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第23話 黒い影


 昼前の森の中。木々の密度はそれほどでもないので、歩くのには苦労しない。
「確かこの辺りだな。村守士の話からすると……見たところ怪しいものはない。ケモノの匂いはするが、それ以外の怪しい匂いはなし」
 地図を眺めながら、カンゲツが辺りに眼を配る。本人曰く、鼻が利くらしい。犬よりも利く自信があると豪語していた。
「周囲に異常なし。半径五百メートル以内に怪しいものはないよ」
 緑色の翡翠眼を周囲に向けながらアスカ。
 ロアは二人の後を付いて歩きながら、抱えているアルニに眼を落とした。
「もうお化けの住処に来たんですか……。うぅ、早くやっつけて帰りましょうよ。この三人なら相手が怪物でも倒せますから」
 出発する前からロアにしがみついて震えている。
「相手が見つからないんじゃな」
 剣の柄に手を置いたまま、ロアは眼鏡を動かした。すぐに目的の相手が出てくるということはない。世の中はそうそう甘くはない。甘くはないのだが……
「あ」
 アスカが短く声を出した。偶然は結構起る。
 ロアたちの左側に、ソレはいた。アルニを含んだ、四人の視線が集中する。
 黒い霧の塊のようなモノ。気配も匂いも音も、何もない。ただ、そこに佇んでいる。人の背丈くらいの黒い霧。形状もどことなく直立した人間を思わせる。まるで幻のような存在で、実体感がない。
「うあああ、出ました、出マしたヨ、お化けおばけオバケでスヨ! ああアア! 取り憑かレチゃいマす食べられちチャイまス! ドウしまシょウドうシマショうぅぅ!」
「落ち着け」
 眼を回して泣きながら霧を指差すアルニと、冷静に宥めるロア。自分も驚きたい気分であるが、極端に慌てている者が周りにいると逆に醒めてしまう。
 黒い霧を凝視したまま、アスカが呟いた。
「翡翠眼でも見えなかったのに……。何で?」
「なるほど。こいつは……影だな。文字通り俺たちの影だ。アルニが見てるのは、しがみついているロアの影だろうけどな。影なんか普通は気づかない。光の陰影に匂いも気配もあるわけないんだから」
 冷静に分析しながら、カンゲツは歩き出した。散歩するような足取りで、大太刀も抜かずに警戒すらしていない。一直線に霧に向かっていき、すり抜けた。
「カンゲツ?」
 アスカの声に応えたわけではないだろうが、カンゲツは足を止めた。両腕を広げてから、呆れたように笑う。森の奥を指さしてから、ロアたちの見ている霧を指差した。
「俺の影は向こうの木の影に見える。お前らの見てる影は、この辺りに見えるんだろうな。珍しい現象だが、幽霊でもオバケでもない」
「オバケじゃないんですか?」
 涙を拭きながら、アルニが尋ねる。
「そうだな。でも、影がここにあるってことは反対側に何かあるってことだ」
 カンゲツの台詞に弾かれるように、ロアとアスカは振り向いた。
 だが、何もない。まばらな下草適度な間隔で生えた木々。木漏れ日と鳥の鳴き声。辺りに漂う青草の匂い。微かな風の動き。
 アスカが左目に力を入れる。翡翠眼の透視観察力を最大限に引き出してから、
「何もいない」
「別のオバケですか……」
 不安がるアルニ。
「向こうまで行けば分かる」
 そう言ってカンゲツは歩き出した。

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