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第8章 夕食、そしてお風呂


 外は夕刻の色に染まり、蛍光灯の白い灯りが部屋を照らしていた。
 普通の四角い木のテーブルに向かい合って、椅子に座っているミナヅキとジュキ。テーブルの上には、リクトの作った料理が並んでいる。オムライスとサラダとコンソメスープ。冷蔵庫にあったものから作ったものだ。
「美味い!」
 ジュキが大きな声を上げる。赤い瞳を輝かせ、狐耳をぴんと立てながら、オムライスをケチャップライスを口に入れている。
「なんだコレは、甘くてふわふわしててて、ちょっと酸っぱくて! これが、あの卵と米だというのか! 信じられん――お主、一体何をしたんじゃ!」
 興奮した声でまくし立て、再びケチャップライスを口に入れる。
「普通に料理しただけだよ。そんなに感動するものか?」
 リクトは思った事を口にする。周りの男友達よりも料理が上手いという自信はあるが、ここまで感動されるほど上手いとは思っていない。料理の本に書かれているように作っただけである。それでも、ジュキにとっては衝撃的な味のようだ。
 右腕が動き、スープをすくって口に入れる。
「はい。これは、美味しいです。まるで舌が溶けるような美味しさです……!」
 ジュキほどではないが、ミナヅキも初めての味に興奮しているようだ。
 身体と感覚を共有しているため、ミナヅキが口に入れた料理の味は、リクトも感じる。しかし、自分の意志で身体を動かしているわけでがないため、意識と感覚に大きなズレが生じていた。
(凄い変な感じ……)
 自分の身体なのだが、自分のものではないような違和感。実際他人の身体なのだが。
 思いついたように首を捻るジュキ。
「うーむ、妾たちが今まで食べていたものは、一体何だったのじゃ」
「まともに調理しろって――」
 スプーンをジュキに向け、リクトは呆れ声で告げる。
 その気になれば土でも生木でも食べられる、強靱――というか、無茶苦茶な生命力。調理せずとも問題なく何でも食べられるため、今までろくに料理をしていない。普通の料理を食べた経験が無いわけではないだろうが、しっかりと味わって食べるのは今回が初めてなのかもしれない。
 口の周りに付いたケチャップを、ジュキは舌で嘗め取る。
「な、なあ、リクトよ。これからも、こういう美味しい料理を作ってはくれぬか?」
「居候の身だから、料理くらいはするさ」
 スプーンを動かし、リクトは答えた。
 いつまでミナヅキの身体で過ごすかは分からないが、居候である以上できることはするつもりである。もっともミナヅキの身体で、であるが。
「うむ!」
 満足げにジュキは頷いた。
 ふとミナヅキが口を開く。
「お風呂どうします?」
「そんな時間か――」
 壁に掛けられた時計は、午後六時半を示していた。空と空気は、夕方の色から夜の色に映りつつある。日没時間は過ぎていた。あと三十分ほどで、完全な夜が訪れるだろう。
 食事を終え、片付けをした後は風呂である。
「お主、姉様と一緒に風呂に入るというのか……!」
 赤い眼を見開き、ジュキがフォークを向けてくる。
 一度目を閉じ、開き、リクトはジュキを見据えた。
「一緒っていうか、身体がひとつなんだから、一緒に入るしかないだろ」
 ミナヅキの身体に居候しているため、リクトはミナヅキと常に行動を共にすることとなる。リクト自身ミナヅキの身体で裸になったりすることには抵抗があるが、拒否しようにもどうしようもないのだ。
 ジュキはスープを一口飲んでから、
「むぅ。仕方ない――が、姉様に変な事するなよ。くれぐれも――!」
 ぶん、と音を立て、扇子の先端を向けてきた。


 肌に触れる暖かな空気。
 ミナヅキは脱いだ下着をカゴに入れていた。服は毎日回収されて、まとめて洗濯されるらしい。生命科学研究所の作った妖魔はミナヅキやジュキ以外にも二十人ほどいて、敷地内でそれぞれ暮らしている。
 ミナヅキはタオルやシャンプーを持ってガラスのドアを開けた。
「大きい風呂だな」
 リクトは思わず呟く。
 白い壁に白い床。白い天井。大きな湯船と、シャワースタンド。椅子と、タオルや大浴場というほど広くはないが、数人まとめて入れるような大きな風呂場だった。
 壁に取り付けられた鏡を見る。
「…………」
 鏡に映った全裸の少女。
 紺色の髪の毛に水色の肌、緑色の瞳。丸く張りのある乳房と、引き締まったお腹、すらりと流れる腰から足への曲線。腰の後ろでは、黒い鞭のような尻尾がゆっくりと動いている。ミナヅキの身体であり、リクトの身体でもある。
「リクトさん、まだ慣れませんか?」
「当たり前だ……」
 ミナヅキの問いに、リクトはため息をついた。
 身体の動きに合わせて胸が揺れる。男ではあり得ない現象だ。無いものがある、あるものがない。それに慣れるのにはかなりの時間が必要だろう。
「でも、早めに慣れて置いた方が何かと便利だと思いますよ」
 ミナヅキはスポンジにボディシャンプーを出し、お湯を少し垂らしてから、両手でよく揉みほぐす。すぐに大量の白い泡が現れる。
 それから、スポンジで身体を洗っていく。
 首元から肩、両腕、腋、胸、お腹へと――
 慣れた様子でミナヅキは自分の身体を洗っていく。スポンジ越しに、柔らかな肌の感触が手に伝わってきていた。しかし、ミナヅキが身体を動かしているためか、自分が触っているという感覚は薄い。
「ミナヅキって……」
「何ですか?」
 リクトの呟きに、ミナヅキが動きを止めた。
「何歳なんだ? 深い意味は無いんだけど」
 鏡に映る少女。リクトより一回り年下くらいの顔立ち。十代後半くらいで、人間だったら高校生だろう。だが、ミナヅキは妖魔。人間の感覚が通じるとは思わなかった。
「三歳ですよ。わたし」
 ミナヅキの口から発せられた言葉は予想外だった。
 一拍の思考停止を挟み、訊き返す。
「三歳って――」
 予想外の答えだった。数十歳や数百歳と答えられるかと覚悟していたのに、ミナヅキの口から出た言葉は三歳。思っていた以上に若い……いや、幼い。
「生まれた時からこの姿ですし、知識も思考も作られていましたから。そういう意味では文字通りの人工生物です。有機体と妖力で作られたロボットと言い換えてもいいかもしれません。わたしたちには外見年齢はほとんど意味を持ちませんし」
 てきぱきと説明され、リクトは眉を寄せた。鏡に映った少女が淡々とした表情から一瞬で人間臭い表情に変わる。何かの芸にも見えた。
「ジュキは?」
「二歳半くらいです」
 素直に答えてくるミナヅキ。
 ジュキ。見た目中学生くらいの狐の少女である。古風なしゃべり方と、手に持った大きな扇子が特徴だ。ミナヅキを姉様と呼び慕っている。
「なるほど」
 今まで感じていた何かが崩れたような気がした。
 大きく息をついて視線を落とす。
 水色の大きな乳房がふたつ。張りのあるまるで果物のように丸く瑞々しい膨らみだ。先端には青い乳首がつんと自己主張をしている。
 指でつつくと、柔らかな弾力が帰ってきた。
「三歳でこれなのか……」
 ぞくりと甘い寒けが背中を撫でる。本来ならあり得ない部位に触れている――ましてや女性の胸に触れているという非現実に、意識が揺れていた。
「やっぱり、リクトさんもわたしの身体に興味あります?」
 ぺたりと自分の胸に触れるミナヅキ。
 丸い肉の感触。構造上生物のような肉ではないが、触った感触や柔らかさは普通の生物と変わらないだろう。
「健全な男子として興味あるけど、今すぐ何かしたいってわけじゃないぞ……」
「それは残念です……」
 ため息をつき、ミナヅキは再び身体を洗い始めた。



 天井から浴室を照らす、淡いオレンジの光。
「ミナヅキ、ひとつ聞きたいんだけど」
 暖かな湯船に浸かり、リクトは思いついたように口を開いた。身体を洗い髪の毛を洗い、それから湯船で身体を温める。一般的な入浴方法だった。
「何でしょう?」
 頭にタオルを巻き、肩まで湯船に身を沈めているミナヅキ。入浴剤の類は入れないようで、お湯は透明である。ゆらゆらと揺れる水面越しに、身体が見えていた。
「ミナヅキの身体って、液体なんだよな?」
 両手でお湯をすくってみる。
 指の間から落ちていくお湯。こうして見る限り、普通の身体だった。
 しかし、ミナヅキは自分で自分の腕を切り落とし、切れた腕の断面を飴のように溶かして、一瞬で千切れた腕を元通りに戻していた。また、身体の中に腕を差し込み、核に直接触れるという無茶もしている。形を持った液体だからこそできる芸当である。
「湯船に浸かって溶けたりしないよな? 一応」
「大丈夫ですよ」
 ミナヅキの答えはあっさりしたものだった。
「表面の皮膜がありますし、わたしの身体も水とはかなり性質が違いますので、溶けたり混じったりすることはありません。でも、溶かしたり混ぜたりすることはできますけど。やってみます?」
「いや、遠慮しておく」
 苦笑いとともに、リクトは答えた。

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14/9/5