Index Top 第6話 紫の訪問

第6章 妖精郷にご招待


「起きろ、中里千景」
 声をかけられ千景は目を開ける。
 白い天井が目に入った。自分の部屋の天井は白いが、今見える天井は白い石製だった。自分の部屋ではない。知っている場所でもない。そもそも部屋の空気がかなり違う。
 千景は身体を起こした。
 全身に感じる違和感に、眉を寄せる。
 右手を持ち上げ、動きを止めた。
「うん?」
 自分の手ではない。白く細い少女のような手。紫色の袖。
 自分の身体を見下ろしてみる。
 木でできた四角い台の上に寝ていたらしい。紫色の長衣に包まれた細い身体。丸い膨らみが胸の生地を押し上げている。首元に手を触れると、紫色の長い髪の毛を掴んだ。
 ヅィである。
「……うん?」
 千景は台から降りて、近くにあったサンダルに足を通した。
 明かりは無いが部屋は明るい。白い壁に囲まれた四角い部屋である。床には四角と丸を組み合わせた方陣が描かれていた。一緒に記された文字には見覚えがある。内容は読めないが文字に見覚えはあった。フィフニル語。
「何した? これは」
 頬を引っ張ってみると痛い。夢ではないらしい。
 千景はヅィになっていた。
 正確には、千景の意識がヅィの中に入っている。
「主を妖精郷に連れてきた」
 口が勝手に動いた。
 千景は反射的に右手を口に動かすが、左手が勝手に動いて右手を止める。
「そう慌てるではない。例の術式に妾から干渉して、主の霊力を媒介に意識の一部を妾の身体に召喚してみた。上手く行ってよかったわ」
「なるほど」
 なんとなく理解した。
 ヅィを呼び寄せた術の逆の原理だろう。ヅィの意識を召喚したように、千景の意識を召喚した。召喚陣は捨てずに保管してあるので、それを利用する事は可能である。
「あのキスか」
 千景はため息を付いて額を押えた。
 別れ際にヅィが行った口付け。それが印の役割を果たしていたのだろう。
「厄介な置き土産だな……」
 身体に組み込まれた妖精炎魔法式に、千景は意識を向けてみる。妖精炎魔法自体、外国語を読んでいるようで構造が読みにくかった。今ヅィが使っている魔法式はひときわ意味不明なものである。
「というか、恐ろしく高度な事をさらっと実行してるな……」
 千景は眉間にしわを寄せた。
 他人の意識を召喚して、自分の身体に接続する。簡単に言っているが、非常に高度な事を実行していた。千景がほとんど問題無くヅィの身体を動かせる事も驚きである。
「妾の魔法を甘く見るなと言ったろう?」
 勝ち誇った微笑みとともに、ヅィが言い切った。
 千景は両手で頭を押える。ヅィの力と技術は素直に認めざるをえない。
「それに人間は生身でこちらには来られぬからの」
 ヅィが歩き出す。両足の動き、長衣が手足に擦れる感覚。揺れる紫色の髪の毛、それらの感覚に千景は素直に感心する。二人でひとつの身体を動かしてはいるが、さほど違和感はない。上手く調整してあるのだろう。
 意識の疎通はできないので喋る必要はあるが、その方がいいだろう。
「ちょっと待っておれ」
 部屋の隅まで行き、ヅィが壁に手を触れた。手から流し込まれた紫色の妖精炎が、壁の奥へと染み込んでいく。そこに大掛りな仕掛けがあるのだろう。
 ずっ、と重い音を立てて壁が動き、入り口が現われた。
 そこから先に続くのは、広い廊下だった。白い石の壁と天井、床。材質は同じだが、石の組み方が違っている。石自体が淡く発光しているらしく、廊下は問題なく見通すことができた。ここは大きな儀式魔法を使う場所なのだろう。
「失礼するぞ」
 ふと目蓋が降りた。ヅィが目を閉じる。見せたくないものがあるようだ。
 そのことには触れずに、千景は息を吸い込んだ。ヅィの身体を使ってはいるが、呼吸はできる。酸素を吸い込んでいるかと問われれば、限りなく怪しい。
 さきほどのヅィの台詞を思い出し、千景は乾いた笑みを見せた。
「生身というか、肉の部分を持ったヤツじゃ、無理矢理ここに来ても死ぬだろ」
 生身の人間はこの世界には来られない。遠すぎるのだ。そして、薄いのだ。妖怪や神でもまず無理だろう。精霊なら来られるかもしれない。何にしろ、ここは生物のように肉体を持つ者が存在していられない。無理矢理来れば、幻界に呑まれて消えてしまう。
 人間がこの世界に来る方法はひとつ。
 肉体を完全に捨て去り、精神体になってから訪れるというもの。
「くくっ。一度死んでやってくるよりは、十分安全じゃろう? 幻影界に来た人間というのは、珍しいものじゃ。友人知人にも自慢できるぞ?」
 楽しそうなヅィの言葉。悪意や敵意があるわけではない。
 硬い床を歩き、階段を上り、廊下を歩き、階段を下りる。ヅィ自身建物を歩き慣れているようだった。文字通り目を瞑っても歩けるほどに。あちこちを複雑に移動しながら、建物を上へと昇っていく。
「何が目的だ?」
 靴が床を叩く音を聞きながら、千景は尋ねた。
「ピアたちの故郷がどのような場所か、一度見て貰おうと思っての」
「あまりそっちの事情には踏み込まないようにしてるんだ……。ピアたちも訊いて欲しくなさそうな雰囲気だったし」
 右手で頭を掻く。指の間をすり抜ける、細く滑らかな髪の毛。
 ピアたちは自分が幻界にいた時の事を積極的に話すことはない。千景も積極的に訊くことではないと考えているため、必要最低限の知識しかなかった。
 小さく笑うヅィ。
「そう堅物である必要もあるまい。妖精郷は美しいところじゃ。一見の価値はある」
 そう言って、目を開く。
 淡い世界があった。
「………」
 千景は息を止める。
 薄い青色の空と白い雲。遠くに山の稜線が見える。
 千景が立っているのは、かなり高い建物のテラスらしかった。
 大きな街が見える。三角形の屋根が並んでいた。住居らしき小さな家から、何かの施設らしい大きな建物まで。街の中心の広場から三方向に伸びる大通り。通りは白い石畳が敷かれていた。通りを歩く赤や黄色の少女たち。顔立ちは見えないが、皆髪の毛と同じような色の服を着ている。そのような文化なのだろう。
 吹き抜ける風に、紫色の髪の毛が大きく翻った。
「きれいな場所だな」
 静かに呟く。
 大通りに一本を辿ると、その先には白い建物があった。街の建物とは全く違う作りである。全体が白い石で作られている。鋭角な屋根と、いくつかの小さな塔が見えた。
「あれがピアが治めている神殿じゃ」
 ヅィが説明する。
 千景は自分のいる場所に目を戻す。
 街の大通りの一本の先。
 そこは背の高い建物だった。白い石造りの塔らしい。高さは分からないが、とりあえず周囲に見える建物では一番高かった。
「ここはわらわの塔じゃ」
 正しいようで正確ではない、そんな説明だった。
 千景は何も訊かずに、視線を動かした。
 中央の広場から伸びる大通りの三本目。
 それは街の外まで伸びているようだった。しかし、その先には何もない。そこだけあるべきものが存在しない。そんな空虚さを漂わせている。
「あそこに、例の大樹があったのか?」
「今もあるぞ。随分小さくなってしまったが……少しづつ大きくなっている。ここから見えるようになるのは当分先じゃがの」
 空笑いとともに、ヅィが吐息をする。
 朽枯れの魔物によって滅びかけた妖精郷。その時に、フィフニルの大樹が病魔に侵され、ピアたちは大樹を破壊し、接ぎ木によって新たな大樹を作った。フィフニルの大樹を傷付けるという最大の禁忌を犯した罪で、四人はこの世界を追放された。
 そう、ピアたちには説明されている。
「あいつら戻れるのか?」
「無論じゃ。必ず戻してみせる」
 ヅィは断言した。
 風が吹き、千景はテラスの柵を掴んだ。
「っ……」
 不意に訪れた目眩。一瞬、自分が消えるような喪失感があった。
 ヅィが小さく口を動かした。
「幻影の風に長時間当たるのは、やはり危険か……」



「さて」
 ヅィが寝台に座る。
 再び目を閉じ、建物内を移動。やってきたのはこの部屋だった。
「何だ、ここは?」
 私室のような場所である。しかし部屋にあるものは、寝台と机と本棚。それだけだ。必要最低限のものしか置かれていない。無駄を省いた形ではなく、元々置くものがないような雰囲気だった。
「妾が使っている簡易寝室じゃ」
 ヅィが笑う。
「何でここに来たんだ? 俺を向こうに帰すには、あの大魔法陣が必要じゃないのか? 仕組みはよく分からないけど、接続切って終わりってものでもないだろ?」
「ちょっと面白い事を思いついてのう」
 にっと口元が妖しい微笑みの形に変る。
 その手が胸に触れた。紫色の生地を押し上げる大きな膨らみ。自分の手で自分の乳房を持ち上げるというのは、不思議な感覚だった。
「主は妾の身体を弄ってみたいと思わぬか? なに、遠慮する事はない。今は主の身体でもあるのじゃし、好きなようにやるがよい」
「……こういうのを文化のズレって言うんだろうか?」
 現実逃避気味に千景は首を傾げて、
「何を企んでいる」
「そうじゃのう?」
 一度目を閉じてヅィが考える素振りを見せた。しかし、身体を共有している千景には分かった。考える素振りは見せているが、既に結果は別にある。
「ピアたちが主と身体を重ねたのは、何となく分かった。ピアたちは喋らなかったがの。それで主がどんなものかと思っての。少し見てみたくなった」
「おい。待てコラ」
 本気とも冗談ともつかぬ言葉に、千景はジト眼で言い返す。嘘ではない。だが、完全な本当でもない。ただ、今の台詞は本気だろう。
「くくっ。あの四人を手込めにしておいて、今更何を躊躇する?」
 ヅィは唇を指で撫でた。自分の唇を撫でながら、千景の唇も撫でる。
「それに……。今のまま暮らすなら、主はあの四人ともっと深い関係を持つ事になるじゃろう。その時のために妾たちの身体を知っておいても損は無いぞ?」
「なら、そうさせてもらうわ」
 

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意識召喚の魔法
印を付けた相手の意識を、自分の身体に召喚して接続する妖精炎魔法。ヅィは自分の意識を人界に呼ぶ魔法陣を利用し、千景の意識を自分へと憑依させた。簡単に行っているように見えるが、非常に複雑で高度な魔法。
12/3/15