Index Top 一尺三寸福ノ神

第26話 琴音を躾ける


 しん……
 と、無音が訪れる。
 人差し指を一樹に向けた琴音と、厄封じの札を突き出した一樹。
 お互いに睨み合うこと数秒。
「あれ……?」
 琴音は右手を引っ込め、自分の指を見つめた。銀色の眉を寄せながら、不思議そうに右手を開いたり閉じたりしている。どうやら、失敗したらしい。
「おかしいのだ。厄が出ないのだ……。今までずっと鈴音が表に出てたから、かなり厄が溜まってるはずなのに。何故なのだ?」
 訝る琴音に、一樹は思ったことを告げた。
「その厄なら、多分鈴音が全部使っちゃったんじゃないか? えっと、禍福精算って術だっけ? 昼に仙治さんに全部叩き付けてたと思うけど」
「………」
 無言のまま、琴音が顔を向けてくる。赤い目を丸くして、口を半開きにした表情。難しい問題の答えを教えられた時のような驚きの顔だった。
 どうやら、一樹の推測は当たりらしい。
「あのポンコツ福ノ神はァアァ! 他人に厄を与えるのは厄ノ神の仕事なのに、何で福ノ神が他人に厄を与えてるのだァ! しかも、全部」
 両手で頭を抱え、琴音が騒いでいる。
 微かに眉根を寄せ、一樹は天井を見上げた。仙治が鈴音を怒らせたのは、意図的なものだったのかもしれない。鈴音の溜めた厄を自分に全部使わせ、琴音の厄神としての力を削るために。そんなことを考える。
 ゆらりと、琴音は不吉な微笑みを浮かべた。再び右手を一樹に向けつつ、
「だがしかし……厄招きは普通にできるのだ」
 その台詞を聞き流しつつ、一樹は持っていた厄封じの札を琴音の背中に押しつけた。糊などは付いていないが、札はあっさりと琴音の背中に張り付く。
「え?」
 琴音は右腕を布団に落とした。自分の身に何が起ったのか分からないんだろう。厄封じの札を貼られると、厄神はしばらくまともに動けなくなるらしい。ただ、それで札は力を失ってしまう。一種切り札のようなものだった。
「この札が……オレの力を奪っているのか?」
 琴音は力の入らない手で背中の札を剥がそうとしている。しかし、札に触れるだけで手から力が抜け、剥がすことはできずにいた。
「どうせお札使うなら、最初からこうしておけばよかった」
 一樹は手早く琴音の上から辞書と箱をどかす。
「く、そっ」
 重りが無くなっても、琴音は厄封じの札に阻まれて満足に動けないようだった。もっとも、札の効力も無制限ではないので、急がなければならない。
 一樹は雑用箱を開け、中から平紐を取り出した。糸巻きに巻き付けられた幅五ミリほどの白い紐。かなり丈夫なものである。
「小森一樹ッ、何する気なのだ……!」
 一樹は琴音の両肩を掴み、その場に起こした。問いには答えず、琴音の両腕を掴み、背中側に回してから、両前腕同士をしっかりと縛り上げる。これで、腕は動かせなくなった。もう少し凝った縛り方をしたかったが、そこまでの技術はない。
 続いて、両足の膝と足首を縛り上げる。
「これでよし」
 一樹は琴音の背中に貼り付けていた札を剥がした。『厄封じ』という文字に被さるように、×印が現れている。札の力を使い切ってしまったらしい。
「うがー、解けー、解くのだー!」
 芋虫のようにうねりながら、琴音が赤い瞳で睨み付けてくる。縛った銀髪が暴れているが、紐を引きちぎって動くほどの力はないようだった。
 一樹は琴音の頭にぽんと左手を乗せる。
「さて、これから君に立場の違いってものを教えなきゃならないらしい。仙治さんもこういう難しいところは何とか処理して欲しかったな」
「ふん、お前がオレを屈服させるのは到底無理なのだ。無駄なことは諦めて、さっさとこの紐を解くのだ。今すぐ解くなら、お仕置きは軽めにすませてやるのだ」
 上半身を起し両足を前に伸ばした体勢のまま、琴音は自信たっぷりに言い切ってみせる。自分が屈っするとは微塵も思っていないらしい。
「無駄というか、君の心を折る方法は考えてあるんだよ」
 性格や容姿は大きく変わっているものの、琴音と鈴音は基本的な中身は変わっていないらしい。元々同じなので、そんなものだろう。今までの言動を見ても、鈴音と頭の程度は
変わっていない。ならば、琴音の心を折る方法は通用する。
「心を折る、お前にできるのか?」
 琴音が挑発するように片眉を持ち上げる。
 一樹は人差し指でこめかみをかきながら、
「ただ、鈴音なら確実に泣くようなことする予定だから、あんまり気は進まない。もう少し穏便な方法あればいいんだけど……仕方ないかなぁ?」
「なあ、その方法をやってみるのだ。オレを泣かせられたらお前を認めてやるのだ。でも、オレは鈴音みたいに甘くはないのだ」
 挑発するように笑いながら、琴音は赤い瞳で一樹を睨んだ。一樹の努力を粉砕し、自由になろうと企んでいる。だが、それは無意味だろう。
「ならその荒療治使わせてもらうよ」
 一樹はベッドから立ち上がり、机に移動した。
 机に置いてあるワンカップ酒。薄い金属の蓋を開けてから、カップに口を付けて、中身の清酒を喉の奥へと流し込んでいく。一合全てを飲み干してから、アルコールの焼けるような刺激に、何度か咳き込んだ。やはり、酒は慣れない。
「……酒飲んで何するのだ?」
 怪訝な表情を見せる琴音。
 一樹は何も答えず、本棚に置いてあった小型ホワイトボードとマジックペンを手に取った。マジックの蓋を取り、ホワイトボードに式を書き込む。『1+1』と。
「さて、簡単な算数の問題だ。1+1の答えは?」
「2なのだ。そんなの、幼稚園生でも分かるのだ」
 一応答えてくる琴音に、一樹はホワイトボードに『1+1=2』と書き込む。小学一年生の足し算であるが、意外奥の深いものだ。
「じゃ、何で 数学的に『1+1=2』が成り立つか、琴音は分かる?」
「え?」
 琴音が目を点にするのが見えた。この問いに即座に答えられる者はそういないだろう。簡単に答えられるようなものでもない。
 構わず一樹は続ける。
「これから『1+1=2』の証明をしてみせる」
「は、い?」
 引きつった声を出す琴音。その頬を冷や汗が流れ落ちた。

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