Index Top 第4話 青の受難

第1章 ささやかな決闘


 夜の静寂を破る破砕音。
 仰向けに倒れたまま千景は頭をかいた。
 目に入る範囲を、一言で表すと壊れていた。割れて飛び散った窓ガラス、ひしゃげた窓枠、天井や壁の破片。蛍光灯が跳ねるように揺れている。
「さすがに、直撃は痛いな……」
 口元に苦笑いを張り付け、千景は呻いた。思索するように意識を周囲に動かす。
 ミゥの私物だろうか、壊れた実験器具や薬草類も無惨に散らばっていた。片付けは大変だろう。薬品に濡れた紙箱が薄い白煙を上げている。微かに漂う甘い匂い。箱の中身は知らないが、爆発することはないだろうと千景は楽観的に考えた。
 ピアたちの部屋だったが、術で直すまで使えないだろう。
 そして、所々青白い氷が張り付いていた。シゥの妖精炎による冷気である。
「予想以上――ってほどじゃないが、さすがに霊力だけじゃ無理か」
 千景はその場に跳ね起きた。意識を正面に戻す。身体の芯に刺さるような冷たさ。
 術の多重障壁に全身防御。霊力だけで可能な完全防御だった。しかし、シゥの振り抜いた氷の剣はその防御を貫通し、公園からアパートの二階まで千景を吹っ飛ばした。致命傷になるような威力ではないが、二度目を喰らいたいものではない。
「千景、さん! な、何があったんですか!」
 我に返ったミゥが、目を白黒させている。両腕を広げて、飛び込んできた千景と壊れた部屋を交互に見ていた。ぱくぱくと口を動かしているが、言葉がまともに出てこない。状況が理解できないのだろう。この場合は、理解できる方が不自然だ。
 ピアとノアの姿は見当たらない。どこかに出掛けるのは時々あることだった。
 千景はひしゃげたベランダの柵に足を掛け、外のシゥに目を向ける。
 夜の黒を退ける、青白い輝き。
「それで本気か?」
「うーん、三割くらいだな」
 そう言って、シゥは肩をすくめてみせた。
 アパートの正面にある児童公園。その中央にシゥが浮かんでいた。
 背中に顕現させた六枚の氷の羽。青白い輝きを放ち、周囲に冷気と氷の結晶をまき散らしている。右手に構えた氷の剣。普段持っているものだが、その剣身は一回り細くなっていた。周囲に氷の破片が浮かんでいる。剣身を分解して操る構造らしい。
 刺すような冷たい空気が渦巻き、無数の氷晶が舞う。
 逆巻く冷気にシゥのツインテールが揺れていた。
 その姿は幻想的であり、ため息が出るほど美しい。
「シゥ、シゥッ! 一体、何をしてるんですか!」
 ベランダに出たミゥが、大声で叫ぶ。理解不能な状況で、とりあえず自分のやるべき事を判断したのだろう。珍しく表情を引き締め、シゥを睨んでいる。いきなりシゥが千景に攻撃を仕掛けた。そう映ったのかもしれない。
 千景は右手をミゥの前に差し出し、落ち着かせるように言った。
「ただの模擬戦闘だ。危ないからちょっと下がっててくれ」
「模擬戦闘で部屋を壊さないで下さいー! というか、模擬戦闘って何ですかー! 二人揃って何してるんですか! ピアもノアもいないのに、この状況! ボク一人でどうしろっていうですかー! そもそも色々と滅茶苦茶ですよー!」
 千景の腕を掴み、泣きながら口を動かす。
 薄い殺気を纏った視線。シゥは千景を見据えたまま、剣の柄に左手をかけた。背中の氷の羽が、大きさと輝きを一段増す。青白い妖精炎の輝きが剣と氷片を包み、辺りの気温がさらに下がっていた。既に周囲は極地並の極寒と化している。
「お前も少し本気出した方がいいぞ? 例の蟲、オレたちと暮らすようになってからは、一回も見せてないよな? オレも氷の剣の仕掛けひとつ見せたんだから、その蟲も見せてくれてもいいんじゃないか? でないと、次はどうなっても知らないぜ?」
「そうだ、な――」
 千景は右手を横に持ち上げる。
 その時、シゥの横に黒い影が現れた。
 長い黒衣を纏い、背中からカラスのような黒い羽を広げている少女。青白く輝く妖精炎に照らされ、それでも夜の闇と同化している。ノアだった。
 千景の視線に気付き、シゥが振り返るが――少しだけ遅かった。
「!」
 ノアの長衣の袖から伸びた黒い帯が、一瞬でシゥの身体へと巻き付く。瞬きひとつ分のほどの時間で、文字通りグルグル巻に。捕縄術の類ではなく、蛇かツタ植物を思わせるような力業の捕縛だった。
「拘束完了」
「てめぇ、ノアッ! 放せッ!」
 辛うじて動く足を振り回すシゥだが、ノアは眉ひとつ動かさない。
 辺りを照らしていた青白い輝きが消え、分離していた氷片が剣身に戻っていく。急速にシゥの妖精炎が小さくなっていた。帯刃にそのような作用があるのか、ノア自身の能力なのか、千景には分からない。
 拘束から逃れようと暴れるシゥだが、帯刃は切れる気配すらない。
「シゥ――」
 ぴたりとシゥの動きが止まった。頬を冷や汗が流れていく。
 いつの間にかノアの横にピアの姿が浮かんでいた。緩く腕を組み、背中から三対の金色の羽を広げている。感情を消した銀色の瞳で、眼鏡越しにシゥを見据えた。殺気などとは違う、問答無用の迫力。本気で怒っているらしい。
「貴方は一体何をしているのですか? 納得の行く説明をして下さい」
「あー、これは……。その、なんだ……」
 静かで鋭い声音に、シゥが視線を泳がせていた。必死に誤魔化す方法を考えているようだが、名案が閃くことはないだろう。
「話はゆっくり聞きます」
 金色の羽を傾け、部屋へと飛んでくるピア。それに続くノアと、無力に引っ張られていくシゥ。光の消えた青い瞳で、現実逃避するように遠い夜空を眺めていた。
「……終わった?」
 勝手に進んでいく状況に置いてきぼりを食らいながら、千景は呟く。
「まだ終わっていないぞ、中里千景」
 横から掛けられた声に、思わず身構えた。
 ベランダの隅に人間の男が立っていた。足音も気配もなく、千景やシゥやノアにも気取られず移動してきたらしい。三十歳ほどの警察官の恰好をした男である。名前は思い出せないものの、見知った顔だった。ピアたちの監視役の一人。唐草家の退魔師である。
 そこに現れた理由は、容易に想像が付いた。
 男は千景を見据え、口を開く。
「事情を説明してもらおう。きっちりと、な」
「終わった……」
 乾いた笑みとともに、千景は一筋の涙をこぼした。


 灯りの付いた台所は、静かだった。深夜十二時を過ぎると空気が変わる。
 時計を見ると、短針は二時を指している。
 千景はふらふらと椅子に座り、テーブルに突っ伏した。全身に力が入らず、立っているだけでも辛い。体力も精神力も根こそぎ削り取られた様相だった。
「バカだなぁ、俺……」
 八時過ぎだっただろう。アパート正面の公園で千景が鍛錬をしていると、シゥがやってきた。しばらく雑談していたが、話の流れから千景とシゥが戦ったらどうなるかという事に。そのまま模擬戦闘という名のケンカが始まってしまった。
 軽率な行動を取ってしまったと、千景はしみじみと後悔する。
 向かいでは、シゥが椅子の背に寄り掛かって半分ほど意識喪失していた。千景と同じような有様である。氷の剣は鞘に収められ、椅子に立て掛けてあった。
「……生きてるか?」
 虚ろな瞳を天井に向けたまま、シゥがそう訊いてきた。唇もほとんど動かない、生気の欠けた声である。その声が、シゥの身に起こった事を如実に物語っていた。
 数拍の呼吸を挟んでから、千景は口を開く。
「ああ、なんとか。五時間もぶっ続けで説教その他色々は死ねる……」
「そうか……こっちも似たようなもんだ」
 力無く返事をして、目を閉じるシゥ。
 淡い連帯感が二人の心を温める。
 いきなり決闘を始めた二人に対し、待っていたのは延々と続くお説教だった。懲罰が科されることは無かったのは幸いだろう。だが、三時間に及ぶ説教と始末書の手書きは、二度と軽率な行動を取らないと決心させるのに充分なものだった。
 西部屋の扉が開き、ミゥが出てきた。壊れた部屋は協会の退魔師が修復術で元通りにしている。仕事が早いのは退魔師協会の自慢らしい。
「あのー。シゥ……。お話がありますー……」
 そう言いながらも、目線が泳いでいる。声も頼りない。
 椅子の背に寄り掛かったまま、シゥは億劫そうに首だけミゥに向けた。数呼吸置いてから、小さく訊き返す。
「何だ……? 手短に頼む……」
 ミゥは人差し指で頬を掻き、眉間にしわを寄せる。ひとしきり悩んでから、大きく吐息した。かなり言いにくい事を言わなければならないようである。
 しばらく逡巡していたが、意を決したらしい。
 息を吸い込み、ミゥは口を開いた。
「さっきの乱闘に巻き込まれて、睡草の箱に草塩酸が掛かって全部駄目になってしまいました。全滅です。箱庭の苗が育つまで、一週間ほどかかります」
「………」
 目を点にするシゥ。
 千景は他人事のように眉を寄せた。シゥの大剣に打たれ、ピアたちの部屋に突っ込んだ時を思い出す。薬品が掛かった白い箱が、薄い煙と甘い匂いを上げていた。それが、睡草をしまった箱だったのだろう。
「オレ、ストックもう無いぞ……?」
 シゥは呆然とミゥを凝視して。
 力無くテーブルに突っ伏した。

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氷の大剣 展開1
氷の大剣の表面を数百の氷片として分離し操る。広範囲を一度に攻撃したり、氷片を一度に動かす事で、斬撃の威力を上げたりと、応用は広い。
氷の剣は、一回り細くなる。

帯刃の拘束
腕輪にしている帯刃を素早く相手に巻き付け拘束する。帯刃の効果か、本人の能力かは不明だが、拘束した相手の妖精炎を封じることができる。
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