Index Top 第9話 短編・凉子と浩介

第1章 お泊まりの夜


 リビングのカーテンを閉め、浩介は窓に背を向けた。
 尻尾を下ろし、息を吐く。
 蛍光灯が照らす四角い部屋。窓は閉めているが、空気は肌寒い。身体を包んでいるのは、冬用の厚手の寝間着だった。色は青。以前着ていた夏用よりも暖かい。まだ暖房を付ける寒さではないだろう。
「そういえば、今日リリル見てないけど、どうしたの?」
 お盆にマグカップを乗せ、凉子が部屋に入ってくる。
 白と黒の市松模様の寝間着を着ていた。仕事着だけでなく、私服も白と黒のものが多いらしい。そのような色遣いを好むのは死神の習性と言っていた。
「昼間から出掛けてる。草眞さんから何か頼まれてるらしい」
 浩介は時計を指差す。
 リリルは時々どこかに姿を眩ます。本人曰く草眞に頼まれて仕事をしているらしい。何をしているかは浩介も知らない。内容は一応機密事項と言われている。
 凉子はマグカップをリビングテーブルに置いた。
「ということは、今夜は私たちだけなんだね。女の子三人でパジャマパーティってのも楽しそうだと思ってたんだけど、残念だったなぁ」
 ゆらゆらと尻尾を揺らしながら、ソファに腰を下ろす。
 きらりと目を光らせ、浩介に視線を向けた。
「押し倒していい?」
「リミッター解除して暴れる」
 凉子の右前に座りながら、浩介はジト眼で返す。
 瞬きをして、凉子は頬のヒゲを撫でた。
「……何それ? 初めて聞くけど」
「こないだに草眞さんが仕込んでくれた術だよ。人間の樫切浩介ってリミッターを外して、葛口草眞の分身体のひとつとしてバーサーカーモードになるみたい。ヤバくなったら使って言ってたけど、どうなるかは正直俺もよくわからないな」
 浩介は右手を持ち上げてみせる。
 身体は草眞の分身体ということもあり、浩介の法力や膂力はかなり高い。草眞の話では凉子やリリルなら軽く倒せるくらい。だが、樫切浩介という意識がその能力に大きく制限を作っている。それは構造上仕方のないものらしい。
 そこでいざという時の事を考え、浩介自身の意識を一時停止して、草眞の分身として戦闘を行う術式を先日組み込まれた。身の危険を感じたら使うように言われている。
「………」
 凉子が尻尾を持ち上げる。
「それ、ちょっと見てみたい……!」
「見せられないって。また家壊して直すのは嫌だし」
 目を逸らし、浩介は答えた。
 加減の効かない仕様なので、遊び半分で使うなとも言われている。
 凉子は尻尾を垂らし、マグカップを取った。中身はココアである。それを少し口に含んでから息を吐き出した。
「それは残念だね。でも機会があったら、慎一さんか結奈にリミッター解除の試し割の材料になってもらおう。あの二人ならちょっと無茶しても大丈夫だし」
「その場合確実に俺が試し割られることになりそうだけど」
 狐耳を伏せ、呻く。
 すぐ近くにいる守護十家の人間。浩介がリミッター解除して戦ってもあの二人なら平気だろう。逆にリミッター解除したくらいで勝てるとも思えなかった。以前海に行った時に、限開式を使った凉子を、慎一が一刀で斬り捨てたことを思い出す。
「それはそれで見てみたいかも」
 楽しげに笑いながら、凉子。
「物騒な事言わないでくれ」
 浩介はマグカップを掴んだ。甘いチョコレートの匂いが鼻をくすぐる。この狐神の身体は人間だった頃よりも五感の性能が高い。細かな音の聞き分けや、匂いの嗅ぎ分けができるようになっていた。
 こと、と凉子がマグカップを置く。瞳を輝かせながら、
「話戻って、押し倒していい?」
「何でそこに戻るんだよ!」
 顔をひきつらせ、浩介は声を上げる。
「俺は草眞さんの分身の身体ですけど、草眞さんじゃないんですよ」
 狐色の髪の毛を手で梳きながら、そう続けた。凉子は草眞に強い憧れがある。それを浩介に投影している節があった。本人もそう言っている。
 しかし凉子は暢気に笑って、
「私が浩介くんに興味持ってるのは、それもあるけど、やっぱり珍しいからなんだよね。身体が女で精神が男ってそういないよ。それに男女ともに味わえて、一粒で二度美味しいって感じだし」
 なぜか得意げに頷いた。
「……一応訊いておくけど、凉子さんって男に興味あるの?」
 同性愛であると隠す気はないらしい。もっとも、凉子が興味を示しているのは、浩介が知る限り浩介と草眞だけである。リリルなど他の女に性的な目を向けたりはしていない。そのあたりの基準はよくわからなかった。
「あるよ。普通に」
 あっさりと、凉子は答えた。
 両性愛のようである。
「……うちの家系って両刀使い多いからねー。にゃはは」
 ぱたぱたと手を振りながら、凉子は苦笑いを見せた。
「死神って一体……」
 軽い頭痛を覚えて、浩介は頭を押さえる。死者の魂を連れて行く神。その仕事の詳細はあまり表に出ないという。浩介も死神として仕事をする凉子を一度も見た事がないし、凉子も仕事の事はほとんど話さない。
 ただ、身近に死を扱うため、普通ではない感覚が生まれてしまうのだろう。
 浩介はそう結論づけた。
「あ。そうだ」
「今度は何思いついたんだ?」
 頭の上に電球を点ける凉子に、浩介は冷めた視線を向けた。
 凉子はマグカップのココアを飲み干してから、
「私が浩介くんを押し倒すのが駄目なら、浩介くんが私を押し倒せばいいんじゃないかな? それなら問題ないと思うし。私は別にいいよ?」
 寝間着のボタンをふたつ外し、誘うように身体を傾ける。首元の肌が露わになり、ブラジャーの端も小さく覗いていた。意識を外そうとしても、そちらに目が行ってしまう。
「そこまでしてやりたいの?」
 頬を赤くしながら、浩介は吐息する。
 胸元のボタンを留め、凉子は顎に人差し指を当てた。天井を見上げ、
「うーん。そこまでしてって訊かれると困るけど、今日はそういう気分だから」
「なら、いいぞ」
 浩介はそう言った。
「え?」
 驚いたように瞬きをする凉子。
 浩介は頭を掻きながら、小声で呟いた。内心何を言っているのかと考えつつ。
「……俺も中身は男なんで、そういうのに興味が無いというと嘘になるから。いきなり言われると、困惑するしかないけど」
 身体は女であるが、浩介の自我は変わらず男である。凉子のような可愛い女の子と肌を泡汗られるなら、それを積極的に拒む理由もないもの事実だった。
「ふんふん」
 頷いてから、凉子がソファから立ち上がった。
「じゃ、オッケイだね?」
 笑いながら、浩介の前まで歩いて来てから、肩に両手を置く。
 微かに目蓋を下げ、融けたような眼差しで浩介を見つめていた。頬が赤く染まっている。猫耳がぴんと立ち、尻尾がゆっくりと左右に揺れていた。舌で唇を舐める。
 既にスイッチが入ってしまった凉子に、浩介は釘を刺した。
「でも、これは貸しにしておくから」
「了解」
 笑顔で凉子が頷いた。
 それから、思いついたように呟く。
「でも、ふたなりは駄目だよ。女の子同士であれは邪道」
「分かってま――んっ」
 そう答えた浩介の口を、凉子の唇が塞いだ。

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12/11/1