Index Top 一尺三寸福ノ神

第25話 厄が現れる時


 福神は本来厄神と対である存在であり、お互いに作り出す運勢の歪みを中和している。しかし、鈴音は対になる厄神で存在せず、自分自身に歪みを蓄積してしまう。そこで、ひとつの身体に福神と厄神両方の特性を組み込む荒技を取った。
 そして、時折厄神の特性が表に現れるらしい。
 仙治からの手紙に書かれていたのはおおむねそんな内容である。
「それが、今か……」
 ベッドの掛け布団の上にうつ伏せになった鈴音を見ながら、一樹は眼鏡を動かした。夜の八時過ぎ。帰って早々眠いと言って布団に突っ伏し、鈴音は今までずっと眠っている。普段の眠りとは様子が違うのは明らかだった。
 椅子に座ったまま、一樹は机に目を向けた。『厄封じ』と書かれた札が十枚。封筒に手紙と一緒に入っていたものである。厄神の力から身を守るためのもので、使い終わったら自分宛に送るようにと住所が書かれていた。
 机の上にはワンカップ酒、ベッドの横には雑用箱と大きな辞書三冊。一応これから起こるだろうことへの準備はしてある。
「ん――」
 鈴音が小さく声を漏らし、両手を突いて上半身を起こした。
 寝ぼけた表情のまま、一樹に目を向ける。その瞳が、赤い。黒かった瞳は、鮮やかな真紅に染まっていた。そして、きれいな黒色の髪から色が抜け始める。目に見える速度で色を失っていく髪。ほんの数秒で、黒髪が白髪……いや、銀髪へと変わっていた。もみあげの髪飾りも白色から赤色に変わっている。
「どういう仕組みだろう?」
 その変化に、一樹は思わず声を漏らした。
 変化はまだ終わらない。その場に立ち上がる鈴音。緋色だった袴が、黒く染まっていく。同時に、白衣が赤く染まり始めた。袖の根本に切り込みが入り、白衣と袖部分が分かれる。それらは、五秒も経たずに変化が終わっていた。
 それだけではない。背丈が少し伸び、子供ぽかった顔立ちも、やや大人びいたものになる。おおむね平坦だった体付きも、凹凸のはっきりしたものに変化した。
「あー、随分と長かったのだ。ようやく、オレにも出番が回ってきたのだ」
 背伸びをするように両腕を伸ばして、鈴音がそんな事を口にする。声は変わっていないが、口調は少し荒っぽいものいなっていた。
 袖から赤い布を取り出し、髪の毛を結い上げる。
「これでヨシなのだ。うん」
 満足げに頷いてから、一樹へと向きなおった。
 見た目十代後半の人形のような少女。鈴音より少し背が高く、スタイルもよい。赤い布で縛ったポニーテイルの銀髪、真紅の瞳に写る強気な意志。口元には不敵な薄い笑みを浮かべている。赤い着物は、袖と胴部分が分かれ、隙間から白い襦袢が見えた。そして、黒い行灯袴。簡素な巫女服の鈴音と比べ、全体的に毒々しい印象になっている。
 首から下げた『神霊』のお守りは変わっていない。
 これが厄神としての姿なのだろう。
「さて、小森一樹。まずは自己紹介を。オレは厄ノ神の琴音なのだ。お前と顔を合わせて挨拶するのはこれが初めてなのだ。よろしく」
 腕組みしつつ偉そうに言ってくる琴音。一樹のことはある程度知っているようだった。人格自体は別人のようだが、鈴音とは記憶の共有をしているのかもしれない。
 そんなことを考えながら、ポケットからゴムバンドを取り出す。
「さて、さっそくだが――。オレの災厄の餌食になりたくなかったら、オレの言うことを素直に聞くのだ。安心するのだ、悪いようにはしないのだ」
 目を細めながら不吉な笑みを向けてくる琴音に対し。
 一樹は左手の親指を向けた。親指から伸びたゴムバンドを掴む右手。大きがある分、輪ゴムよりも威力はかなり大きい。右手を放すと、勢いよくゴムバンドが発射された。
 べち、と輪ゴムが琴音の足に命中する。
「………!」
 その勢いと重さに、琴音は前のめりに倒れた。ポニーテイルの銀髪が跳ねる。事実上足払いを食らったようなもの。倒れたのは布団の上なので痛くはないだろう。
 一樹は琴音の元へと歩いていき、ベッド横の雑用箱を持ち上げる。
「いきなり何をするの――ンぉ!」
 琴音がくぐもった悲鳴を上げる。背中に無造作に乗せられた木箱。一樹が使っている雑用箱だった。主に工具類が入っているので、重さは五、六キロある。駄目押しに、分厚い辞書を三冊乗せる。
「うぐぐぐ……!」
 下が布団なので潰れることはない。琴音は両手をばたつかせて、必死に抜け出そうとしている。だが、赤い袖がぱたぱたと揺れるだけで、箱の下にある下半身を引き抜くことはできなかった。
 ほどなく脱出は諦め、琴音が赤い瞳で睨み付けてくる。
「ええい、お前は何を考えているのだ! さっさとコレをどかすのだ!」
「駄目だよ。仙治さんからの手紙に、厄神は性格悪いから少し躾けるようにって書いてあったから。けど、どうしたものかな? とりあえず、動けなくはしたけど」
 ベッドに腰を下ろし、一樹は首を捻った。
「あの、アホオオカミはァ」
 吠えるような声とともに、琴音が両拳でぽふぽふと布団を叩いている。腕の動きに合わせて赤い袖が跳ねていた。基本的に従順な鈴音に対して、琴音はかなり反抗的だ。手紙には適当な方法で一樹の方が立場が上であると分からせるようにと書かれてあった。しかし、肝心の手段までは書かれていない。
 一樹は眼鏡を取り、首を左右に動かしてから、眼鏡を戻す。
「確かに厄神だ……。これに言うこと聞かせるのは……まさに厄介」
「オレがお前の言うこと聞くことは無いのだ。だから、諦めてこの重りをどけるのだ」
 左手で箱を指差しながら、琴音が叫ぶ。ひとまず動けなくしているが、重りをどけたら好き勝手に動き出すだろう。鈴音並みのすばしっこさで動き回られたら、面倒だ。
「どけないというなら、こっちにも考えがあるのだ」
 言うなり、右手の人差し指を一樹に向ける。
 一樹は目を見開いた。福の神は任意で幸運を招くことができ、厄の神は任意で不運を招くことができる。動けなくしても、完全に無害ではない。
「厄撃ち!」
 琴音が声を上げるのと、一樹が厄封じの札を突き出すのは同時だった。

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