Index Top 第7話 妖狐の都へ

第14章 告白


 青白い光が爆ぜ、雷鳴とともに二人の身体が吹き飛んだ。本来なら中距離用の雷の術を、密着状態から直接叩き込んだのだ。ほとんど自爆に近い攻撃方法だが、あの状態で霞丸が刃之助を倒すには、他に方法もなかっただろう。
 身体から薄い煙を上げたまま倒れている刃之助と霞丸。
「はは。どうよ、風歌ちゃん」
 右手を持ち上げ、霞丸が力無く――だが自信たっぷりに笑ってみせた。右手で胸に刺さった脇差を抜き、放り捨てる。石畳に落ちる乾いた音。一応動ける程度に意識は残っているようだが、無事とは言えない有様だった。
 刃之助に注意を向けてみるが、こちらは意識も残っていない。雷電はある程度指向性を持った術。刃之助は術を直撃し、霞丸は余波を直撃した。その差だろう。
 両手で印を結び、銀歌は霞丸に手をかざした。
「塞傷の術」
 痛みを誤魔化し、妖力で傷口を覆い止血。今はこれが精一杯である。自分の傷を治す術はそこそこ使えるものの、他人の傷を治す術は苦手だった。
「大丈夫か、霞丸……?」
 唾を飲み込み、銀歌は改めて霞丸を見つめた。
 左腕と腹、右胸を貫かれ、鎖骨と肋骨を斬られている。内臓も無事ではない。蹴り折られた左膝、ついでに、全身に感電の火傷を負っていた。
「男だったら、見栄のひとつやふたつ張ってみるもんだよ」
 気丈に嘯いてみせるが、重傷なのは一目で分かる。もう動けないだろう。
 何も言わぬまま銀歌は両手で印を結び、哨界の術を周囲に広げた。半径三十メートル以内に、人の姿はない。だが、安心もできない。伏兵がいる可能性がある。
 地面に落ちていた脇差を拾い上げ、銀歌はそれを構えた。
「おいおい。風歌ちゃんを守るのはオレの役割じゃないかィ?」
「動けないのに大口叩くな」
 何とか起き上がろうとしている霞丸に、銀歌は冷たく告げる。動けない霞丸では戦力にはならない。ただ、銀歌を庇っての負傷なので、それ以上文句は言えなかった。
 思いついて、問いかける。
「……てか、まるで狙ったようにあたしの危機に飛び出して来た事考えると、お前覗きでもしてたのか? さっきも風呂覗こうとして敬史郎と葉月に捕まったって聞いたし」
「あー、人がせっかく頑張ったのにソレへし折るって酷いなァ」
 空笑いとともに、口から血を流す霞丸。口元を隠すように、左手を顔に乗せた。どうやら図星らしい。ついでに、重傷なのにかなり元気そうである。
 その追求は後回しにして、銀歌は刃之助に目を移した。地面に倒れたまま動かない。威力的に死んではいないだろう。だが、死んでいないということは、動く可能性があるということでもある。
「お前も刃之助も治療が必要だな。気に入らんがアニキに頼むか……あれでも、腕の立つ医者で通ってるし。いまいち実感無いんだけど」
「ひとつ、質問いいかな?」
 ふと霞丸が口を開いた。今までの軽い口調とは違った、真面目な口調。
「お前、銀歌本人だろ?」
「………」
「何となく分かるんだわ」
 沈黙を返す銀歌に、苦笑いとともに続ける霞丸。
 風歌と名を偽っているが、銀歌本人であることは間違いない。白鋼の嘘と事実を混ぜた、非常に誤解しやすい偽情報。だが、通じない相手には通じないのだ。
 二度咳き込んで口内の血を吐き出してから、
「それで、だ。もし良かったら、オレと――」
「無理だ、銀歌はもういない。諦めて普通の相手探せ」
 淡々と銀歌は一蹴した。かつて銀歌が『銀歌』だった頃に、霞丸の本心をぶつけられていれば違った返事をしていたかもしれない。しかし、全ては過去のこと。もう、この世に銀歌という名の妖狐はいないのだ。
 霞丸が右腕を真上に向けた。さながら、溺れた者が水面を掴むように。寂しげな微笑みとともに、言葉を紡ぐ。
「六代目振られ屋ここに轟沈……。残念無念、あぁ無情」
「六代目?」
 周囲を警戒したまま、銀歌は片眉を下げた。
「伝説の始まり若かりし頃の族長……」
「言うな」
 言いかけた霞丸を制する。訳の分からない話を聞く気は無かった。
 風切り音。
 銀歌は視線を空に向ける。
 夜の闇を裂きながら、何かが飛んできた。
「え?」
 次の瞬間、凄まじい激突音とともに、地面の土や石がが吹き飛ばされる。飛んできたのは葉月だった。宿の方から一気に跳躍したのだろう。しゃがみ込むように着地の衝撃を和らげているものの、あまり効果は無いようだった。
 砕いた石畳を踏み締めながら起き上がり、銀歌、霞丸、刃之助の順番に目を移す。
「大丈夫、風歌……。何があったの?」
「幻術掛けられた刃之助が襲ってきた。霞丸に助けられたけど、見ての通りの有様だよ。何が起ってるんだよ、本当に……」
 呻いてから、刀を下ろす。葉月が来たのなら、自分の出番はもう無くなった。少なくとも刃之助程度は、葉月の相手ではない。ただ、敬史郎の姿が無いのが気になる。
「敬史郎さんは上にいるよ」
 葉月の言葉に、銀歌は宿の屋根を見上げた。見通しのいい場所で狙撃銃を構えているのだろう。敬史郎は下手に近くにいると、その力を発揮できない。
「いやぁ、酷い有様だね、霞丸さん」
 気楽に尻尾を動かしながら、暗闇から現れる銀一。
 銀歌は声を掛けた。
「アニキ」
「皆まで言わなくとも分かる、妹よ。妹を助けてくれたお礼だ。霞丸さんの傷は、ボクが責任を持ってきっちり治すよ。これくらいの外傷なら、明日までには治せる」
 言いながら、銀一が倒れた霞丸に手を伸ばす。
 だが、霞丸は伸ばされた手を無造作に払った。身体を半回転させてから、両手を地面につき、そのまま無理矢理起き上がってみせる。咳き込み血を吐き出しながら、膝の折れた足で立っていた。赤い瞳に執念の炎を灯しながら、
「この大滝霞丸――。たとえ斬られよう刺されようと膝が折れていようとも、男に抱きかかえられる趣味はねェ! 医務室でも病院でも、自分の足で歩いて行ってやらァ!」
「馬鹿だ……」
 頭を抱える銀歌。この状況で、無意味な意地を貫くその根性は凄いと思う。尊敬もできないし、真似したいとも思わないが。
 葉月が自分を指差し、
「じゃ、わたしが連れて行きますよ」
「お願いします〜」
 一瞬で態度を豹変させ、霞丸はふらふらとよろけて葉月へと身体を預ける。にへらと口元を緩めながら、半ば抱き付くように。それを葉月が片手で軽々と抱え上げた。米俵でも担ぐように。
「大馬鹿だ……」
 再び呻く銀歌。
 銀一は倒れている刃之助に近づいた。その場にしゃがみ、焦げた身体を眺める。
「あらら。これまた随分と焦げたなぁ。つでに四肢の骨も折れてる。でも、派手に感電してるだけだし、骨折もただ折れただけだから、大したことはないかな? うん。一週間くらい入院必要っぽいけど、命に別状は無いね」
 適当に診察してから、刃之助を担ぎ上げる。
 刃之助を担いだ銀一、霞丸を抱えた葉月とともに、銀歌は宿へと歩き出す。宿から騒がしい声が聞こえてくる。あれだけ派手にやれば、人が集まってくるのは当然だろう。
「ああ、風歌ちゃん」
 ふと霞丸が声を上げた。右手を持ち上げ、銀歌の首を示し、爽やかに微笑む。
「その首輪似合ってるよ」
「ほっとけ!」
 銀歌は顔を赤くして言い返した。


 紅葉屋の一角にある医務室。
「もう治ったのか……?」
 寝台に寝かされたまま、霞丸は自分の左手を見た。包帯が巻かれてはいるものの、腕を貫いた穴は完全に塞がっている。腹を貫通した刺し傷も火傷も、斬られた鎖骨や肋骨、貫かれた肺の損傷も、折れた膝も、ほぼ完治していた。
「何したんだ、お前?」
 いくら銀一の医者としての腕がよくても、三十分も経たずにここまで治療できるはずがない。加えて、全身に違和感もあった。治療後とは思えないほど、身体が軽い。
 着物の上から白衣を纏った銀一が、脳天気に頷いている。
「うん。白鋼さんに貰った薬が効いてるんだよ。えっと、エリクシルだっけ? 西洋魔術の超回復の秘薬。一瓶一億円くらいするみたいだけど、明日の会議に支障出ると困るからだってさ。うーん、噂通りの凄い効き目」
「おいおい……」
 思わず霞丸は唸った。今の不自然な状態もそれなら納得できる。傷を術で強引に治した後の徒労感すら残っていない。それどころか、身体に力が漲っているようでもあった。それも、エリクシルのおかげなのだろう。
「あの白鋼ってヤツはァ、何者だ?」
 失笑しながら、霞丸はぼやいた。変人研究者として有名であるが、それ以外の顔も持っている。一億円もする薬をほいと渡せる者もそうはいない。自分もそのうちそれが何かを知る時が来るだろう。
 銀一は霞丸に背を向け、器具の片付けを始めていた。
「妹を助けてくれてありがとう。霞丸さんがいなかったら、ちょっと危なかったよ。でも、あっさりフラれたのはご愁傷様としか言えないけど」
「うるせェ」
 銀一の背中に向かって、人差し指を立てる。霞丸の告白と玉砕は見ていないはずだ。しかし、その辺りは見ていなくとも分かるのだろう。
「ンで、お前はどうするんだィ? 危機はまだ去っちゃいないだろう? いやァ、これからが本番なんじゃないか? オレは詳しく知らんけどねェ」
「これからはボクが妹を守る番だ……。お兄ちゃん舐めるなよ?」
 振り向きざまに、銀一は笑ってみせた。

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