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前編 空を飛ぶ |
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窓から流れ込む風がカーテンを揺らす。 学生寮二階の自室。カイムはベッドに身体を預けたまま、窓の外を見つめていた。 白い寝間着を着込んだ、二十過ぎの男。短く切った焦げ茶色の髪と、痩せた体付き。 その右足はギプスで固定されていた。足首の骨に亀裂が走っている。魔術による治療を行っているので、一週間ほどで完治する予定だが、一週間はろくに歩けないということでもあった。 「成功から転落ってこういうこというのかな?」 自嘲的に足を見つめる。 カイムの研究は一人用の飛行機械の製作だ。一昨日、試作用飛行機械の飛行テストを実行し、念入りな準備のおかげで成功。ほぼ一時間の飛行を行った。それから、機材を片付け仲間と一緒に成功パーティをやって、帰り道で階段から落ちた。慣れない酒を飲んで酔っぱらっていたせいだろう。 結果、右足首亀裂骨折。大学内では笑い話として広まっているらしい。 「これから、どう時間を潰したものかな?」 医務室から借りてきたベッドテーブルには、ノートと鉛筆が散らばっている。問題点のまとめなどは大体終わっていた。教授たちからは、秋休みだと思って少し休めと言われている。最近無理をすることが多かったのので、それは適切な助言なのだろう。 「マスター。ただいま」 澄んだ声とともに、窓から小さな妖精が部屋に入ってくる。 手の平に乗るほどの妖精の女の子だった。見た目は十代前半ほどだが、実年齢は知らない。透明な羽を広げてカイムの方へと飛んできた。 そのまま、本やノートの散らばったベッドテーブルへと着地する。 「おかえり。散歩楽しかった?」 少し外に跳ねた赤い髪を背中の中程まで伸ばし、赤い瞳に無邪気な感情を灯している。服装は緑色の三角帽子に、袖や裾に深緑で縁取りのされた緑色のワンピース。あとは布製らしい靴だった。いつもの格好である。 「うん……。でもやっぱりマスターと一緒がいいな」 残念そうに笑いかけて来るミィに、カイムは右足のギプスを指差した。松葉杖を使えばあるけるのだが、普段のように歩けるとは言い難い。 「これのせいで、一緒に出歩くこともできないし。すまんな」 「じゃ、わたしと一緒に飛んでみない?」 含みを持った声音で、ミィが訊いてくる。 台詞のまま理解するなら、ミィと一緒に飛ぶということ。だが、人間であるカイムは道具無しに飛ぶことはできない。 「飛行機械はバラしちゃったから、飛ぶのは無理だよ」 「そういうことじゃなくて」 もったいぶるように笑ってから、ミィは短く呪文を唱えた。人間の言葉ではない、妖精の言葉らしい。今までに見たこともない魔法式が作られる。 ミィが右手をカイムに向ける。 「知覚」 「へ?」 右目の視界が揺れた。 右目に見える景色の中に、自分の姿が映っている。自分を見下ろしているような自分の姿。それが、ミィの見ている自分の姿だと理解するのには、数秒の時間がかかった。 「視覚の共有……?」 カイムは自分の右手で右目を押さえた。 使い魔との感覚を共有する魔術がある。それを応用したようだった。ミィから自分の感覚を差し出したと表現するのが正しいだろう。 「あと、右手だよ」 見ると、カイムと同じようにミィが自分の右手で右目を押さえている。カイムの右手に連動したのだ。しかし、カイムがミィの右腕を動かせるだけであって、ミィ自身は制御を放棄していない。 ミィは自分の右手を下ろして、窓の方を指差しながら、 「どこに行きたいか、指差してね」 「時々、変なこと考えるよなぁ……」 右手を下ろし、カイムは苦笑いをした。 原理を理解すれば、あとはそれほど難しいことではない。脳裏に浮かんだのは子供の頃に見た人形劇だった。技術系魔術の制御に比べれば、簡単なものである。 カイムは自分の右手はそのままに、ミィの右手を動かした。前後左右に動かしてから、指を曲げてみる。自分の手のようにミィの右手が動いていた。 「マスター、上手いね。こういうの得意なのかな?」 自分の右手を見ながら、ミィが笑う。 そして、ベッドテーブルを蹴って音もなく空中へと浮き上がった。背中から伸びた羽に魔力が奔り、軽い身体を空中へと浮遊させる。 ミィの視界が大きく動いた。 「っ……!」 カイムは無言のまま息を止める。 自分が動いたわけではない。だが、体感で一気に身長の数倍の距離を動いたのだ。妖精の大きさの感覚を人間の感覚として知覚する。それは、十倍近い体格差を実感するということとほぼ同じだった。 ミィは緑色のワンピースの裾を揺らし、窓へと向き直った。そのまま、一直線に窓へと飛んでいく。部屋を横切り、カーテンをかすめるように窓を越え、外へと飛び出した。 カイムの視点では普通にミィが窓の外に飛んで行っただけ。 しかし、ミィの視点では身長の数倍の距離を凄まじい速度で移動。窓の外からは何十階階建て以上の建物から飛び出したという感覚だった。 「凄い……」 右目を介して伝わってくる情報に、カイムは素直に感嘆の言葉を漏らす。妖精であるミィにとっては、空を飛ぶことは当たり前のことなのだろう。だが、人間であるカイムにとっては道具も無しに跳ぶのは初めての感覚だった。 窓から少し進んだ所でミィが停止する。 『マスター、これからどうする?』 頭に響くミィの声。念話の類らしい。さきほどの魔法と一緒に掛けていたのだろう。 意識を集中させ、カイムは返事をする。 『念話できるなら、右手の感覚渡す必要なかったんじゃないか?』 『そうかも』 あっさりと認めてから、ミィは視線を下ろした。地面へと。 二階の窓の高さから地面を見る。人間の感覚では大した高さではないが、妖精の感覚を通してみると、地上数十メートルほどに浮いているようだった。 『じゃ、急降下ー!』 言うなり、ミィが真下に向かって飛ぶ。 『ちょっと待て!』 慌てて静止するが、ミィは既に飛び始めていた。人間感覚で重力落下の数倍の速度で地面へと向かって一気に落ちていく。実際に重力落下よりも遅いだろうが、身体の大きさのため、その体感速度は十倍近いものとなった。 「時間感覚が違うのか……」 そんなことを改めて実感する。 地面すれすれで身体を翻し、空中で二回転。その凄まじい運動能力は、小さい身体だからこそ可能なのだろう。虫などが異様に素早いように。 『次は急上昇ぅ!』 楽しげにミィが笑い、今度は一気に上昇へと向かう。 高く澄んだ青い秋の空と、羽根のような白い雲。空へと落ちていくように、上昇していった。耳元で風を切る音が聞こえてくるようである。視界の端に学生寮の屋根が見えた。学生寮の屋根よりも高く、空へと向かう。だが、いくら高く飛んでも空には近づかない。 「これが、『飛ぶ』ってことか――」 ミィの見る空を見つめ、カイムは小さく独りごちた。 自分の設計製作した飛行機械は、あくまでも滑空を基本として作ってある。飛ぶことはできるが、ミィのように自由自在に飛ぶということはできない。もっとも、ミィと同じように人間が飛んだら身体が持たないだろう。 『ねぇ、マスター。どう、この景色』 ミィが空中に止まったまま辺りを眺める。 学生寮の真上。地上からは三十メートルくらいだろう。妖精の身体から考えても、相当な高さまで上昇したようだった。 真下には三階建ての学生寮が佇み、寮の向こうには広いグラウンドと、四階建ての学棟が三棟見える。大学の横には学生食堂と購買室の入った大学会館。大学の正門近くには、他の建物よりきれいな作りの大学本部棟。大学の裏手には広い草地が広がっていた。飛行機械の実験をしたのもこの草地だった。 「ニルナ魔術大学か。こうしてみるのは初めてだ……」 上空から大学を見る機会はまずないだろう。先日飛んだ時は、制御に手一杯で周囲を気にする余裕はなかった。 『マスター、もっと上まで飛んでみる?』 ミィが真上を見上げた。 青い空と白い雲、そして太陽。 視覚しか分からないのだが、何故か強い風も見て取れる。視界の中で空気が動いているのが分かった。人間に風を見るのは無理だが、妖精なら可能なのだろう。それを証明するように、ミィの前髪が大きくなびいているのが分かる。 カイムは右手を伸ばして、ベッドテーブルに転がった鉛筆を掴んだ。 『大丈夫なのか? 風強いみたいだけど。いや、今まで気にしたことないけど、妖精ってどれくらいまで飛べるんだ? 口ぶりからするともっと行けそうだけど』 『わたしもよく知らない。でも、やろうと思えば、どこまでも飛べると思うよ』 ミィが気楽に答えてくる。 辺りを見回してから、適当に移動を始めた。それほど苦労することなく飛んでいく。体格比で考えてもかなりの強風のはずだが、意に介すこともない。 「これは、意外と役に立つかもしれない」 そう呟いてから、カイムは広げたノートに今の様子を書いていく。今まで気にしていなかったが、飛ぶという感覚は何かの参考になるだろう。 カイムは続けて話しかけた。 『ミィ、好きに飛んでみてくれ』 『うん。分かった』 頷いてから、ミィは再び急降下する。 |