Index Top 第2話 緑の探求心

第3章 緑妖精の閃き


「いてぇ……」
 呻きながら、千景は足を進める。右手に紙袋を持ち、左手でミゥを抱えて。
 秋奈との殴り合いの末に、ミゥを奪還することができた。しかし、無傷とはいかない。あちこち殴られ打たれ蹴られ、身体中が痛い。
「大丈夫ですか、千景さん」
 脇に抱えたミゥが心配そうに見上げてくる。
「大丈夫だ……。どうってことない……」
 半眼で道の正面を見据え、千景はうそぶいた。
 いきなり伸縮式警棒を取り出した秋奈。そして、警棒で躊躇無く打ちかかってきた。武器の有無は男女の腕力差をあっさりと埋めてしまう。厄介姉妹は基本的にやることがエゲツない。対して、千景は素手のまま。それでも、よく頑張っただろう。
 何度かの打ち合いの末、秋奈はミゥを開放してどこかに行ってしまった。
「大丈夫には見えませんよ……」
 千景の左腕から抜け出し、ミゥが羽を広げる。空中に緑色の燐光を散らし、六枚の羽を広げた。妖精炎魔法によって空中に留まったまま、両手を腰に当てる。
「あちこち痣だらけじゃないですか……切り傷も何ヶ所かありますし。強がり言わないでくださいよ。そんなにひどい怪我じゃないのが幸いですけど」
 ミゥの見立ては正しかった。あちこちに打撲傷ができていて、所々出血もしている。軽い怪我だが、放っておいていいというほどでもない。術を使うこともないが、それなりの手当は必要だろう。
「でも、これくらいなら、ボクの魔法で治せると思います」
 と、ミゥは両手を千景に向けた。
 背中の羽が輝く。手からこぼれた緑色の燐光が、千景の身体に降り注いだ。そよ風のような力の流れ。光が身体に触れると、痣が消え、傷口が塞がっていく。自己治癒力を高める効果らしい。全身にあった痛みもとりあえず消える。
 妖精炎魔法のようだが、やはりその式は読めない。
「……うーん。やっぱり、人間の治療って難しいですねー」
 一通り元通りになった千景を見ながら、ミゥが眉を下ろした。
 外からは完治したように見えるが、傷跡が少し痛む。表向きの傷を消しただけで、奥までは治療できていない。ミゥも人間を治療したのは始めてだったのだろう。
「それでも、他人を治療できるってのは凄いことだぞ」
 千景は慰めるように告げた。治療系の術は、攻撃系の術よりも難しい。当たり前だが、壊すことよりも治すことの方が難しいからだ。妖精炎魔法もそう違わないだろう。
 一度頷き、ミゥが右手を握り締める。
「今度ケガした時はちゃんと治療しますから、安心してケガして下さいねー?」
「なーんか、俺がケガするのを期待しているように見えるのは、気のせいか?」
 ジト眼で見つめてみるが、ミゥはぱたぱたと手を振った。
「気のせいですよ」
 そう言う事にしておく。
 千景は息を吸い込み、背筋を伸ばした。
 人気のない住宅街を歩いていく。昼時ということもあり、道路を歩く人間の姿は無かった。時々車が走っているが、ミゥに気付く事もなく通り過ぎていく。空は晴れ。白い綿雲が流れている。行き先は、本屋だった。
 隣を飛んでいるミゥに目を向け、千景は口を開いた。
「そういや、お前らってみんな小物持ってるけど。ミゥは何か持ってるのか?」
 氷の大剣、腕輪の刃物、ピアは肩掛け鞄を持っている。ミゥだけは何も持っていないように見えたが、見てないからといって手ぶらということは無いだろう。
「はい。ボクは箱庭の鏡を持ってます」
「箱庭の鏡、ね?」
「これですよー」
 そう言って上着の内ポケットから、鏡を一枚取り出した。
 ミゥの手に収まるほどの小さな四角い鏡。人間の三分の一くらいのミゥの手に収まっているので、千景からしてはかなり小さな鏡だった。郵便切手と同じくらいだろう。緑色の枠に鏡という簡素な構造である。
「この中には……そうですねぇ、千景さんのアパートの二倍くらいの広さの箱庭が作ってあるんです。そこにみんなの荷物を置いたりしています。箱庭の八割は薬草を育てたり、保管したりですけどねー。あと実験用具類」
 得意げにそう解説してくるミゥ。
 昨日、千景のアパートに来た時、どこからともなく荷物を取り出していたが、おそらくこの鏡の中に保管してあったのだろう。どのような仕組みで鏡の中に空間を作っているのかは、鏡を調べてみないと分からない。
「シ……ィ――シゥの睡草も、か?」
「はい」
 ミゥが頷く。
 にっこりと笑って続けた。
「入り方は秘密ですよー」
 そう言ってから、鏡を懐へとしまう。
 千景は昨日からの疑問を口にした。
「つかぬ事を訊くが……ピアの鞄って、何入ってるんだ?」
 ピアの肩掛け鞄。初めて会った時から持っている。料理中も取らないし、風呂に入った時も風呂場に持って行ったような記憶があった。外したのは、昨日の夜千景の所に来た時だけである。
 顎に指を当て、ミゥが視線を持ち上げた。
「そうですねぇ。ここで話してしまってもいいですけど、一応持ち主はピアなので。詳しい事はピアに訊いて下さい。ボクの言うことではないですから」
「ふむ」
 千景は唇を曲げる。
 口調からするにそれなりに重要なもののようだった。ほぼ肌身離さず持っているということを考えても、四人の中でも重要度は最も高いだろう。しかし、ミゥが中身を説明しないほど重要とも思えない。単純に説明するのが面倒なのだろう。
 ぽんとミゥが手を打った。
「そういえば、ピアで思い出しましたぁ。ピアが今朝から元気でしたけど、昨晩何かあったんですか? 千景さんの所に行っていたと記憶していますー」
 昨晩の事を思い出して、一拍息を止める。
 だが、それを正直に言うわけにもいかない。
「ちょっと悩み聞いていた」
 千景は無難な回答を口にした。
 ミゥは何度か頷いてから笑ってみせる。
「そうですかー。それは、ありがとうございます。ピアは生真面目ですから、悩み事とか愚痴とかは聞いてあげて下さい。ボクたちの前だと無理しちゃう人ですから」
「善処する」
 正面を見据えたまま、答える。
 全体を把握し、判断を下し、行動を起こす。リーダーとしての資質。ピアは資質を持ち合わせているが、不完全というのが千景の印象だった。生真面目すぎて無理をしすぎるきらいがある。誰かが適当に補佐をする必要があるだろう。幻界ではその役割の妖精がいたのかもしれない。ミゥやシゥ、ノアではまた役割が違う。
 そう思考を動かしていると、ミゥが千景の肩に乗っかった。
「やっぱり自分で飛ぶよりも、千景さんの肩にいる方がいいですねー。エネルギーの消費が控えられますし、肩車って思ったよりも楽しいですし」
 千景の頭を手で撫でながら、ミゥが楽しそうに足を揺らしている。子供が肩車をしてもらって喜ぶ心境に似ているのだろう。ピアたちは言動は大人びいているが、一方で妙に子供っぽい部分も持っている。
「ところで」
 ミゥがやや真面目な声を出した。
「千景さんって何か特別な血筋なんですか?」
「特別? 一応守護十家の一員だから、特別って言えば特別だけど」
 意味が分からず、月並みな答えを返す。日本でも有数の霊力を持つ守護十家。その分家とはいえ、千景も守護十家の一員として数えられている。一般人という枠に入らないという意味では特別だろう。
 しかし、ミゥが考えたのは、その意味ではないようだった。
「そういう意味ではなくてー……」
 頭をかきながら、ミゥが声を低くする。
 思いついた事を上手く伝えられないようだった。回りくどい質問ではなく、本題を直接口にすればいいだろうが、そうもいかないらしい。
「何かあるのか?」
「気になった事がありまして。ボクの思い過ごしかもしれませんけど」
 自信なさげな声で、そう答えてくる。
 千景は眉を寄せた。
「何だよ?」
 焦らされているようで、不愉快ではある。
 しかし、ミゥは自分の中の疑問を今ここで口に出す気は無いようだった。
「まだはっきり分かりませんけど、おそらく夜までには情報をまとめられると思いますので、それまで少し待っててください。お願いしますー」
 ミゥはそう言うだけだった。

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治療の妖精炎魔法
緑色の燐光を相手に注ぎ、傷の治療速度を高める。基本的な自己治癒力強化の治療法。千景の怪我をある程度治す。ミゥは人間の治療が初めてのため、表向きの傷を塞ぐだけで奥までは治せなかった。
今後改造を加えていく予定らしい。

箱庭の鏡
ミゥが持っている手鏡。見た目は緑色の枠の鏡で、大きさは切手ほど。中に大きな空間が作られており、薬草類を栽培したり荷物を置いたりしている。中に入る方法は秘密。

11/3/3