Index Top 第8話 不可解な私闘

第11章 理の力の正体 前編


 無言のまま睨み合うこと数秒か、数十秒か、数分か。
 それほど長い時間では無いだろう。
 白鋼は右手に持っていたライフルを袖へと落とした。袖の内側に作られた術式を介して、仮想空間へと収納される。古代精霊相手に人間の武器は意味をなさない。
 大剣は一緒に転移させてしまった。そちらは誰かが回収しているだろう。
 指で眼鏡を直し、白鋼は相手を見つめる。
「分かりませんねぇ」
 十八番古代精霊。精霊学的な便宜上、そう呼ばれていた。
 その姿は精緻な彫像のようだった。男か女か分からない中性的な顔立ち。白く長い髪と黒い瞳。その顔は不自然なほど均整が取れていて、美しいと言うよりも不気味である。身体を包むのは、簡素な白い長衣だった。
 人の姿をしているが、それは仮の姿である。もっとも、古代精霊はダークマターとダークエネルギーの塊であり、本当の姿というのも存在しない。
「あなたの目的は何でしょうか? ここまで事を大きくする必要は無いはずですが」
 白鋼はそう尋ねる。
 ここ数ヶ月、あちこちで起っていた不穏な出来事。何度か銀歌が狙われている。日暈や草眞とともに、闇色精霊相手に山奥で大戦闘を繰り広げたりもした。妖狐警衛隊内部の不穏分子騒動。それらが、この古代精霊が関わっていることは分かっている。
 だが、古代精霊は本来このような事をしない。鉱物精霊とも呼ばれ、生き物のような思考や感情などが存在しないからだ。石や土が何も感じず何も考えないように。
「お前たちの実力を知りたい」
 精霊の答えは簡潔である。表情も口調も変わらない。"たち"と複数形にしているのは、今回の騒動に関わった者たちを含めているのだろう。
「なるほど。それで、結果はどうでしたか?」
「合格だ」
 白鋼の問いに、そう答える古代精霊。
 間接的に騒動を起こし、その対応を見る。それが今回の大まかな行動だろう。
 だが、それが不可解だった。本来、古代精霊がそのような事を実行することはない。調べたり試したり、そのような思考が浮かぶことが不自然である。
 疑問を余所に、精霊は続けた。
「だが、まだお前の力を見ていない。お前が持つ特異現出を見てない」
 "特異現出"という言葉に、白鋼は口元の笑みを消す。
「やはり本命はそれですか」
 それは、理の力と呼んでいる力の正式名称だった。予想していた言葉ではあるが、予想通りに進み過ぎるのも逆に困ってしまう。それが望まぬ予想ならば。
「百年ほど前から、お前は自分の力を隠すようになった」
「危険な力ですのでね……」
 声を抑えながら、白鋼は緩く腕を組んだ。ゆっくりと尻尾を動かす。
 精霊は右手を持ち上げた。その手に白い剣が現れる。飾り気も無い両刃の直剣だった。しかし、この世のどんな武器よりも危険な存在である。
「特異現出。自身の内部に作り出した事象の特異点を介して、改変した異世界そのものをこの世界へと現出させる技法。事実上、全能に等しい力」
 精霊が言葉を連ねる。
 理の力の仕組みだった。
 全ての物理法則が破綻する事象の特異点。その破綻を利用して、自分の望む世界を作り上げ、現実世界へと組み込む。術や魔法などとは文字通りの意味で次元の違う力で、無限大に等しい改変力を持つ。人智を置き去りにした無茶苦茶な力だ。
「人間の限界を超えた力だ。どこから手に入れた」
 精霊の問いかけ。それは当然の疑問である。
 理の力は、ヒトが作り得る限界を遙かに上回っていた。基点である特異点の制作、操作すら未だに誰も実現していない、オーバーテクノロジー。地球外文明から教えられたと言いっても、それを不自然に思う者はいないだろう。
「知恵と努力と勇気に、才能と狂気を」
 両腕を広げて、白鋼は涼しげに笑ってみせる。
 その態度に精霊は何の反応も見せなかった。別の問いを口にする。
「なぜその仕組みを隠す」
「欲しがる人が多いので。暴発したら世界が消えます」
 白鋼は簡単な答えを返した。
 理の力は他人には教えられない。強大すぎる力は、制御が難しい。もしおかしな方向に暴発させれば、一瞬で地球はおろか、太陽系すら消滅するだろう。世界の破綻は宇宙を浸食していき、やがて宇宙全てが壊れる。
 現実味のない話だが、あり得ない事ではなかった。
「銀歌と呼ばれている半妖狐の少女――なぜ、彼女に教える」
 動かぬまま、精霊が次の問いを口にする。
 今まで誰にも教えず、触れさせてすらいない理の力。それを、唯一銀歌だけには教えようとしている。ある程度事情を知る者なら、不可解に思うだろう。
 白鋼もまた手短に答えた。
「銀歌くんには資質があるからです」
 銀歌には資質がある。理の力を完全に使えるかはまだ分からない。しかし、理の力を手に入れて、なおかつそれを暴走させないという確信があった。
「そうは見えない」
「あなたに人を見る目が無いからですよ」
 精霊の感想に、白鋼はそう告げる。生物的な思考を持たない古代精霊では、性格や個性などを理解することができない。
 それに怒ったわけではないだろうが、精霊が右手の剣を持ち上げた。
「今ここで、特異現出を見せてもらう」
「あなたも僕から理の力を盗むつもりですか……」
 狐耳を指で引っ張り、ため息をつく。
 理の力の強大さに目を付け、盗もうとしている者は多い。直接的に近づいてきた敬史郎を含めて、自分の知る限り百人ほど。古代精霊が盗もうとしているとは察していたが、こうして目の前に現れるとは思わなかった。
 しかし、この古代精霊は自分の意志で理の力を欲しているわけではない。
「あなたの背後に誰かがいますね? あなたを介して理の力を調べようとしている人物。心当たりはありませんけど、どのような相手かは想像が付きます」
 白鋼の言葉には構わず。
 精霊が空いた左手で自分を示す。
「私を倒すには、特異現出を使うしかない」
「そうなんですけど……」
 曖昧に同意しながら、白鋼は手を下ろした。
 古代精霊。その力は災害と呼べる規模だ。地球上に存在する人間、神、妖怪、精霊、魔物、その他が全て集まっても歯が立たないほど。それを倒すには、理の力を用いるしかない。そして、それがこの精霊の目的だろう。
 この精霊を消滅させても、理の力の情報は流出してしまう。
「そう簡単に秘密を盗まれるわけにはいきませんし、あなたの思い通りに事が進むというのもなんか癪ですし。秘密は守りますよ」
「………。何をした」
 精霊が訊いてくる。
 何か変化があったわけではない。少なくとも、既存の観測方法で変化を察知することはできない。だが、精霊はその変化を察したようである。
「世界の遮断です」
 人差し指を立て、白鋼は片目を閉じた。
 理の力を使い、世界を一時切り離した。ここは他から隔絶された並行異世界。"ここ"の情報を外へと持ち出すことはできない。たとえ古代精霊の力を以てしても。精霊が理の力の情報を得ても、持ち出せなければ無意味。ある意味最も簡単な対処法だ。
「渡す気は無いという事か」
「当たり前でしょう」
 笑いながら、白鋼は足元に落ちていた石を持ち上げた。
 なんの変哲もない手の平に乗るほどの石。灰色に少し黒い筋が入っている。さきほどの雷炎砲で砕けた庭石か何かだろう。重さは二百グラムくらい。
「悪いですが、あなたにはここで"消えて"もらいます」
 右手の石を前に差し出した。
「転移」
 特異点を介して作り出した現象を現出させる。
 右手の石が、秒速三百万メートルの加速を得て、一直線に撃ち出された。
 地球公転速度の三百倍。ただの石がその負荷に耐えられるわけもない。空気摩擦による発熱で瞬時に燃え尽き、閃光とともに蒸発。しかし、プラズマ状態まで分解されても運動エネルギーは消えない。電離状態のまま大気の壁を貫通し、精霊へと衝突した。
 一千億ジュールを越えるの熱量が爆発する。

Back Top Next