Index Top 一尺三寸福ノ神

第10話 乙女心の5mm


 工作箱から取り出した五十センチのステンレス定規を持って一樹は机に戻った。
「一樹サマ、お願いしますのです」
 鈴音が気をつけの姿勢で机に立っている。
 真面目な――それでいてどこか滑稽な表情で、正面を見つめている。草履と足袋は脱いで、裸足だった。白衣と緋袴はそのままである。
「動くなよ。動くと正確に測れないから」
 一樹は鈴音の背中に触れるように五十センチのステンレス製定規を立てて、頭にそっと下敷きを当てた。頭から跳ねたアホ毛が下敷きにくっついている。不安定な形状の物の高さを測る方法だった。下敷きが示す定規の数値を読み上げる。
「三十九センチ五ミリ」
「うー」
 鈴音が唸った。背中を丸めて唇を曲げ、眉間にしわを寄せている。
 一樹は下敷きと定規を外して、机に置いた。
「やっぱり五ミリ足りないのです……」
 自分の頭を撫でながら、鈴音は恨めしげに定規を見つめている。
 机に腰を預けて、一樹は眼鏡を動かした。自然とため息が出る。
 身長を計って欲しい頼んできたのが、つい三分前だった。断る理由もなく、難しいことでもないので定規と下敷きを取り出し測ったみたのだが、この反応である。鈴音の意図は分からないが、自分の身長が気に入らないのは理解できた。
 窓の外の黄昏空をしばし眺めてから、鈴音に視線を戻した。
「何が足りないんだ? まさか人間くらいの身長が欲しいっていうわけじゃないし。別に今のままでも構わないと思うけど、それじゃ不満なの?」
「不満なのです」
 鈴音はきっぱりと、そう断言した。
「ワタシの理想とする身長は四十センチなのです。その方が格好良くなるはずなのです。でも、今の身長じゃ五ミリ足りないのです!」
 ぐっと拳を握り、瞳に熱い炎を灯す鈴音に。
 一樹は五秒ほど思考を空転させてから、思ったことを告げた。
「五ミリ増えても、今と変わらないと思うけど……」
「変わるのです!」
 鈴音が跳んだ。机を蹴って飛び上がり、一樹の顔面めがけて右足を繰り出す。
 だが、一樹は身体を横に逸らしていた。攻撃のタイミングが分かっていれば、回避するのはそれほど難しいことでもない。鈴音の右足が何もない空間を蹴り抜く。緋袴がめくれて、太股とその奥まで丸見えになった。それも一瞬。
「あぅ?」
 ゆっくりと流れる時間。
 避けられることは考えていなかったらしい。空振りで鈴音は体勢を崩す。
 しまった、と言いたげな表情が見えた。何も無い虚空を蹴り抜いてから、床に向かって落下していく鈴音。黒髪を尾のようになびかながら。
 ぽふ。
 という気のない音とともに、床に落下した。
 うつ伏せのまま倒れている鈴音に、一樹は一言尋ねる。
「大丈夫か?」
「うぅ、痛いのです……」
 顔を上げて、鈴音が声を上げた。受け身も取らずに落下したようなので、痛いだろう。しかし、それ以上の問題はないようで、両手を突いて起き上がっている。
 人間の感覚では身長の四倍以上の高さから落下したようなものだが、人形サイズで身体も人形のように軽い鈴音にとっては、転んだ程度のことらしい。
 一樹は椅子を引いて腰を下ろし、服の埃を払っている鈴音を見下ろした。
「五ミリってそんなに気になるものなの?」
「身長三十センチ台と四十センチ台では雲泥の差があるのです。ワタシはあとちょっと大きくなりたいのです! 欲を言えばあと一センチ大きくなりたいのです!」
 びしっと一樹を指さし、鈴音が言い切った。
 ダイエットを行う女の子が体重をグラム単位で気にすることに似ている。男なので正確には理解できないが、乙女心というものだろう。鈴音の態度はそれとも違うようにも思えるが、深くは考えないことにしておく。
「でも、鈴音って食事取らないし、成長もしないみたいだから、身長伸ばすのは無理じゃない? 引っ張って伸びるとも思えないし」
「……うー、むー」
 鈴音が腕組みをして首を捻った。話によると鈴音の容姿は形状固定で、年月による変化することはないらしい。福の神としての力は変化するようだが。
 ふと思いついて、一樹は言葉を続けた。
「でも、鈴音をぼくに渡したおじさんなら、鈴音の身体を作り替えられるかもしれない。鈴音を作ったのもその人だし、頼めば身長増やすくらいはできるんじゃないかな?」
 ぽんと手を打つ鈴音。頭に電球が浮かんだように見えた。
 胸元で両手を握り締め、鈴音が瞳を輝かせながら見上げてくる。
「一樹サマ、頭いいのです」
「でも、今どこにいるか知らないけど」
 一樹の台詞に、鈴音は前のめりにコケた。
 うつ伏せのまま顔を上げて言い返してくる。
「それじゃ意味ないのです……」
 鈴音と一緒に暮らすようになってから三日目。鈴音のお守りをくれた人にはまだ会っていない。どこの誰かも分からないというのが本当の所である。
 小さく咳払いしてから、一樹は告げた。視線を逸らしつつ、
「あと、行灯袴のまま蹴らない方がいいよ。丸見えだから」
「ッ!」
 弾けるように起き上がり、鈴音は自分の緋袴を押さえる。今更押さえても意味はないだろうが、恥ずかしい気持ちはあるようだった。今まで全く気にせず蹴っていたらしい。
 頬を真っ赤にしたまま、瞳にうっすらと涙を浮かべて見上げてくる。
「見たのです?」
「………。白だった」
 数秒の躊躇を置いて答える。何でこんなことを言っているのかと思いつつ。だが、いつかは言わなければならないことでもあった。
 鈴音は地面を蹴った。小動物じみた俊敏性で机の上まで駆け上り、一樹の眼前に人差し指を突き付ける。怒りと羞恥で顔を真っ赤にして。
「一樹サマは変態なのです!」
「ぼくは何もしてないだろ……」
 一樹は軽いデコピンを鈴音の額へと打ち込んだ。

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