買い物も全て終わらせた午後四時頃、千景はピアたちの部屋に呼ばれていた。
六畳の畳部屋を四人で使っている。それぞれ自分のスペースに小物類が置かれていた。今は余分なものを押し入れに片付けてあるらしい。
入り口近くに立ったまま、千景は大人しくピアを眺めている。
「召喚……ね」
一通り落ち着いたので、ヅィを千景に紹介するらしい。
部屋の中央には二メートル四方の布が敷かれている。布には多彩な色彩で、幾何学模様の円陣が画かれていた。いわゆる魔法陣だろう。ピアは六枚の金色の羽を広げ、妖精炎を円陣に送り込み、妖精炎魔法を組み上げていた。
ミゥ、シゥ、ノアは千景の横でピアを眺めている。ピアが動かしている妖精炎魔法は、大型だった。このような儀式系の魔法はピアが専門のようである。
ピアを眺めながら、シゥが千景に目を向けた。
「今までは妖精炎魔法使ってピアとヅィが簡単なやり取りしてたんだが、今回は儀式使ってヅィをこっちに呼ぶつもりらしい。思い切った事するわ」
「呼ぶと言っても、こちらに意識と五感を送って擬似的な身体を作るだけですけどねぇ。事前に連絡して、こちらとの情報伝達システムを作ってあります」
ミゥが説明してくる。こちらに仮の分身体を作り、それを幻界から遠隔操作するような仕組みだろう。やっている事は単純だが、非常に高度な技術を必要とするだろう。
「みなさん、静かに――」
そう言ってから、ピアが両腕を広げた。微かに揺れる銀色の髪。背中の翼からこぼれた燐光が円陣に降り注ぎ、複雑な魔法を動かし始める。その式は読めないが、かなり難易度が高く癖のあるものとは分かった。
ピアが静かに宣言する。日本語ではない言葉で。
『開け、幻影の扉』
だが、不思議とその意味は分かった。
円陣から色の糸が伸び、空中に小さな少女の姿を描き上げる。
身長六十センチ弱の女の子。年齢はノアと同じくらいだろう。人間に例えると十三、四歳くらいか。腰下まで伸ばした紫色の髪、紫色の瞳には強い意志が灯っている。薄い紫色のドレスのような服を身に纏っていた。
背中からは紫色の六枚の羽が広がっている。細長い無数の光の帯を、六枚に纏めたような形状。その根元からは、薄い稲妻が散っていた。雷の羽なのだろう。
「終わりました」
ピアが羽を消し、肩の力を抜く。
「ふむ。成功したようじゃな」
紫色の少女がゆっくりと部屋を見回し、ピアに目を向けた。両手を握って開き、身体の具合を確かめながら。その顔に映る、安心の感情。
「ピアか。姿を見るのは久しぶりじゃの」
「ヅィこそ、お変わりなく」
懐かしそうに笑うヅィに、ピアが落ち着いた笑みを返す。
「あと、退魔師協会への交渉、ありがとうございます。おかげで、わたしたちもこうしてご主人様の元に居候できました。今は、みんな落ち着いて生活できています」
「盟友のためじゃ、多少の無理はしてみせる。それより、元気そうでなによりじゃ」
ヅィが安心したように表情を緩め、頷いている。ヅィの外見はピアよりも年下だが、外見年齢はさほど意味を持たないのだろう。
千景の思考を余所に、ヅィがミゥたちに向き直る。
「ミゥにシゥに、ノア。変わらず元気にしているようじゃな」
「ええ、元気ですよー」
「相変わらずだ」
「順調です」
それぞれ返事をする。
それから、ヅィは千景の前まで移動した。紫色の羽を動かし、千景と目線が合うほどの高さまで跳び上がっている。千景に向けられる値踏みするような眼差し。
「主が、彼女らの居候先の人間か」
「あんたがヅィか。話は聞いている」
千景はその眼差しに、同じような眼差しを向けた。
それで言葉が途切れる。
「………」
無言のまま千景とヅィは見つめ合った。相手を探るような鋭さを瞳に映し、目を逸らすこともなく、お互いに視線をぶつけ合う。初めて会う人間と妖精。
何とも形容しがたい、重い沈黙が部屋を埋める。
心配そうな顔をしているピア、薄く苦笑いをしているミゥ、頭の後ろで手を組んでよそ見をしているシゥ、ノアは変わらず無表情だった。
千景とヅィは同時に息をついた。そして、同時に口を開く。
「なんか冴えない男じゃの」
「生意気そうな小娘だな」
出てきたのは、真正直な感想だった。挨拶や自己紹介ではなく、相手を見て思った事を建前もなしに口にする。一般的には非常識と言われる行為かもしれない。
「え？ えっ？」
顔に冷や汗を浮かべながら、ピアが千景とヅィを交互に見ている。その銀色の瞳には、困惑がありありと映っていた。少し眼鏡がずれ落ちている。顔を見合わせただけでいきなり険悪な雰囲気になるとは思っていなかったのだろう。
「あー。やっぱり……」
ミゥが小さく呟いた。こちらはある程度、覚悟はしていたらしい。
少し後ろに下がり、ヅィが首を捻る。紫色の髪が、微かな音を立てた。
「妾の盟友たちを、こんな頼りなさげな男に預けて大丈夫かのう……？」
「安心しな。ちゃんと面倒は見てるよ。それに、こいつらは料理とか掃除とか色々役に立ってくれてるから、大事にするって。お前よりは礼儀正しいし、真面目だし」
千景とヅィは再びお互いに目を向ける。いくらかの鋭利さを乗せて。
「ほほぅ……」
「くくく」
目蓋を下ろす千景と、口元を手で隠して笑うヅィ。
二人の間の空気が、うっすらと歪んでいるように見えるのは、錯覚だろう。千景とヅィは視線で火花を散らしながら静かに威圧しあう。
「予想通りケンカ始めやがったよ、こいつら……」
右手で額を押さえながら、シゥが呻いている。
「ヅィと千景が顔会わせたら、十中八九ケンカすると思っていたけど、本当に思った通りの事始めやがった……。さーて、どうする、この状況？」
ヅィを呼び出す前から、この事態を想像していたらしい。しかし、想像通りにはならないと思っていたのだろう。だが、現実はシゥの想像通りに進んでしまったようだ。見ていられないとばかりに、シゥは視線を窓の外へと向けていた。
「ヅィと千景さまの関係は、一般的には近親嫌悪と呼ばれます」
無感情のまま無表情のまま、ノアが解説を入れる。
「困りましたねーぇ？」
ミゥはただ誤魔化し笑いを浮かべていた。ピアは両手で頭を抱えている。
小さく吐息してから、ヅィがジト眼を向けてきた。
「なかなか図太い性格をしておるの、主よ。我を貫くのもひとつの生き方じゃろうが、少しは謙虚に振る舞ってはどうじゃ？ 損はすまい」
「俺は性格直す気なんて微塵も無いんでね。謙虚に振る舞うってのも、柄じゃねぇ。それよりお前こそ、一回殴ったらその小生意気な性格、直るか？」
にやりと笑い、千景は握った右拳を見せつけた。あまり格闘技の得意な家系ではないが、一般人と比べれば格闘技有段者並の実力は持っている。
両手を腰に当て、ヅィが少し眉を下げた。小さく鼻を鳴らし、軽く手招きする。
「殴れるものならの」
ブン！
千景の放った正拳突きが、ヅィの身体を貫いていた。
「―――！」
ピアが口元を手で押さえる。銀色の両目は驚きに見開かれていた。本当に、迷わず殴りつけるとは思っていなかったようである。
（やっぱりな……）
だが、千景の拳に手応えはない。右腕はヅィの胸をすり抜けている。右腕を引き、左手を横に一閃。しかし、左手刀もヅィをすり抜けてしまった。手応えすらない。
呆れたとばかりに首を左右に振り、ヅィがため息をついてみせる。
「主の前にいる妾は、立体幻視じゃ。姿を見る事はできても、声を聞くこともできても、触れられはせん。例え殴ろうとしても、拳は素通りするだけじゃ。諦めろ、阿呆」
「そうか……な？」
千景は両手を引き、にやりと口端を持ち上げた。
「弾けろ！」
「！」
ヅィが紫色の目を見開いた。
その瞬間、周囲の空間が爆発するような白い閃光を放つ。全方向からの光の爆発が、ヅィの視覚を直撃した。人間でも数秒の意識停止状態に陥る強烈な視覚への衝撃。光は部屋を一度純白に染め上げ、消える。
全身機能を一時停止させ、へなへなと畳の上に落ちるヅィ。
「ヅィ！ しっかりしてください」
ピアが慌てて駆け寄った。しかし、立体映像のヅィに触れることはできず、すり抜けてしまう。数歩前に蹌踉めいてから、身体の前後を入れ替えた。
「お前、いい性格してるな……」
疲れたような表情で、シゥが見上げてくる。その瞳に映るのは呆れと感心だった。千景がここまでやるとは考えていなかったのだろう。
「くっ。油断したわ……」
その場に起き上がるヅィ。その傍らで、ピアが心配そうな顔を見せている。
手で頭を押さえるヅィを見下ろし、千景は余裕たっぷりに笑ってみせた。
「どうよ、冴えない男の一撃は？」
白の衝撃、白鬼蟲が一斉に放つ閃光で相手の動きを止める技である。立体映像のヅィを殴った際に、千景は光を操る白鬼蟲を周囲に撒いていたのだ。触れられないのなら、触れる以外の方法で相手を攻撃する。それほど難しいことでもない。
両目を擦り、ヅィは目眩を振り払うように首を振る。
「予想以上の曲者じゃの。主は」
「当たり前だ」
不敵に笑い、千景は緩く腕を組んだ。
「その調子で、ピアたちのことを頼みたい。妾が自然界に行く事は出来ぬからの……」
ヅィの顔に微かな影が浮かぶ。ピアたちを助けたくとも、助けにはいけない。今も立体映像だけで、人界に来ている。単純に人界への移動ができないわけではなく、幻界を離れられない理由があるのだろう。
千景は腕組みを解き、右手を持ち上げた。
「分かってるさ。こいつらは、きっちり俺が守るよ。生活に不自由もさせないつもりだ。そっちも色々面倒くさい事になってるらしいな。そっちこそ大丈夫なのか？」
その問いに、ヅィの瞳に紫色の炎が灯ったように見えた。口元に挑発するような鋭い笑みを浮かべ、六枚の紫電の羽を広げて、千景の目の前まで跳び上がる。
「くく……、甘く見られたもんじゃな。主は妾を誰だと思っている？ 妖精郷の御子にして、盟友たちとともに郷を救った英雄の一人じゃ。確かに問題は山積みじゃが、そんなものに屈しはせん。絶対に皆を妖精郷に帰してみせるわ」
「頼むぞ」
千景はそれだけを口にする。
ヅィは小さく鼻を鳴らし、薄く笑った。
「言われずとも」
開け、幻影の扉
儀式型の妖精炎魔法。幻影界にいるヅィの意識と五感を、自然界へと召喚し、仮初の身体へと接続する。非常に高度な遠隔操作魔法。
自然界で実体化させた身体は、立体映像なので触れることはできない。
白の衝撃
光を操る白鬼蟲を悟られないように周囲に撒き、強烈な閃光を相手に浴びせる攻撃。直接的な殺傷力は無いが、動きと思考を数秒停止させる。
触ることのできない立体幻視のヅィに対し使用。