Index Top 第3話 主従の約束

第1章 決闘


 生木を蹴ったような、重く鈍い音。
 伸ばした足に返ってくる、確かな手応え。
 初馬の右足が、一ノ葉の腹へと突き刺さっていた。瞬身の術の踏み込みから、全身の捻りと脚全体の筋肉を用いて放たれた蹴り。肉の重さと硬さがしっかりと伝わってきた。
 それも一瞬。
 悲鳴も上げずに一ノ葉が吹っ飛ぶ。十メートル近く宙を舞い、地面に叩き付けられ、二度跳ねる。だが、意識を刈り取るには至っていない。受け身を取るように転がってから、四つ足で立つ。大きく跳ねる尻尾。
「今のは効いた……。さすがは、白砂の跡取り」
 震える脚で何度か足踏みしてから、睨み付けてきた。咥内の血を横に吐き捨てる。血と泥で汚れた毛並み、焦げ茶の瞳に灯る殺気。
 街外れの空き地。最初に一ノ葉の封印を解いた場所である。
 初馬は持ち上げていた小太刀を下ろした。口元に浮かぶ苦い空笑い。
「間一髪……でもないか。まったく、予想以上の強さだ。こないだあのまま戦ってたら危なかったかもしれない、ホント。準備期間あってよかったよ」
 左胸から、左肩と左上腕に四本の創傷。焼けるような痛みと、流れ落ちる赤い血。前脚の爪から放たれた高速高圧の空気、鎌鼬の斬撃だった。
「痛い……。長くは持たないかな? そろそろ決めるぞ」
 右手で傷口の上辺りを撫でる。
 狙いは首筋だったが、蹴りと小太刀の防御で辛うじて軌道を逸らしていた。それでも術防御を施された鎖帷子を着込んでいなければ、傷は肺まで達していただろう。
「そうかい」
 一ノ葉が妖力を練り込む。口笛のような鳴き声。
 口を大きく開き――
 咥内から膨れ上がった蒼い狐火が、爆ぜた。百本以上もの蒼い槍と化して飛来する。狐火の槍。一発の威力はそれほどでもない。だが、この数。防がなければ危険だ。
 躊躇はない。初馬は全身に霊力を流し込む。鉄硬の術の防御。
 同時に右手を閃かせ、小太刀を投げ付けた。術による加速によって、回転しながら飛んでいく刃。当たれば無事では済まない。
「甘い……!」
 一ノ葉は横へと跳んで、小太刀を躱す。
 そして、目を見開いた。
「ッ!」
 その眉間に、全体重を乗せた踵が突き刺さる。骨が軋む、確かな手応え。
 真正面から槍の雨を突っ切り、縦回転の胴回し回転蹴り。七本の槍が、防御を貫いて身体に突き刺さっていた。一ノ葉の目眩ましを、逆に目眩ましとして使ったのである。半ば捨て身の賭けだったが――賭けには勝った。
 受け身も取れず、一ノ葉が地面へとめり込む。
 余力を全部絞り出したような一撃に、地面がえぐれた。緩く跳ね上がった一ノ葉に、もう意識は残っていない。白目を剥いたまま、気絶している。
 反動で跳ね返り、両足で着地する初馬。
「これで、トドメだ!」
 駄目押しとばかりに狐火の槍を振り下ろした。途中で捕まえてきた一本。
 蒼い槍が意識のない一ノ葉を貫く。腹から背中まで、硬度を持った炎が突き抜けた。一度激しく痙攣し、口から細い炎を吐き出す。肉の焼ける独特の匂い。
 妖力の支えを失い、狐火が消える。
 一ノ葉は力無く地面に伏していた。全身に打撲と創傷、骨折も数カ所、腹に焦げた穴が開いているが、これでも死なないのが人外である。
 初馬は荒い呼吸を繰り返していた。痛みが強すぎて、痛覚自体がろくに働いていない。全身から肉の焦げる臭いがしてる。
「決闘は、俺の勝ちだな……」
 一ノ葉に告げるように、短く呟いた。


 それから三日後の午後一時。
 街外れにある月ヶ池医院。表向きは普通の開業医だが、退魔師や人外の治療も行っている特殊な病院。秘密裏というわけではなく、この辺りでは有名である。見た目も普通の病院と変わらない。決闘の直後に一ノ葉を抱えて訪れた。
「お前、もう治ったのか?」
 初馬は病院から出てきた一ノ葉を見つめる。
 尻尾を揺らしながら、四つ足でとことこと歩いていた。全身に傷を負っていたはずなのに、今は元通りに回復している。むしろ、以前よりも健康そうだった。
「貴様はボロボロだな……。人間は傷の治りが遅いと聞いていたが、噂通りだな。それでも、病院から出られただけマシと言うべきか?」
 初馬の横を通り過ぎる。
 それに並ぶように初馬も歩き出した。露出している場所だけで、湿布が三箇所。服の下には、あちこち包帯が巻かれていた。一応動けるだけで、健康とは言い難い。心持ち身体もやつれている。
 応急処置を受けた後、初馬は院長の紹介で近くの市営病院に入院した。全身の重傷については適当な方便で誤魔化したらしい。一ノ葉はそのまま月ヶ池病院で入院。
 今日お互いに退院したのだが、回復量には大きな差があった。
「あの怪我だ……普通なら数ヶ月入院だろ。三日でここまで回復したのは、我ながら凄いと思うよ。回復の術って便利だな」
 頭を抑えて、呻いてみる。
 大学は一週間の休学を申し出ていた。怪我が目立ちすぎるため、完治するまでまともに出歩くこともできない。今は隠れ蓑の術を使って外出している。
 初馬は右腕を下ろし、微笑んだ。
「一週間前の約束覚えているよな?」
「一応、な……」
 一ノ葉の返事。正面を見つめたままの硬い口調。
 三日前の決闘よりもさらに五日前。初馬は一ノ葉に決闘を持ちかけた。一ノ葉が勝てば契約を白紙にして解放する。再び式神にすることも考えない。
「俺が勝てば、俺を主人と認める。ついでに、しばらく俺の言うことを何でも聞く。録音もしてあるから、今更とぼけても無駄だぞ? さっそく実行して貰うからな」
「ああ……」
 陰鬱に呻く一ノ葉。気分を表すように、尻尾が下がっている。
 二つ返事で了承して決闘を行い、初馬が勝った。街外れの空き地での二十分にも及ぶ激闘。あらかじめ父親とも相談してあり、病院への予約も付けておいたため、共倒れになることもなく治療を受けることができた。
 諦めたように、そして腹を括ったような吐息。一ノ葉が顔を向けてくる。
「要求は何だ?」
「まず俺を『ご主人様』と呼べ」
 初馬は真顔で告げた。きっぱりと、一分の迷いすらなく。
 十秒ほどの沈黙。
 諦観と覚悟を決めていても、実際に要求を突き付けられると躊躇が生じるらしい。視線を泳がせてから、一ノ葉は改めて訊いてくる。
「……で、要求は何だ?」
「まず俺を『ご主人様』と呼べ。次に『よろしくお願いします、ご主人様』と言え。聞こえない振りしてると、要求は無制限に増えていくぞ? 語尾に『コン♪』付けろとか」
 初馬は再び告げた。やはり、きっぱりと。
 一ノ葉の表情が引きつる。無視すれば増える要求。以前なら絶対に嫌だと拒否していただろう。しかし、決闘に敗れたことにより、反抗心はある程度削られていた。
 首を左右に振ってから、小声で呟く。
「ご、しゅじんさま……?」
「それから挨拶」
 初馬は笑顔で促した。
 しかし、一ノ葉は狐耳を伏せて尻尾を下ろし、無言のまま見つめてくるだけである。諦めと呆れと困惑と苛立ちの混じった奇妙な表情。叱られた子供のような、バツの悪そうな面持ち。気持ちは分からないでもない。だが、見逃す気もない。
 初馬は足を止めた。釣られて足を止める一ノ葉。
 その場にしゃがみ込み、初馬は一ノ葉の頭に手を乗せる。
「はい、どうぞ」
「………。よろしくお願いします、ご主人様」
 視線を逸らしたまま、棒読みで言ってくる一ノ葉。
「まあ、よろしい」
 初馬は一ノ葉の頭を撫でる。滑らかな狐色の獣毛。手の平に伝わってくる、非常に心地よい手触り。以前よりも毛並みが良くなっていた。
「あと丁寧語で話してくれ。ご主人様と呼ばれても、もいつものタメ口じゃバランス悪いからな。敬語喋れとは言わないけど、そんな雰囲気は出せるだろ?」
「はい……。分かり、ました」
 かなり嫌々と頷く一ノ葉。
 元々他人に命令されるのが嫌いな性格だ。しかし、罵声が飛んでこないことを考えると、随分と従順になったようである。
 ぽんぽんと頭を叩いてから、初馬は立ち上がった。
「じゃ、しばらく俺の世話を頼むぞ」
「世話?」
 訝る一ノ葉。
「そう、世話。退院はできたけど、まだ歩ける程度にしか回復してないんだから、身の回りの世話して欲しい。お前ももう二本足で走れる程度になったんだし。掃除洗濯しろとか無茶は言わないけどね」
 歩くことはできるが、走ると傷が染みるように痛む。体力もないため、一キロ歩くだけでバテてしまう。健康なら十キロくらいは簡単に走れたが、そこから考えればまだかなり衰弱しているだろう。
「世話か……」
 呻く一ノ葉。毎日の練習のおかげで、人間に化けても普通の人間と同じくらいに身体を使いこなせるようになっていた。
「分かりましたよ、ご主人様……」
 投遣りな言葉とともに、一ノ葉はかぶりを振ってみせる。

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