Index Top 第6話 夏休みが始まって

第4章 やって来た銀狐


 ピンポーン。
 チャイムが鳴った。
 浩介は時計を見上げる。午前十時十五分。
「来たのか?」
 一昨日に草眞から手紙が来ていた。
 明後日――つまり、今日。午前十時十五分に、以前言っていた魂と肉体の齟齬を正せるヤツが来るので、狐神の姿のまま出るように、とのこと。
 玄関に向かいながら、浩介は答えた。
「はい、今開けます」
 サンダルに履き替え、ドアを開ける。うっすらと涼しい室内の空気を押しのけ、外の熱気が入ってきた。外気温は三十度を超えている。
「こんにちは。君が浩介くんですね?」
 ドアを開けて、浩介は固まった。
「草眞くんから話は聞いていますよ。人間の魂と狐神の身体を持つ奇妙な半神。僕は白鋼と言います。短い間ですが、よろしくお願いしますね」
 身長百八十センチ近い妖狐族の女だった。年齢は二十代前半くらいだろうか。細く引き締まった身体、腰まで伸ばした銀色の髪に狐耳、尻尾が一本。温厚さと知的さの覗く赤い双眸に、縁のない眼鏡をかけている。清潔な白い着物に紺色の袴という質素な服装で、頑丈そうな黒いブーツを履いていた。右手にジュラルミンのトランク。
「白鋼さん、ですか?」
「最近はそう名乗っています」
 呆気に取られた浩介の問いに、白鋼は頷く。
「上がっていいですか?」
「はい、どうぞ」
 言われるがままに、浩介はその場を横に退いた。
 一見温厚そうな人物に見えるものの、危険センサーが反応している。この銀狐の女は危ない、と。鬼門寺部長と同質の危なさ。何か大事なモノを因果地平の彼方へと置き去りにしている、そういう壊れた人種。
 白鋼は手慣れた動きでブーツを脱いで、上がり框へと上がった。用意してあったスリッパに両足を通す。ふらふらと揺れる銀色の尻尾。先端が白い。
 尻尾の動きを止めて、振り返ってきた。
「すみませんが、水かお茶をいただけませんか? 喉が渇いていて」
「あ、はい」
 浩介はサンダルから室内履きに履き替え、小走りに台所へと向かう。
 白鋼が来ると聞いていたので、家の中は片付けてあった。元々散らかっていないので、片付ける前とさほど変わっていない。
「コップ、コップ……」
 戸棚を開けてガラスのコップを取出し、それを一度水で洗う。冷凍庫を開けて氷を三つ取出し、コップに入れた。中身が入らなくなるので、氷は入れすぎてはいけない。最後に冷蔵庫の扉を開けて、麦茶のポットを取出し、中身を注ぐ。
 浩介はコップをお盆に載せてリビングに移った。
 冷房の効いた広い部屋。ソファに座っている白鋼。ぐったりと背中を預けて、天井を見上げている。なにやら、酷く疲れている様子。
 尻尾を曲げ眉根を寄せ、浩介は白鋼を見つめた。
「白鋼さん」
「何でしょう?」
 身体を起こし、振り返ってくる。
 リビングテーブルにコップを起き、浩介は改めて白鋼を見つめた。見た目銀狐の女性である。しかし、さきほどからの言動を見ていると、女には見えない。
「白鋼さんって女の人ですか?」
「身体は女ですよ。中身は男ですけど」
 あっさりと答えてから、白鋼はコップを手に取った。表面の薄い結露を眺めてから、一息に中身の麦茶を飲み干し、満足げに息を吐き出した。
「そう、ですか」
 実のところ予想していた答え。
 白鋼はコップの氷を見つめてから、口に放り込んだ。ガリと一口で噛み砕いてそのまま飲み込む。すっきりした顔立ちであるが、顎は頑丈らしい。
「少し前の事件で元の身体が死んでしまいましてね。僕を殺した相手の身体を奪ったんですよ。他人の身体に転生するというのは初めての体験でしたが、成功してよかったです。ちなみに、この身体の持ち主の魂は封印刑を受けています」
「はぁ……」
 どこか居心地の悪さを覚えながら、白鋼の右前のソファに座る。世間話よろしく言っているが、凄まじい修羅場をくぐっているらしい。
 最初に会った時に草眞が愚痴っていたのは白鋼のことだったのだろう。
 七尾の妖狐が暴れて、死にかけの知人、七尾の妖狐と戦った、刺し違えられた、身体を奪って生き延びた、処刑する相手を奪われた、偏屈ジジィ――ジジィ……
「失礼ですが……おいくつですか?」
 浩介の素朴な問いに、白鋼はふと考え込んでから、
「二千七百歳くらいでしたかね? 実は僕もよく覚えていません。以前の身体は見た目二十代後半でしたし、僕もまだまだ若いと思っていますけどね」
「そうですか、長生きですね」
 浩介は曖昧に呻いた。
 世の中には千年単位で長生きしている連中がいるとは聞いていたが、実際に見るのは初めてである。九百歳近い草眞がジジィと呼ぶ意味が分かった。白鋼も草眞のことは子供扱いしている。
 白鋼はぐるりと視線を巡らせてから、
「確か、君のところには魔族の少女が一人いたと思ったのですが」
「今日はどこかに出掛けています」
 リリルは朝からいない。目が覚めた時には出掛けるとの書き置きを残して消えていた。白鋼のことを少し話したので、逃げたのかもしれない。
「そうですか。では本題に移ります」
 白鋼は懐から一枚の紙を取り出した。何かの書類らしい。
「君の場合は通常の術で無理矢理魂と肉体を接続している状態ですね。人間の魂と狐神の身体、本来なら別のものを繋ぐために精霊族の魔力を必要としています。また、約半年で両者に齟齬の影響が現れ始め、一年半ほどで修復不能なまでになり死亡します」
 草眞の言ってたことを確認しているようだった。
 白鋼は紙を懐にしまい、
「そこで、僕が転生の術の応用で、身体と魂を完全に繋ぎます」
「はい」
 頷く。
「細かい説明は省きますが、肉体と魂をDNAレベルで精密に繋ぎ合わせます。他にもいくつかやることがありますが、そこは機密事項ですね」
 DNAレベルということは、分子レベルの精度。常識的に考えて不可能に等しいが、可能なのだろう。白鋼には不可能など存在しないと思わせる凄みがある。
 浩介は気になっていたことを口にした。
「その術はここでやるんですか?」
「はい。衛生環境などは特に関係ありませんので、病院に行く必要もありません。僕も忙しいので、今から病院に行っている暇はありません」
 言いながら、白鋼はトランクを開けて、中の薬瓶を取出していく。テーブルに並ぶ大小三十個近い瓶、精密電子天秤に薬包紙、薬匙にメスシリンダー、ビーカーふたつ。トランクの総容量より多いようにも見えた。
 瓶のラベルを確認しつつ、白鋼が言ってくる。
「まず、肉体と魂の接続作業を行います。服を全部脱いで下さい」
「はい?」
 浩介が訊き返すと、白鋼は瓶の蓋を開けながら、
「作業の邪魔になりますので、下着まで全部脱いで下さい。いかがわしい事をするわけではありませんので、その点は安心して下さい」
「ここで……脱ぐんですか?」
 逃げ出したいような心境で、訊いてみる。
 白鋼は薬包紙と精密天秤で薬を量りながら、
「場所はどこでも構いませんよ。作業時に裸でいてくれるのならば。僕も脱衣を見たいわけではありませんので」
「風呂場で脱いできます」
 浩介はそそくさとリビングを後にした。

Back Top Next