Index Top 第5話 割と平穏な週末

第8章 合い言葉


 スタッフロールが流れきる。
「ようやく……終った」
 浩介は大きく息を吐き出した。リビングテーブルの上のリモコンを掴み、停止ボタン。全身から力が抜けて、重い疲れが押し寄せてくる。
「そろそろ放してくれないか?」
 抱えたリリルが、疲れたような声を漏らした。 
 膝の上に乗せたまま両手でがっしりと抱き締めている。
「嫌だ」
 きっぱりと告げてから、浩介は時計を見やった。そろそろ十時になる。月曜日の午前中の講義は取っていないので、多少夜更かししても大丈夫。
 だが、リビングに居てもやることがない。
 浩介はリリルを抱えたままソファから立ち上がった。いつも通りの慣れた足取りで、部屋を出て電気を消す。それだけで、真っ暗になる一階。無駄に広い家なので、普段は余計な電気を付けていない。
 リリルを抱えた両手に力を込めてから、階段を昇っていく。
 ぎしぎしと木のきしむ音に尻尾を縮ませ、階段を上り切った。二階の廊下を歩いてから、自室のドアを開け、中に入る。灯りを付けてから、冷房のスイッチも入れた。
 ベッドに寝転がり、一息つく。
「いい加減放せ」
 抱えたままのリリルが不機嫌そうに呻った。
 浩介は背伸びをして、尻尾をぴんと伸ばす。身体を起こしてから、リリルの頭に手を置いた。左手でしっかり捕まえたまま、右手で銀髪を撫でる。
「最初に言っただろ? 後悔させてやるって」
「怖いのかよ……」
 リリルの問いに、浩介は頷いた。ぱたぱたと尻尾を動かし、
「怖いに決まってるだろ。妙なこと訊くなぁ、この悪魔っ娘は。怖いからこうしてお前をしっかり抱きかかえてるんだろ。分かったか? はっはっは」
 柔らかい頬を指でつつきながら、笑ってみせる。
 嫌そうなオーラを出してはいるが、契約の関係上主人の行っていることに逆らうことはできないらしい。普段はしないが、今は思う存分撫で回せる。
 呆れたようにリリルが言い返してきた。
「お化けが怖いって、お前……退魔師の息子だろ? 一番最初にアタシに会ったときも手に法力込めて殴りかかってきたし、幽霊くらい何とかなるだろ」
「見えるから怖いんだよ……」
 霊術の基礎は教えられていたので、人間だった時も幽霊は見えていた。見えているだけに時々向こうに気づかれることもあり、さらに近寄ってくることも何度かあった。ようするに取り憑かれた状態。
「幽霊って人間じゃないんだもん」
 幽霊は微妙にエグい姿の連中が多いし、触られた時の悪寒も酷いのだ。中途半端に見えていると、逆に恐怖を悪化させることとなる。殴って追い払えるとはいっても、生理的恐怖心はどうしようもない。
「今までオカルト関係は出来るだけ見ないようにしてたんだよ。怖いから」
「ふーん。今カーテンの隙間から覗いてるヤツはいいのか?」
 ビクリと肩を跳ねさせ、窓を見る。
 閉じられたカーテンから覗いている者はいない。目を見開いて、部屋中に視線を飛ばす。居ないことは分かっているが、安心できるものではない。
 浩介の様子を確認しながら、リリルは妙に落ち着いた声を出した。
「尻尾まで巻いて、本気で怖いんだなー」
「何かお仕置きして欲しいのかな?」
 頬を引っ張りながら、無駄に快活に呟く。お腹を押さえていた手が、すすすと胸の方へと移動していた。逃げることもできずに、リリルは身体を硬直させる。
 だが、浩介は我に返った。
「おっと、こんな時にエロいことするのは襲撃フラグだ。自重しよう」
 冷や汗を拭ってから、神妙に頷く。
 男女がいちゃついてる所に現れるモンスター。古来より伝わる死亡フラグである。
 浩介はリリルを放してから、ベッドから立ち上がった。適度に室内の温度が下がったところで、冷房から除湿に切り替える。
 そのまま真顔で頼んだ。
「できれば、今晩は一緒に寝て欲しいんだけど」
「お前はガキか」
 心底呆れた顔で言い返すリリル。
「アタシは一人で寝るから、お前も一人で寝ろ」
 そう言いながら、ドアへと向かう。
 浩介は小声で呟いた。
「ソラ見れどれどれー」
「?」
 ぴくりと尖り耳を動かし、リリルが振り向いてくる。だが、ただの独り言と理解したらしい。怪訝な表情をしてから、ドアを開けて部屋を出て行った。
 数秒ほどすると、
「コースケェ!」
 叩き付けるようにドアを開け、リリルが戻ってきた。息を荒げて、微かに震えているのが分かる。つかつかと詰め寄ってから、叫んだ。
「お前、アタシに何をしたァ!」
「保険」
 浩介は告げた。ぴっと人差し指を立てて、
「草眞さんの手紙に、リリルの操縦方法というものが書いてあった。特定の合い言葉で特定の行動を取るように命令し、その後その命令をしたことを思い出さないように命令する。今回の合い言葉では、物凄く臆病になるというもの」
 合い言葉ひとつで自由に感情と行動を操作する仕掛け。週の中頃に仕込んでおいた。これは、滅茶苦茶恐がりになるという合い言葉。なかなか便利である。
「ふざけるなアアア!」
 両腕を振り上げ、絶叫する。
「後ろ」
 浩介はリリルの後ろを指差した。
 びくりと大袈裟に肩を跳ねさせ、リリルが背後を振り向く。当たり前であるが何も居ない。ピンと尻尾を伸ばして周囲を見回してから、視線を戻した。
「いるわけねーだろが!」
「はっはっは」
 ぱたぱたと尻尾を動かしながら、浩介は明後日の方に向かって笑って見せる。自分よりも怯えた人がいると、逆に冷静になって恐怖も薄らぐのだ。人間心理だろう。
 額に青筋浮かべて、リリルが呻る。
「いいから元に戻せ……」
「い、や、だ♪」
 爽やかに笑いながらリリルに近づき、ひょいと抱え上げる。直接触れていると分かるが、確かに震えていた。ついでに抱きかかえられたことで恐怖が少し薄れたことも。
 浩介はリリルの頭を撫でながら、
「それより、これからどうするんだ? 自分の部屋に戻って一人で寝るのか? 何か出てくるかもしれないけど、お前なら大丈夫だろ。俺より強いし」
「………」
 歯を食いしばって黙り込む。
 今の状態で自分の部屋に戻ることは出来ない。暗い廊下を歩き、一人で寝る。普段のリリルならなんとも思わないが、今は無理だ。
「なんなら帰って一人で寝ろと命令してもいいが」
「お前はァ……いつか絶対に殺ス」
 ぎしぎしと歯ぎしりしながら、リリルが呻る。
「最初に俺にホラー映画を見せたお前が悪い」
 浩介はぽんぽんとリリルの頭を叩いた。
 フシュー、と噛み締めた歯から息が漏れる音。
「今、滅茶苦茶後悔してるが?」
「はっはっは。自業自得ー」
 再び気楽に笑いながら、浩介は机に移動した。
 膝にリリルを乗せたまま、パソコンを立ち上げる。三十秒ほどで起動、インターネットブラウザを立ち上げた。ホームに設定してある検索サイトに、無造作に入力。
「洒落にならないくらい怖い話」
「お前、嫌がらせか?」
 睨み付けてくるリリルに、浩介は正直に答えた。
「実は俺も怖い……」
 サイトには飛ばず、お気に入りから行き付けのイラストサイトを開く。日記などを眺めつつ、画像を保存。ついでに、Web拍手ボタンを押した。
 浩介は世間話のように気楽に告げる。
「ちなみに、絵に描いたようなブラコン妹になる合い言葉もかけてあるので、あらかじめご了承下さい」
「オイ!」
 それが、リリルの一番恐怖に満ちた声だった。

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