Index Top 第6話 紫の訪問 |
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第5章 置きみやげ |
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「あのー。千景さん」 ミゥを肩車したまま、千景は道路を歩いていた。 千景と一緒に出掛ける時、ミゥはよく肩に乗っている。飛ぶのが面倒というわけではなく、単純に肩に乗るのが好きなようだった。 千景の隣を飛んでいるピアとヅィ。 「何だ?」 「どうして、ボクの治療断ったんですか? 千景さんがケガをしたり病気になったりしたら、ボクがきちっと完璧に治療してあげるって言ったじゃないですかー」 頭を撫でながら、ミゥが言ってくる。 シゥとノアとの乱闘によって、左腕と腹を切られた。傷は深かったものの、術による治療で今は薄い傷跡しか残っていない。傷を見たミゥが治療したがっていたが、千景は自分の術で治療している。 「眼が怖かったから」 「うー」 千景の答えに、ミゥが肩を落とすのが分かった。 空を見ると太陽が西に動き始めている。時刻は二時半。怪我を治療したり、壊したものを治したり、昼食を食べたりしていたら、遅くなってしまった。道に人の姿は少ない。ピアたちは姿を眩ませる結界を纏っているので、目立つことはない。 左腕の傷跡を見ながら、千景は呟く。 「真面目な話すると、お前たちを俺の血に触れさせたくないんだよ」 千景はフィフニル族と相性がいいらしい。体組織は妖精炎を高める作用があり、同時に強い反動を作り出す。唾液などを摂取した場合は、数日間妖精炎が数倍に上昇。その代償として一時的な発情状態が訪れる。血液などを摂取したら大変な事になるだろう。 「にしても、あいつもかなり本気で斬り付けてきたよな……」 「ざっくり行ってましたよねー」 他人事のようにミゥが頷いている。 左腕で受けたからよかったものの、反応が遅れていたら首元に斬り込んでいた。それくらいでは死なないとは分かっていたが、無茶な事をしている。 「自業自得じゃろう?」 傍らに浮かぶヅィがジト眼を向けてきた。紫色の髪の毛を指で梳きながら。 反対側を飛んでいるピアが無言でため息をつく。 「しかし、主は本当にしぶといの。シゥとノアは寝込んでいるというのに、何故そう元気に動けるのじゃ? 妾が見ていた限り、主の方が消耗しているはずじゃが」 ヅィが後ろを振り返った。 一通り暴れてから、シゥとノアは動けなくなった。今は部屋で寝込んでいる。消耗のしすぎだった。それでも、夕方くらいには動けるようになるだろう。 「頑丈なんだよ、俺は」 千景は額を押えた。もうほとんど空元気で動いている。 それから右脇を飛んでいるピアに声をかけた。 「ピア」 「何でしょう?」 眼鏡越しにピアが銀色の瞳を向けてくる。背中から三対の金色の羽を伸ばし、空を飛んでいた。肩から古びた鞄を提げ、両手で布製の買い物袋を持っている。 「今日の晩飯はカロリーと栄養のあるもので頼む……」 左手を眺めながら、千景はそう言った。 朝からトレーニングに秋奈との戦闘、続いてシゥとノアとの戦闘。一度も倒れてはいないが、体力の消耗は凄まじかった。化学反応で動いている人間である以上、食事を取らないといけない。 ピアは眼鏡に手を添え、空を見上げてから、 「そうですね。では、カレーライスがいいですね」 「いつも助かる」 千景は素直に礼を言った。 「ありがとうございます」 少し照れたように眼を反らし、ピアが答えた。 料理や洗濯、掃除。家事全般を行っているピア。千景自身、あまり生活力があるわけではない。ピアがいなかったらかなり適当な生活を送っていただろう。 ミゥが笑いながらピアを見る。 「ピアは頼りになりますねー。きっといいお嫁さんになりますよー」 「お嫁さん……ですか?」 銀色の目を丸くして、ピアがミゥを見上げる。 真面目で優しく、意志も強い。控えめな性格ながらも、自分の思った事ははっきりと口にする。料理から掃除まで家事全般が得意で、大抵のことはできる。ミゥの言う通り、良妻になるだろう。 ヅィが腕組みをしていた。 「妾たちフィフニル族には男という性別が無い。そのため、結婚という風習はない。それでも、ピアが誰かの妻となるなら、妾たちは祝福しよう」 「二人とも、何言ってるんですか!」 頬を赤くしながら、ピアが言い返している。 千景は一度目を閉じた。明るく冗談を言っているピアたち。初めて千景の所に来た時はかなり緊張していたが、今はその緊張も無く自然体で過ごしている。これがピアたちの本来の性格なのだろう。 「しかし、皆楽しそうじゃの」 ヅィがふと呟く。決して大きな声ではなかった。静かな声。紫色の瞳を僅かに細め、ミゥやピアを眺めている。その表情はどこか嬉しそうに見えた。 ピアとミゥが口を閉じる。 ヅィは優しく微笑み、言葉を続けた。 「まあ、主たちのやりたいようにするがよい。あれほど無茶をしたのだから、少し休憩しても誰も咎めぬじゃろう」 それから、片目を瞑った。 「心配することはない。向こうの事は妾がなんとかする。それが、妾の仕事じゃ」 風が吹き、ヅィの紫色の髪の毛を揺らす。 時計を見ると、夕方の五時。まだ空は明るいが、微かに夜の気配が訪れている。夏至が近いので日没も遅くなっていた。夕方の涼しい空気が窓から入ってくる。 「そろそろじゃのう」 空を見ながらヅィが呟く。 床に敷かれた大きな紙。朝ヅィの分身をこちらに召喚した、魔法陣だった。 四畳半分ほどの広さがあり、彩り鮮やかな模様と難解な文字が記されている。文字の半分は日本語だが、残りはフィフニル語。霊術の術式に妖精炎魔法の魔法式が組み合わさった複雑な構成になっている。 「もう帰るのか。もう少し話でもしてけばいいのに」 魔法陣を見ながら、千景はそう言った。 千景の横に並んで、ヅィを見ているピアたち。シゥとノアはさきほど起きだした。今はとりあえず普通に動けている。しかし、度重なる消耗のせいだろう。シゥは疲れたような表情を見せていた。ノアは相変わらず無表情のままである。 ヅィは右手を握って閉じた。 「長い時間はこちらにいられぬ。妾の時間の都合もあるのじゃが、何よりこの身体が持たなそうじゃ。かなり強引な構造しておるしの」 ピアの妖精炎で異界の扉を開き、千景の霊力を依代にヅィの分身体を作り出す。かなり性質の違う力をひとつに纏めているため、不安定な部分が多い。 ヅィが魔法陣の中心へと移動する。淡く輝き始める魔法陣。 「では、妾は帰る。シゥもノアも、無茶はせぬようにの」 「分かってるって。ヅィも無理すんなよ。……本当ならオレたちもそっちを手伝うべきなんだけど、こういう立場だからな。すまん」 少し目を逸らし、シゥがツインテールの一房を撫でていた。ピアたちは妖精郷を救った英雄であり、最大の禁忌を犯した罪人でもある。戻りたくても戻れない。それがもどかしいのだろう。 ヅィがミゥに向き直る。 「ミゥは好奇心を抑えろ。昔からの悪い癖じゃ……。しかし、そやつを実験台にするのは妾が許す。死なない程度に、投薬実験でも解剖でも何でもやってみろ」 と、千景を勢いよく指差した。目が本気である。 右手を握り締め、ミゥは満面の笑顔で頷いた。 「分かりました。期待していて下さいねー!」 「やめろって……」 千景はミゥの頭に手を置き、指に力を込める。 「! ああっ、いたい……いたい、いたいですよ、千景さん!」 頭を締め付けられ、ミゥがわたわたと暴れている。必死に引き剥がそうとしているが、千景の手は離れない。妖精炎で力を強化しても、霊力で強化した千景の力の方が強い。ようするに、ミゥが千景の手を払うことは不可能である。 苦笑いとともに、それを眺めるシゥとヅィ。 「ピア」 「はい」 ヅィの呼びかけに、ピアが静かに答えた。銀色の瞳と紫色の瞳が、視線を交える。司祭長と御子。当人たちにしか分からない苦労があるのだろう。 ヅィはピアに優しく微笑みかける。 「こっちは大丈夫じゃ。心配するな」 「はい」 ピアは頷いた。 千景がミゥから手を放す。 「うぅ」 ミゥはその場にへたり込んだ。両手で頭を押えている。 「さて。中里千景」 最後にヅィは千景に向き直る。今まで大人しかった顔に、不敵な微笑みを浮かべた。目蓋を半分下ろし、紫色の瞳に刺すような光を灯す。 ふっ、と。 いきなりヅィが近付いてきた。顔と顔が触れあう距離まで。あまりに唐突だったため、千景も反応が遅れてしまった。 唇に触れる微かな感触。 「!」 一拍遅れて、千景は後ろに飛び退った。唇を指で撫でる。頭が真っ白になっていた。理解不能な、唐突な行動。あまりの事に言葉が浮かんでこない。小さな唇の感触が生々しく残っている。ヅィがいきなり千景に口付けをしたのだ。 呆気に取られた様子のピアたちを余所に、ヅィは楽しそうに笑う。 「これは、主への土産じゃ」 千景に人差し指を向け、ヅィが楽しそうに笑った。 それから、ピアたちに向けて右手を軽く振る。 「ではの」 紫色の光の粒が散り、ヅィの姿は消え去った。 |
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