Index Top 一尺三寸福ノ神

第32話 意外な助っ人


 電気屋のベンチに座ったまま、鈴音は空を見上げた。風は相変わらず強い。
「ここから一樹サマのお家まで帰るには、どうしたらいいのですか……?」
 入り口横にある休憩所。自動販売機ふたつと、背もたれのない古いベンチがふたつ置かれている。鈴音のいる休憩所は、風が建物に遮られているので、風の影響は弱い。それでも髪や袖が揺れるほどの強風があるが。
 まだ開店直後なので、人の姿は少ない。二車線道路の向こうには、本屋が見える。
「どっちにお家があるかは分かるのですが、方向しか分からないのです。まさか歩いて行くというわけにもいかないのです。でも、最悪歩くしか無いのですかね……?」
 胸元に手を当てながら、鈴音はため息をついた。一樹の部屋の神棚に置かれた、自分の依代であるお守り。それがどちらの方向にあるかは漠然と分かる。だが、方向が分かっても移動手段が無い。徒歩ではあまりにも効率が悪い。
「まったく、実に洒落にならない事態になっているのだ……」
 自分の口が勝手に動いた。
「!」
 慌てて右手で口を塞ぐが、左手が自分の意志とは関係なく動いて右手を掴む。左手を動かそうとしても、動かない。白かった袖が、赤い色に変わっていた。
 振り向いてガラスに映った自分の姿を見つめる。
 長い黒髪の左側が白く染まっていて、左目も黒から赤色に変わっている。上着の左袖が、白衣の胴部分から離れて、色も白から赤に変わっていた。
「琴音なのですか! これは何なのです……」
「どうもオレが一度表に出たら、お互い自分の意志で一部を表に出せるように作られていたようなのだ。お前が許可すれば、オレが全部表に出ることもできるのだ」
 驚く鈴音に、琴音がそう答える。端から見れば一人芝居をしているように見えるが、幸い見ている者はいない。他人の視線を気にしている余裕もなかった。
「ふぅむぅ。なるほどなのです。これは凄いのです」
 意識を向けてみると、琴音の存在がかなり強く感じ取れる。今までかなり希薄だったお互いの繋がりが、今は自覚できるほどに強くなっていた。しかし、相手の考えを読むことはできないらしい。そのため、同じ口を使った会話が必要である。
「オレもさっき気づいたのだ。それより、どうするのだ……この状況?」
 感心する鈴音だが、琴音の冷淡な台詞に、現実に引き戻された。見知らぬ場所で迷子。頼る相手もいない。帰る方向は分かっても移動手段が無い。ほぼ八方塞がりである。
 鈴音は右手の人差し指を持ち上げた。
「一樹サマに口寄せして貰えれば……!」
 口寄せの術を使えば、離れた場所にいても一瞬で空間転移ができる。式神と持ち主という主従関係に近いものがあるため、一樹は鈴音の口寄せが可能だった。
 しかし、琴音は呆れたように答える。左手で頭を押さえて、
「オレもお前も、小森一樹には口寄せの術教えていないのだ。それ以前にあいつは普通の人間だから、術は使えないのだ……」
「うぅ。こんな事になるのだったら、口寄せ用の術符作っておくべきだったのです」
 的確な指摘に鈴音は呻いた。術師でない普通の人間では、口寄せの術は使えない。鈴音が自分自身を口寄せする術符を作ることはできるので、それを使えば口寄せは可能である。だが、必要となるとは思わなかったので、術符は作っていなかった。
「後の祭りなのだ。無事に戻れたら、何枚か作って小森一樹に渡しておくのだ……」
 そう唸ってから、琴音は続ける。
「とにかく、あいつ連絡出来ればいいのだ。連絡さえつけば迎えに来るなり何なりできるのだ。ここの電気屋の名前は分かっているのだから、場所も簡単に分かるはずなのだ」
「でも、ワタシは一樹サマの携帯電話の番号知らないです」
 鈴音はそう答える。電話する手段は何とかなるだろうが、電話番号が分からない。
 琴音が左手で頭をかく。
「手詰まりなのだ。ここは素直に交番か何か探すのだ」
「それが一番手っ取り早いのです……」
 頷く鈴音。人間用の交番ではなく、妖怪や神など人ではない者を対象とした交番というものがある。この周囲のどこにあるかは分からないが、探せば見つかるだろう。多分。
「何を一人芝居しているのだ、そこの小娘?」
 不意に声をかけられ、鈴音は正面に向き直った。
 一匹の狐がそこに佇んで、訝しげに鈴音たちを見つめている。
「大きなキツネさんなのです」
「変な式神なのだ」
 鈴音と琴音は同時に呟いた。同じ口から。
 普通よりも二回りほど大きな狐である。タテガミのような長い毛が、頭から背中に伸びていた。茶色に瞳に映る利発そうな光。首に赤い首輪を嵌めている。人語を話すことを除いても、普通の狐ではない。かなり力のある式神のようだった。
 人間に認識できなくする簡単な幻術が身体を包んでいる。
「貴様ら何者だ……? 福神と厄神の両方の気配を感じるのだが」
 狐が不思議そうに鈴音を見つめた。足音もなく近寄ってきてから、小さな身体を頭からつま先まで観察する。ついでに、鼻を近づけて匂いを嗅いでから、
「二人の人格で身体を共有しているのか……。ふむ、ワシが言うのも何だが、おかしなやつらだな。こんな場所で何をしている? 見たところ、かなり困っているようだが」
「うー。ワタシ、色々あってお家に帰れなくなってしまったのです」
 鈴音は正直に答えた。険しい雰囲気を持つものの、この狐は悪い者ではない。根拠はないが、そんな気がした。他に頼れる相手も無く、藁にも縋る気持ちである。
「なるほど、迷子か……。お前、名前は何という?」
 狐の問いかけに、鈴音は答えた。
「ワタシは鈴音と言うのです」
「オレは琴音なのだ。で、お前こそ何者なのだ?」
 琴音は自分の名を答えてから、左目だけで威嚇するように狐を睨み付ける。
 しかし、狐は琴音の赤い瞳を一瞥しただけだった。厄神としての力を意に介していないようである。この狐の力があれば、琴音の厄を打ち破るのはそう苦も無いだろう。
 狐は二歩後ろに下がってから、背筋を伸ばして眼に力を込めた。
「ワシは一ノ葉。式神だ」
 静かに答える。

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