Index Top 第1話 浩介、キツネガミになる

第6章 絶体絶命


「は?」
 言われたことの意味が分からず、浩介は間の抜けた声を出した。
 リリルはぱたぱたと手を動かしながら、笑う。
「この糸と法具でアタシを拘束してから、服を脱がせて染料を塗ったハンコを所定の位置にぺたり。本来ならややこしい儀式があるんだけど、こいつらに掛けられた術が勝手に動いて、従属の仮契約を結んでくれる、と。最後に、性交渉をして本契約完了。普通、神と魔族の間じゃ契約を結べないんだけど、お前は魂が人間だから契約も結べるようだな。あと、こっちの印でアタシの魔力を奪い取ることもできるぞ」
 すらすらと言ってくる。
「ま、順調に行けばそうなってた――かもしれないな。お前が不用意に封印の箱を開けなければ、だけどな。対等ならともかく、完全従属の遣い魔なんてごめんだぜ」
「………」
 浩介は無言のまま、ため息をついた。キツネ耳と尻尾がたれる。
「何がしたいんですか、草眞さん?」
「アタシに訊くなよ」
 声が出ていたらしく、リリルが答えた。
 誘惑するような眼差しで、浩介を見つめている。音もなく、唇を舐めた。エロティックな仕草。だが、言いようのない不気味さ。
「お前はアタシを遣い魔にしたいと思ってる?」
「いや。全然」
 浩介は両手を振りながら、全力で否定する。
「俺は疲れてるんだ。キツネになってから、どうにも調子が悪くて、授業にも身が入らない。あんたがこれから何しようが俺は興味ないよ。俺には何もできないからな。これから、寝るんだ。邪魔しないでくれ」
 そう言って、リリルに背を向けた。
 階段に行くため、リビングに足を踏み入れる。
「逃がさないぜ。坊や」
 背後から声がする。背筋を撫でる、威圧感。
 浩介は右手を固めた。リリルの位置を気配で探りながら、拳に法力を練りこんでいく。深く息を吸い込んでから、振り返りざまに正拳を放った。
「………」
 飛んできたボールでも掴むように、リリルは拳を止めた。
 不思議そうな――心の底から理解できないといった、思い切り不思議そうな目で、浩介を見つめている。眉根を寄せて、首を傾げ、
「………。で?」
「はっ!」
 浩介は左足を振り上げた。
 軸足を払われて、転倒する。
 フローリングの床に転倒したところで、右腕を極められて動けなくなった。逃げることも、動くこともできない。絶体絶命である。
「ひとつ、訊いていいかな、コースケくん?」
「ああ……」
「お前、弱すぎだろ」
 リリルは無情に告げてきた。
 浩介はフローリングに額をぶつける。
「天と地ほどの実力差があることは、アタシも理解してるけどさ。法術で攻撃してこないか? フツー。パンチはないだろ、パンチは? 体術が得意ならともかく、ちょっと法力込めただけのパンチはないだろー。浮遊霊殴るわけじゃないんだからさ」
 嘲笑するわけでもなく、嬲るわけでもなく、批評するわけでもない。純粋な疑問といった口調。それだけに、容赦なく心をえぐる。
 浩介は肩を震わせた。
「俺だってな! 法術のひとつも決めたいさ! 炎やら雷でバシッと一発打ち込みたいさ! だけどな、俺は蝋燭くらいの狐火しか使えないんだよ! 退魔師の息子だったけど、霊術すらろくに知らない! しかも、この身体になったのは五日前! 今だって、身体が思うように動かないんだ! 文句あるか、チクショー!」
 ヤケクソ気味に声を張り上げる。
 リリルは手を放した。
 浩介はその場に立ち上がり、リリルを睨む。
「……哀れだ」
 一言呟くリリル。
 浩介は涙を流しながら殴りかかった。
 触れることもできず、左手だけで弾き飛ばされる。リビングまで飛んで、床に倒れた。しかし、どこにも痛みはない。魔力で弾かれたのだろう。
 起き上がると、目の前にリリルが立っていた。
「こほん」
 と、咳払いをしてから、訊いてくる。
「つかぬことを訊くが、その身体でオナニーしたことあるか?」
「? ないよ」
 一呼吸置いてから、浩介は答えた。
 健全な男には、女になって未知の性感を楽しんでみたいという欲望がある。しかし、実際に女になってみると、そんな気分にはなれなかった。初日に真似事をしてみただけである。その時も、性的快感は得られなかった。身体の違和感もあり、男としても女としても遊んでいる余裕はない。
 リリルは一度視線をめぐらせてから、
「んじゃ、男とセックスしたことあるか? うほっじゃなくて、女として男とヤったことあるかって意味だぞ。念のため」
「あるわけないだろ!」
 顔を赤くして、浩介は言い返した。
 いくら身体は女でも、心は男である。男に身体を許す気にはなれなかった。男とヤるなど、想像もできないし、想像したくもない。
 リリルはさらりと言う。
「お前、アタシの奴隷にならないか?」
「は?」
「こういうこと」
 額を指で突かれる。
 ゾワ……
 全身を駆け抜ける戦慄。浩介は両手で身体を抱えた。凍えるように寒い。身体の芯が焼け付くように熱い。高熱で寝込んでいる状態が一番近いが、それとは違う。
「何を、した……?」
「Sexual Excitement――発情の魔法だ」
 リリルは悪魔のような笑顔を浮かべた。

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