Index Top 第7話 森の中で

第2章 初めての野営


「これ、食べられるの?」
 クキィは赤い木の実を摘み上げた。
 見た目はサクランボである。ガルガスが取って来たものだった。どこにでもありそうな実である。食べられそうと言えば食べられそうだが、逆に毒と言われればそうも見える。野草の知識の無いクキィには、よく分からない。
 それが二十粒ほど、ハンカチに積まれている。
「食べられるぞ。ちょっと酸っぱいけど」
 木の実を口に放り込みながら、ガルガスが笑った。
 口に赤い実を放り込み、何度か噛んでから呑み込む。
 尻尾を動かし、クキィはジト目で言った。
「あんたが食べられても、あたしが食べられるとは限らないでしょ。不味くても毒入ってても、そもそも食べるものじゃなくても、あんたなら食べられるでしょ」
「そうかもしれん」
 あっさりとガルガスが認めた。
 パチパチと音を立てながら焚き火が燃えている。空を見上げても星は見えない。まだ雲に覆われている。周囲は暗い。遠くから動物や鳥の鳴き声が聞こえてくる。流れる空気に木の枝や草が揺れる。気温は下がっているため、焚き火の近くでも寒い。
 クキィは意を決して実を口に入れた。
 何度か噛んでから、顔をしかめる。
「酸っぱい……」
 奥歯に引っかかった種を横に吐き出した。黒い粒が地面に落ちる。
 品種改良もされていないため、種は大きく、皮も厚い。甘味も薄い。食べられないものではないが、食べやすいものではなかった。
 それでも我慢して食べる。
「リアがいればネズミなりリスなり捕ってきて適当に捌いてくれるんだろうけど。今はいないしな。あいつは一人で何でもできるし、頼りになる」
 ガルガスが木の枝に刺したキノコを焚き火の近くに刺していた。茶色の傘を広げたキノコである。クキィが食べられるものかは不明だ。
 あぐらをかいた膝に肘を突き、手に顎を乗せる。クキィは大袈裟にため息を吐いた。
「リアって軍人よねー。本人ははっきり言う気無いみたいだけど、絶対軍人よね。無茶な訓練受けてるようなヤツ。うん。あたしはそう決めたわ」
 リアの姿を思い浮かべながら頷く。
 それから、クキィはガルガスに目を移した。
「ところでさ」
 一瞬言うべきか迷ってから、息を吸い込み、訊く。
「あんたって結局何者なの?」
「んー。俺は俺だ」
 ガルガスは暢気に答えた。
「……そう言うと思ったわよ」
 背筋を伸ばしながら、クキィは眉間に指を当てる。まともな答えが返ってこないことは予想していた。しかし、答えになっていない答えを言われ、安心している自分がいる。正直に答えられたら、そちらの方が驚いただろう。
「まあ、人外よね……。あのディスペアも真正面からあんたとやり合うのは嫌がってるし、無茶苦茶なのは最初に会った時から変らないし。歩き回る不条理だとか、徘徊する混沌とか、イレギュラーとか異端分子とか……凄い呼ばれようね」
「なかなか格好いい肩書きだと思うぞ」
「そうかしらね?」
 ガルガスの言葉にクキィは首を傾げた。
 パチと焚き火の爆ぜる音が響く。音は周囲の暗闇に呑み込まれて消えた。静かに流れる風に、木々が微かにざわめく。意識が研ぎ澄まされるような感覚。夜の森は不気味なほどに静かだ。それでいて妙に騒がしい。
「あんたの口から聞けるとは思ってないし、あたしもなんとなく想像は付いてるけど」
 クキィは尻尾を持ち上げた。
「おじさんってそういう怪しい部分無いわよね……。まるっきり普通の人だし」
「おっさんは凄く頭いいぞ」
 適当に焼けたキノコを口に入れるガルガス。
 カッター=タレット。天才と自称し、それに見合った肩書きと頭を持っている。だが、色々と破天荒なガルガスやリアなどに比べ、ひどく普通に見えた。素性もしっかりしている。少なくともクキィがネットで調べた限りでは。子供の頃からウィール大学の系列学校で勉強していたらしい。
「……そうなんだけど、説得力が無いというか、知的って印象が無いっていうか。見た感じ、ただのキザなおじさんだし。煙草好きだし、お酒も好きだし、白衣はやたらぴしっとしてるけど。でも、ヒゲの手入れは適当よねー」
 自分のヒゲを引っ張りつつ、クキィは頷いた。
 口元からまばらに伸びた細いヒゲ。獣人系亜人特有のものである。ヒゲは他の被毛よりも丈夫で長い。切ったりはしないが、よく手入れをしている。
「それは個人的に気に入らないわ」
 そのためか、タレットの無精ヒゲを見ると、苛立ちが湧いてしまう。
 クキィは燃える焚き火を見つめた。かなり気温が下がっている。服装は平地と変らず赤い半袖の上着とズボン。さすがに寒かった。
「寝る場合はどうすればいいの?」
「使え」
 どこからともなく。
 文字通りどこからともなく、ガルガスが一枚の布団を取り出した。布製の布団ではない。淡い光沢が見える表面。端っこに取り付けられたタグには、防寒ブランケットと記されている。登山や災害避難の時などに使われるものだろう。
「………」
 クキィは渡されたブランケットを身体に巻き付けた。
 薄い見た目のわりに、意外と暖かい。体内から作り出された熱が、ブランケットに遮られ、中の温度を上げていく。冷たい空気は中の暖かい空気に触れられず、熱を奪うこともできない。防寒効果は高いらしい。
 ブランケットにくるまったままガルガスを眺める。
「あんたはどうするの?」
「座ったままでも眠れるだろ」
 焼けたキノコを囓りながら、自分のコートを指差した。
「いいけどね」
 クキィはブランケットから出した尻尾を左右に揺らす。


 森の中に差し込む朝日。
「おはようございます」
「おはよう……」
 現われたリアに、クキィは低い声で返事をした。
 いつもと変らぬ水色の帽子に水色の長衣。右手に月と星の紋章の杖を持ち、左肩に大型の自動小銃を下げていた。バトルライフルという近距離専用の小銃らしい。背中には小さなリュックを背負ってる。
 目を擦りながら、クキィは横を見た。
 座ったままガルガスが眠っている。
「眠そうな顔をしていますね、クキィさん」
「こういうのは慣れてなくて。眠ったのにかえって疲れた気がするわ……」
 その場に立ち上がるクキィ。防寒ブランケットを畳みながら、腰を左右に動かした。身体の奥からぱきぽきと響く音。固い地面に寝ていたせいで関節が痛い。ちゃんとした食事も取っていないので、昨日よりも体力が落ちていた。
「あのさ……。実はここはキャンピングカーの近くで、あたしに野営の訓練とかさせるために、わざと遠い所に行ってるって嘘付いたとかそういう事は無いかしら?」
 尻尾を揺らしながら、訊いてみる。
 しかし、リアは否定した。
「残念ながら、そういうことはありません。ここは停車した所から、六キロくらい離れています。でも大丈夫ですよ。真っ直ぐ歩けば二時間くらいで着きますから」
 視線を西に向ける。その方向にキャンピングカーがあるようだ。タレットが留守番をしているのは体力の関係だろう。
「遠いわね」
 額に手をかざし、呻く。
 リアがリュックを地面に下ろした。
「あと、クキィさん。左手を出して下さい」
「左手?」
 何の気無しに、クキィは左手を持ち上げて。
 カシャ。
 硬い音が響く。
「!」
 耳と尻尾をぴんと立て、それを見る。
 腕輪だった。飾り気のない赤い腕輪。重くはない。アクセサリのようにさりげなく、手錠のようにしっかりと、腕に嵌められていた。
 昨日タレットが言っていた事が脳裏によぎる。
「とりあえず腕輪を付けるということになりました。ご了承下さい」
 落ち着いた笑顔で、リアが言った。

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