Index Top 第4話 青の受難 |
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第6章 安全装置 |
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窓から差し込む昼の日差し。 台所のテーブルに、千景とシゥは向かい合って座っていた。千景の前に置かれた、湯飲みとお茶。シゥは椅子の上に自分用の小さな椅子を乗せて、そこに座っている。鞘に収められた氷の剣が、椅子に立て掛けてあった。 「昨日は大変だったらしいな」 シゥが苦笑しながら、片目を瞑った。その態度には、いくらかの余裕ができている。 「全身あちこち凍傷で酷いことになってたからな」 千景は右腕を持ち上げる。五指を開いて閉じた。 右腕丸ごと凍傷を負っていたが、一晩で完治させている。本家の退魔師による強力な治療術の効果だった。守護十家内の医療一族の名は飾りではない。 「それを術と薬使って半日で治すってのも、無茶だけど。凍ったのが表面だけで助かったわ。普通は助からないけどな……。奥の方がまだ疼くけど、多分数日で消えるだろ」 酷い怪我を術で強引に治すと、しばらく傷の感覚が残る。話には聞いていたが、実際に体験してみると気持ちの良いものではなかった。本来なら入院治療が必要なほどの重症であり、それを一日で元通りにするのはかなりの無茶である。 千景は左手で頬杖を突き、人差し指をシゥに向けた。 「お前こそ、元気そうだな……。腹と胸に穴開けて、手と足引き千切ったのに」 半眼で呻いてみる。 千景よりも重傷を負ったシゥ。ミゥが行った治療のおかげか、完全に元通りになっていた。何かしらの後遺症が残る事も覚悟して攻撃していたのだが、それらしい様子もない。非常識な回復速度である。 シゥは得意げに人差し指を動かしながら、 「オレたちフィフニル族は、お前が思ってる以上にしぶといんだよ。核部分さえ壊されなければ、全身無くなっても再生できるくらいにな」 千景はピアたちの部屋を見た。 千景がアパートに戻ったのはつい先ほど。それまでシゥに付き添っていたピアたちを眠らせ、今は千景がシゥを看ている。緊張の糸が切れたことで疲労が吹き出したのか、ピアたちは完全に熟睡しているようだった。 お茶をすすり、千景はシゥを眺める。 「とりあえず、少し元気そうになってよかったわ」 昨日よりも目に光が戻っていた。昨日までの切羽詰まった恐怖や緊張は感じられない。ミゥの考えた荒療治も、一応成功したようだった。 シゥは含むように笑みを浮かべる。 「オレが暴れても、お前が身体張って止めてくれるんだろ?」 「二度目はやりたくないぞ」 横を向き、千景は口を尖らせた。 シゥが暴れても、千景はそれを止めることができる。だが、無傷では済まない。他の退魔師の力を借りれば楽だが、ピアたちの事は千景に任せているため、積極的に手を貸してくる事は無い。必要ならば千景の意見を無視して、手を出してくるだろうが。 「そりゃそうだな」 シゥは乾いた笑みを浮かべる。 窓から差し込む夕刻の光。 自分の部屋で椅子に座った千景は、ふと吐息した。 「千景さん。昨日はありがとうございましたー」 明るい声で言ってから、ミゥが頭を下げる。 緑色の羽を広げて、千景の前に浮かんでいた。 昨日までの緊張や不安は消え、一段落ついたという様子である。顔から緊張が消え、普段の笑顔が戻ってきていた。それでも、完全に気を抜いたわけではない。 「どうだ、シゥの様子は」 千景は壁を示す。 隣の部屋ではシゥとノアがいる。ピアは台所で夕食の用意をしていた。微かに漂ってくる料理の匂い。ここ数日は千景が自分で料理をしていたが、シゥが少し回復した事で、ピアが料理当番に戻っている。 「前に比べて、大分よくなっています。少し余裕が出てきましたし。でも、やっぱり睡草は必要ですね……。今は元気に振舞っていますけど、根本的な解決はまだですから」 と、微かに苦笑いをみせた。 今回は千景が安全装置となる事でシゥの安心を作り出すことができた。しかし、千景はいつまでもいるわけではなく、回復までの道は長い。 「がんばれよ」 「はいー」 ミゥは明るく答えた。 「よう……」 ドアが開き、シゥが入ってきた。 時計を見ると、夜の九時半。千景は一息ついて、ブラウザを閉じてキーボードから手を放す。見られて困るようなサイトは見ていないが、パソコンを他人に見られるのはいい気分ではない。 氷の羽を広げて、浮かんでいるシゥ。ほどいた髪の毛は足元まで伸びている。普通に歩くと、毛先を床に引きずってしまうため、飛んでいるのだろう。 服装は青い寝間着姿。簡素な作りの青い長衣である。浴衣かバスローブのような服だ。四人ともほとんど同じ作りの寝間着を持っているようだった。 青い燐光を残しながら、千景の近くまで飛んでくる。 「昨日は色々とありがとな」 目を逸らしながら、小声で礼を言ってきた。 千景は軽く笑いながら、 「お前らの面倒見るのが俺の仕事だからな。多少の無理はするさ。それに、お前たちがどれくらい強いのかも、見ておきたかったし」 昨日の決闘。シゥに対しての荒療治という意味もあったが、フィフニル族の強さを見るという意味もあった。退魔師協会が容易に協力を受け入れたのは、そのためである。 「お前らしいよ」 腰に手を当て、シゥが息をついた。 口元を手で押えて、目蓋を下げる。小さな声で。 「誰か止めてくれるヤツがいるってのは、こんなに安心できるものなのか」 強い力を持てば意識が追い付かないことがある。そんな時は、自分を制してくれる者が近くにいると安心するものだ。シゥの焦りや恐怖は、自分の力を制御できない不安からくるもの。自分を制してくれる者がいれば、その恐怖はある程度減らせる。 「そんなもんじゃないか?」 千景も術を覚えてしばらくはそうだった。術の力が怖い。しかし、師範や父や祖父が、止める役割を持っていた。千景もいずれ誰かを見る立場になると言われている。だが、これほど早くその立場が来るとは思っていなかった。しかし経緯はどうあれ、自分がやるべき事はやるべきだろう。 氷の羽を広げて空中に浮かぶシゥを見る。 「なあ、千景」 改めて視線を向けてくるシゥ。 千景は一度、部屋の西壁を見る。白い壁紙の貼られた壁。隣の部屋にはピアたちが眠っているはずだ。フィフニル族の文化なのか性質なのかは不明だが、ピアたちは基本的に早寝である。九時前には眠ってしまう。 青い瞳で千景を見据え、シゥは寝間着の一番上のボタンを外した。 「オレを抱いてくれないか? 意味は、分かるだろ?」 「いきなりだな」 乾いた微笑とともに、部屋の四隅を見る。 この部屋には音や震動を遮断する簡易結界が張ってあった。先日作ったものである。このような事態を想定したもの、というのは言い過ぎだが、あまり間違ってもいない。 「察してくれ……」 やや気まずげに答えてから、シゥが千景のすぐ前までやってくる。微かに漂う冷気。背中の羽から広がる妖精炎の影響だろう。 「分かったよ」 千景は両手を伸ばし、その身体を抱きしめた。 |
11/8/11 |