Index Top 第4話 猫神の凉子 |
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第6章 目が覚めてから |
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浩介は目を開けた。 ぼんやりと辺りを見回す。自分の部屋。ベッドの上に寝かされていた。夜寝るときに掛けているタオルケットが乗せてある。服装は寝間着、下着もちゃんと着ている。 部屋の明かりは付いているが、外は薄暗い。夜七時くらいだろう。 「あれ……?」 風呂に入った、そこまでは覚えている。そこから何があったのか思い出せない。のぼせてしまったのだろうか? そんなことを思っていると、 「起きた、浩介くん」 声の主を見る。 凉子。椅子に座って、本棚から持ち出したらしいライトノベルを読んでいた。一目で分かる、手慣れた手付き。日常的に読んでいるのだろう。 「あ」 風呂での痴態を思い出し、浩介は呻いた。 「ちょっとやり過ぎちゃった。ごめんね」 悪びれもせず、凉子が微笑む。 浩介はベッドから身体を起こし、引きつった表情で凉子を見つめた。 「ちょっと……どころじゃないでしょ」 「うん。そのことなんだけどね」 凉子は椅子から立ち上がり、本を本棚に戻す。 「あれから草眞さんに連絡したんだけど――。浩介くんって、物凄く敏感みたいなんだ。普通の女の子よりも、何倍も感じやすみたい」 「ん。何だそれ?」 敏感。自分と凉子の反応を冷静に思い返す。浩介は凉子よりも感じていた。脳が焼け付くほどの性感。実際に意識を失っている。 「ほら。浩介くんって、元々男だったでしょ? 当たり前だけど、女の子としての感覚なんて知らないよね? 男の子の感覚は知ってるけど」 「ああ。そうだな」 頷く浩介に、凉子が説明する。 「でも、今は身体も脳も女の子。しかも狐神の女の子ね。今の身体で女の子の感覚を得ると、勝手に脳がそれを処理しちゃうんだ。男の子の記憶と知識はそんなこと知らないし、分からない。でも、本能的に快感を求めて、そこで知識と感覚が衝突して、凄く過剰な反応が起こっちゃう」 「言っている意味がいまいち分からない」 「初めて自分の尻尾触ったのと同じ感覚」 「非常に分かりやすい例え、ありがとうございます」 さらりと言った台詞に、浩介は深々と頭を垂れた。 未知の感覚に対しての過剰反応。身体が慣れるまで、この状況は続くだろう。実を言うと、自分が淫乱じみているという感じはしていた。 話題を変えるように、浩介は問いかけた。 「そういえば、草眞さんが神の資格がどうのこうの言ってたような気がするけど。それ、どうなってる? まだ何も言われてないよな」 「はい。これ」 凉子が手帳を差し出してくる。 浩介は手帳を受け取った。手の平大の黒い手帳。中を開くと、顔写真や名前、生年月日などが記されている。五級位の半狐神・樫切浩介19歳。9月13日生まれ。職種:神界技師見習い、など。残りはメモ帳のようになっていた。 薄い法力のようなものが感じられる。 「生徒手帳?」 浩介は見たままの感想を述べた。 「神界手帳。神格を持たない神が持つ仮免許みたいなモノだよ。生徒手帳でも間違いないけどね。運命因果に干渉する『神格』はもっと修行しないと貰えないよ。浩介くんなら二十年くらいで貰えると思うよ」 「気長な話だなぁ……」 手帳を横に置き、しみじみ呟く。ぼそりと呻いた。 「あー。明日、どうするか……」 「結奈のことなら私に任せて。結奈をどうにかする方法なら考えてあるから。それより、ご飯にしよう。私が腕によりをかけて作ったんだ」 凉子は笑いながら、ドアへと向かった。 夜中の二時頃だろう。 リリルは屋敷の裏手にやって来た。 「おい、リョーコ」 「あ。早かったね」 凉子が顔を上げる。法術の光明の下、木箱に座って漫画本を読んでいた。読んでいた本を羽織のポケットにしまい、立ち上がる。尻尾を一振り。 「こんな夜中に何の用だ? 大事な話があるって、時間くらい選べ」 愚痴りながら、睨む。夕食後、凉子にこっそりと手紙を一枚渡された。浩介に気づかれないようなタイミングで。深夜二時、家の裏に来いとのこと。 無視してもよかったのだが、気になって来てみた。 「お主に、頼みたいことがある」 リリルは身を翻し、跳び退った。 浩介――いや、浩介を動かした草眞が立っている。パジャマ姿で、緩く腕を組んでいた。浩介の意識はないだろう。眠っている最中に動かしている。 リリルは右手に魔力を込めた。が、 「おっと、わしの許可なく喋るな、逃げるな、魔法も使うな」 「………!」 奥歯を食いしばり、命令に従う。浩介の身体を動かしているのは草眞である。だが、浩介の命令なのだ。逆らえない。 「では、草眞さん。私はこれで失礼します」 「うむ。仕事、頑張るのじゃぞ」 「はい!」 元気よく返事をして、凉子は暗闇の中に消えた。 「さて、リリル」 草眞はリリルに目を向ける。 「前置きは抜きにして、用件だけ伝える。お主を神界第十師団直属の諜報員として採用したい。無論、報酬はきっちりと払う」 何だそれは! 視線だけで言い返す。 草眞は腕組みを解くと、両手を動かした。 「お主の盗みの腕は、間違いなく本物じゃ。神殿の深部に侵入し、宝物や禁術の写本を盗み出す。治安の良さに少々平和ボケしていたことを差し引いても、その実力と度胸は賞賛に値する。昭之助に見つからねば、盗みは成功していたじゃろうな……」 昭之助。神殿にいた雑用係の式神である。見つかったのは本当に偶然だった。結果、駆けつけた草眞に捕縛され、封印され、今に至る。 「リリル……これは、お主の名前ではない。族長に頼んで、記憶を改竄してもらった。神殿に侵入した魔族――今の無力な姿を知れば、名を上げようと命を狙う輩も出て来るし、復讐される可能性もある。お主も恨みを買っとるし、お主の盗品売買関係からの逮捕者は三十人にも及ぶ。当然、その連中はお主を恨んでおる」 草眞は明後日の方を向いて、苦笑した。 「あと、ジジィに頼んでちょいとイカサマを仕掛けてもらったが……大声では言えぬ」 今の無力な状態。無意識のうちに思考から外していた。誰かに見つかり公にされるのは、まずい。たかだか四級位の凉子にも及ばない力。以前ならば、十秒も経たずに倒せたような相手だ。しかし、今では歯が立たない。 その状態で敵に遭遇すれば、ひとたまりもない。 記憶の改竄もリリルを保護するためのもの。他にもいくつか仕掛けてあるだろう。 「お主の身の安全を保証する代わりに、わしらに協力する。どうじゃ? 悪い条件ではないと思うがの。報酬は現金か、相応の価値のあるもので払う。答えを聞きたい」 「気に入らねぇ!」 リリルは言い捨てた。草眞の目的はひとつ。リリルを自分の手駒にすること。有能な敵は有能な味方になる。その言葉通りのことを実行しているのだ。恩義や恨みなどの感情で動いているように見えて、その実恐ろしく実利主義で打算的。狡猾な雌狐である。 「……そう言うと思ったわ。じゃが、お主に拒否権はない。浩介が命令すれば、お主の意志に関係なく従うこととなる。それに――」 一拍の間を置いてから、草眞はにやりと笑った。 「今ここでお主の真名を吐かせてもよい」 「ぐ……!」 脂汗を流し、呻き声を漏らす。草眞に真名を知られても、致命的ではない。だが、目の前の浩介に真名を知られたことにもなるのだ。そうなれば、魂を奪われ、絶対的崇拝忠誠とともに、死ぬまで浩介に従うこととなってしまう。 「分かった。その条件を呑む」 リリルは無感情に答えた。 「ただし、アタシからも要求がある」 「ふむ。とりあえず聞こう」 草眞は興味深げに言った。 |