Index Top 一尺三寸福ノ神

第30話 暇潰し


 卓袱台の上に置かれたオセロ。
「……うぐぐぐ」
 琴音が腕組みをしたまま、顔をしかめていた。眉間に寄せられたしわ、堅く食いしばられた歯、跳ねた白い髪。全てが追い詰められた現状を表している。
 オセロの石を動かしながら、一樹は静かに口を動かした。
「どうせ置くところはひとつしかないんだから、悩んでも意味ないよ」
「分かっているのだ!」
 琴音はそう叫び返し、ボードに叩き付けるような勢いで黒の石を置いた。ふたつ隣の黒い石との間に挟まれた白い石をひっくり返す。それで終わりだった。
 一樹は迷わず白の石を起き、挟まれた三枚の黒い石をひっくり返す。
「おしまい、と」
 ボードの石は六十四枚を待たずに、白一色に染まっていた。四隅に黒いコマが残っている。だが、その四隅のハンデは意味の無いものになっていた。
「がー!」
 あまりの一方的な結果に、琴音が両手でボードをひっくり返す。プラスチックの板が一回転し、プラスチックのコマが辺りに飛び散った。ぱらぱらと落ちる白黒の石。ハンデを貰っているのに、一方的に負ける。怒るのはある意味当然だろう。
 両目から涙を流しながら、琴音が人差し指を向けてきた。
「小森一樹、お前はそうあっさり勝てるのだ! どんなイカサマしているのだ! カードゲームじゃないから、イカサマはできないはずなのだ!」
 家に戻ってから、琴音が暇潰しに何かしようと言ったので、一樹は部屋にあったオセロを持ち出した。あいにく、テレビゲームやPCゲーム類は持っていない。
 一樹は眼鏡を動かしながら、
「琴音が弱いんだよ……。ぼくは一応強いけど、プロ級ってほどでもないし。あと、オセロは最初に数取りに行くのは自爆だよ」
「ならば、次は将棋で勝負なのだ」
 琴音が棚に置いてある将棋セットを指差す。
 手の中に落ちていたオセロのコマを動かしながら、一樹は確認するように告げた。
「言っておくけど、将棋はオセロ以上に強いよ?」
 将棋や囲碁、チェスなど、オセロよりも複雑なボードゲーム類は得意である。身近に強い相手がいれば、自然と鍛えられるものだろう。ボードゲームには一切運の要素が入らない。いかに定石を使いこなせるかが、強さの決め手となる。
 琴音は両腕を組み、白い眉毛を内側に傾けた。
「飛車角落ちでさらに金銀落ちなのだ。お前はこれくらいのハンデが調度いいのだ」
「その台詞、使い方間違っているよね?」
 空笑いとともに告げてみる。本来は自分の実力の高さを元にして言う台詞だが、琴音は一樹の実力の高さを基準にして言っていた。
 琴音は卓袱台にどっしとあぐらをかき、睨むように見上げてくる。
「男が細かいことを気にしてはいけないのだ。もしこの条件でお前が勝ったら……オレはひとつだけお前の言うことを何でも聞くのだ。これで文句は無いはずなのだ! さあ次の戦いを始めるのだ」
(飛車角金銀の六枚落ち……桂馬と香車が無事なら何とかなるかな?)
 一樹は唇を舐める。最大ハンデは王将以外の十九枚落ち。それでも達人なら素人を倒すことは可能らしい。一樹にそこまでの実力はないが、四枚落ちでも琴音が相手ならば何とかなるだろう。ただ、今のオセロのように一方的にはならない。
「その前に、オセロ片付けてくれない?」
 辺りに散らばったオセロの石とボードを指差し、一樹は琴音を見つめた。
 無言のまま視線を逸らす琴音に続ける。
「因果は応報、と」
「うぅ」
 諦めたように喉を鳴らし、琴音は片付けを始めた。


「これで、詰みだ」
 パチリ、と駒の置かれる音が響く。
 二時間近い長期戦の後、一樹は竜王と香車と桂馬で、琴音の玉を追い詰めた。対局内容は一樹がいかに琴音の駒を奪い、形成を逆転させていくかというある意味一方的なものでる。だが、手駒が少ないため予想以上に時間がかかってしまった。
「無念なのだ……」
 両手を卓袱台につき、琴音が首を左右に動かす。白いポニーテイルが揺れていた。しかし、その声に怒りはない。負けたものの、全力を出し切った実感はあるようだった。
 両手を放してから、その場に立ち上がって、自分の胸に右手を当てる。
「だが、オレの負けなのだ。約束通りお前の言うことを何でも聞いてやるのだ」
「そういえば、そんな約束してたなぁ」
 ぽんと手を打って一樹は頷いた。六枚落ちという無茶なハンデから逆転することしか考えていなかったため、約束自体を半ば忘れかけていた。
「忘れるななのだ……」
 額をおさえ、琴音が呻く。
 だが、何かを払うように右手を横に振ってから、目を閉じた。
「まぁ、それはまた今度になりそうなのだ」
 白い髪を結い上げていた赤いリボンを取り、琴音はそれを袖へとしまう。白かった髪の毛が灰色に染まり始めた。着物の袖と胴体の分かれ目がつながり、色が赤から白へと変わっていく。黒い袴も緋色へと変化していった。体格も少し大人びいたものから子供っぽいものへと。
 鈴音が琴音になった過程を逆回しにするように、二十秒ほどでその姿が鈴音のものへと変化していった。閉じていた目を開くと、赤い瞳も黒い瞳に戻っている。
「ただいまなのです。一樹サマ」
「おかえり」
 快活に右手を上げる鈴音に、一樹は短く返事をした。

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