれば素直に引くつもりだった。それでは、一ノ葉の疼きは収まらないだろう。
「そうなんだけどね」
 初馬は言い訳すらしない。
 両手で一ノ葉の肩を掴み後ろへと引き離す。
 ほんのり赤く染まった頬、上気した呼吸、どこか泣き出しそうな潤んだ瞳。思わず無茶苦茶に撫で回したくなるような扇情的な姿だった。
「どうする……気だ?」
 不安げな一ノ葉の呟き。
 初馬はそっと顔を近づけていった。
「あぁっ。また、キスは……駄目……っ」
 二人の唇が触れ合い、一ノ葉の声が途切れる。
 開かれていた焦げ茶の瞳に、淡い抵抗の光が灯った。しかし、それも一秒ほど。抵抗の光は消え、甘い陶酔の色が浮かんでくる。
 唾液の味を確かめるように、初馬の口を舐める一ノ葉。
 初馬は一ノ葉の背中に両腕を回して、優しく抱き締めた。それだけで、安心したように肩の力が抜ける。子供が飴を舐めるように、一ノ葉は両目を閉じて初馬の唇を一心に味わっていた。
「んんん……」
 喉から漏れる切なげな声音。
 初馬は一ノ葉を引き離した。
「ふ、あぁ……」
 泣きそうな瞳で、初馬を見つめる一ノ葉。緩く口を開けて、じっと初馬の唇を見つめている。目元に滲む涙。大事なお菓子を取り上げられた子供のような表情だった。
「卑怯者、この卑怯者が……」
「もう断ったりしないだろ?」
 そう告げるなり、初馬は一ノ葉を抱え上げてベッドに寝かせた。仰向けではなくうつ伏せ。まな板の鯉よろしく、抵抗もなく初馬のなすがままにされている。
「どうする、気だ……?」
「ふふン」
 初馬は不敵な微笑を浮かべ、そっと右手で尻尾の先端部を握り締めた。
 背筋を強張らせる一ノ葉。だが、逃げることもできない。
「まだまだ前哨戦だ。バテるなよ?」
 初馬は右手を上へと移動させる。それに従い、足へと投げ出されていた尻尾が、真上へと持ち上げる。狐色の毛に覆われたふさふさの尻尾。先端部の毛色はきれいな純白。初馬が握っているのは、色の境目あたりだった。
「何をする気だ……?」
 不安げな一ノ葉の瞳。
 初馬は左手を不気味に蠢かせながら、冷酷に告げる。
「まずは、じっくりと嬲るような尻尾攻め」
「貴様……ッ」
 一ノ葉の顔に恐怖が浮かんだ。

Back Top Next