Index Top 第5話 黒の観察

第1章 ミゥ頑張る


 窓の外を見ると、空の半分が灰色に染まっていた。
「雲行きが怪しくなってきたな」
 千景は腕組みをしながら、空を見上げる。目に見える速度で灰色の雲が空を覆い始めていた。下からでは見えないが、上空には巨大な積乱雲が立ち上がっているだろう。
「あと三十分もすれば降り出すだろ。空気が騒いでる」
 千景に並んで窓の外を眺めながら、シゥが頷く。背中から六枚の氷の羽を広げて窓辺に浮かんでいた。感心したように空を眺めている。
「今日は一日晴れって天気予報でも出てたんだけど。凄いもんだ」
「ミゥってこういう力あったのか。オレも長い事一緒にいるけど、知らなかった」
 二人揃って見つめた先には、ミゥが吊るされていた。
 凧糸でぐるぐる巻にされ、上下逆さまにでカーテンレールに吊るされていた。緑色の長衣の裾や、緑色の髪の毛が床に向かって垂れている。
「凄いとか感心するなら、この紐解いて下さいー! なんですか、妖精炎封じって! 本当に全然妖精炎出せないですよー! 前よりも強力になってませン?」
 ゆらゆらと揺れながら、叫んでいた。ミゥを拘束している凧糸には、妖精炎を封じる術が仕込んである。基本的な術封じの術式を妖精炎に応用したものだが、技術型のミゥには効果があった。
 千景はミゥの頬を指でつつく。
「いや、お仕置きだから。もうしばらくそのままでいろ」
「うー」
 不服そうに呻くミゥ。
 その緑色の瞳が、椅子に座っているノアに向けられた。
「ノア――! 助けて下さいー」
「千景さまに放置しろと命じられているので、不可能です」
 無感情な黒い瞳でミゥを見つめ、即答する。迷いも躊躇いない返事だった。助ける気が無いのがはっきりと分かる。
 声も出せず、諦めたように脱力するミゥ。
 千景とシゥは再び窓の外を眺めた。北から南に移動する雷雲。おそらく、北から流れ込んだ寒気によるものだろう。安定していた大気が急に崩れることは稀に起る。
 西部屋のドアが開いた。
「ただいま帰りました」
 台所に入ってくるピア。時折ピアたちは外に出掛けている。話を聞く限り、情報収集らしい。街の様子を眺める事が主で、最初の頃は文字通りの情報収集だったが、最近は散歩になっているようだった。
「おかえり、ピア」
「雨降る前に帰って来られてよかったな」
 千景とシゥが声をかける。ノアは無言だった。
 ピアが一瞬動きを止める。眼鏡を動かしてから、その場にいる四人を順番に見つめた。窓辺に立っている千景と、浮かんでいるシゥ、椅子に座っているノア、最後に逆さづりになっているミゥ。
 一度眼鏡を外して目を擦ってから、眼鏡を掛けるピア。気の抜けた声で訊いてくる。
「あなたたち、これは……一体、何をしているのですか……?」
 千景はシゥと顔を見合わせた。この状況をどのように説明するべきか。
 口を開いたのは、ノアだった。椅子に座ったまま、ピアに顔を向け、淡々と説明する。
「ミゥが千景さまのお茶に薬品を入れ、自分がそれを発見しました。そして、ミゥは千景さまによって拘束され、制裁として吊るされています」
 ピアがため息をついた。おおまかな流れは把握したらしい。以前同じような理由で吊るされていることもあった。前回は朝駆けで注射未遂。
 額を押さえ、眼鏡越しにミゥに銀色の目を向ける。
「……ミゥ」
 静かに囁かれた名前。ミゥを見る瞳に映る、微かな怒り。小さな身体を包む威圧感は、普段の姿からは想像も付かないものだった。以前、千景と決闘をしたシゥに向けた怒りの態度に似ている。
「あわわ……」
 逆さまに吊るされたまま、ミゥが慌てていた。
 怒気を消し、ピアが千景に向き直る。腰の前で手を揃えて頭を下げた。
「申し訳ありません、ご主人様。ミゥの行動はわたしの監督不行届です。今後このような事をしないよう、ミゥにはきつく言い聞かせておきますから」
 顔を青くしているミゥを盗み見ながら、千景は口を開く。
「いいんじゃないか、別に」
「え?」
 思わず顔を上げ、ピアが不思議そうに瞬きをした。千景の言った事が理解できないようである。無断人体実験を容認するような態度は奇妙に思うだろう。
 千景は続けた。
「没収した薬は、協会の研究所に送ってるから。貴重な薬品が採集できて、研究所も喜んでるし。仮に俺に薬品を投与しても、その後の効果は十分研究対象になる」
「逞しい組織だな、協会って……」
 シゥが額を押さえて呻く。
 前回の注射も、今回のお茶も、即座に専用容器に詰め替えて、研究所に送っていた。ミゥが作る薬品は色々と興味の対象となっている。提出物として作るものよりも、人体実験目的で調合されたものの方がいいらしい。
 呆けた様子のミゥを指で突きながら、千景は小さく笑ってみせた。
「それにコレ、ミゥのストレス解消って意味合いもあるだろうし」
「そう、で……しょうか?」
 首を傾げるピア。
 ガタガタと窓ガラスが鳴る。風が出てきたようだった。窓の外を見ると、黒い雲が空を覆い尽くしていた。時折紫色の雷光が散る。やや遅れて届く、小さな雷鳴。雷雲の移動は予想以上に早い。あと十分ほどで大雨が降り出すだろう。
「というわけで、雨止むまで大人しくしてろ」
 千景はミゥの眼前に指を突きつけ、そう告げた。
 一度瞬きしてから、ミゥが見上げてくる。
「雨"止む"まで……って、待って下さい、千景さん! さっきは雨"降る"までって言ってましたよね。何で延長されてるんですかー!」
「お仕置きだから」
 左右に揺れて抗議してくるミゥに一言返し、千景は窓から離れた。


 机の上にはビーカーや試験管、フラスコが並んでいる。どれも、自然界で貰ったものだった。人間サイズなのでミゥには少々大きいが、扱いに困るほどでもない。
 アルコールランプで熱せられた枝突き丸底フラスコ、横に置かれた氷水の入ったビーカーと試験管。フラスコの中身が蒸発して、その蒸気が試験管内で冷却され、液体になって溜まっている。いわゆる蒸留だ。
「ノア。そこの薬を取って下さいー」
「了承」
 ノアが持ってきたふたつの薬瓶を受け取り、ミゥは中身を確認する。先日のシゥの治療に使ったため、中身は二割くらいまで減っていた。新しく作らないといけない。
 ふと気配を感じて、ミゥは横を向いた。
 傍らにピアが立っている。呆れたような表情でミゥと薬品を見ていた。
「ミゥ、何をしているのですか?」
「千景さんに飲ませる薬を作っています」
 にっこりと微笑み、ミゥは正直に答える。隠す理由も無いし、嘘を言う理由も無い。今までは多少引け目があったが、千景自身が薬品実験を許可しているので、もう遠慮することはないだろう。
「そういう事は止めなさい、ミゥ。お世話になっている方に、怪しい薬を飲ませたり注射したりというのは、礼儀以前の問題ですよ」
 真面目な顔で諫めてくる。ピアの言う事は正論だった。
 しかし、ミゥは胸を張って反論する。
「本人の許可が出ているから問題ありません。それに、目の前に多少の無茶やっても平気な人がいるんですよー? それを放っておくというのは、科学者としての血が――」
 ピアが微かに目蓋を下げた。落ち着いた銀色の瞳に映る、本気の輝き。
「やめなさい」
「はい」
 ミゥは何も言い返せずに頷いた。

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11/9/22