Index Top 第7話 妖狐の都へ

第13章 意地と根性


 ふと時計を見ると、午後十時ほど。
 銀歌は宿の庭園を眺めながら、首に嵌められた首輪を撫でた。表の庭園の端っこに置いてある木の長椅子。昼間は庭園を眺めている者もいるようだが、この時間になるとさすがに誰もいなくなっている。
「日付が変わるまであと二時間」
 日付が変わるまでに外さないと死ぬ。
 外す方法はほぼ見当がついたが、それを実行する方法が分からない。外れると本気で思えば外れる。だが、それを実行するには桁違いの精神制御力が必要となるだろう。
 よく手入れのされた何本もの植木。銀歌が作った狐火の明かりに照らされて、幻想的でどこか不気味な風景を作り出していた。
 足音がひとつ近づいてくる。
「風歌さん。ここにいたんですか」
 視線を転じると、見慣れた人影。尻尾を動かしながら、近づいてくる。警衛隊の制服を纏った銀狐の男。鼻筋を横切るような古い傷跡。木里咲刃之助だった。腰に二本の刀を差している。
「何か用か?」
 長椅子に座ったまま、銀歌は問いかける。
 銀一を捕獲した後、銀歌を捕まえようとした警衛隊の連中を逮捕してから、どこかに行ってしまった。仕事をしているのだと思って、半ば忘れかけていたが。
 刃之助は夜空を一度見上げてから、
「留置所から脱走した銀一さんの姿が見えなくなってしまったのですが、こちらに来ていないでしょうか? 来るなら、あなたの所だと思ったのですけど」
「あぁ、来たぞ。今は葉月と敬史郎が抑えてるから、しばらくは大丈夫だ――と思う。大丈夫だって保証は何にも無いんだけど……」
 銀歌は頭を押さえ、尻尾を左右に振った。拘置所から脱獄して、空魔の屋敷で白鋼に気絶させられて、気がついたら消えていて、今度は葉月と敬史郎が拘束していた。普通ならここからの脱出は無理なのだが、それを実行するのが銀一である。
 ふっと細い息を吐いてから、刃之助は尻尾を下ろした。
「なら、こちらの関知することではありませんね」
 元々銀一が捕まっていたのも、白鋼の指示であり、警衛隊の管轄ではない。むしろ、捕まえている方が警衛隊にとっても迷惑だろう。
 刃之助が辺りを見回しながら、腕組みをする。
「ところで、白鋼さんは?」
「さあ? またどっかで油売ってるんだろ」
 両腕を広げ、銀歌は他人事のように答えた。風呂から出て着替えた後、そのまま姿を消してしまった。脈絡無く消えるのはいつものことである。
 ため息をついて、刃之助は銀色の眉を寄せてみせる。説教でもするように。
「それよりも、あなたは一人になるのが癖なんですか? 昼間の一件といい、今といい、まるで狙ってくれと言っているような態度で。一応あなたの警護を任されている身としては、葉月さんなど身を守る人が近くにいてくれた方がありがたいのですが」
「癖……か。癖だなぁ。一人の方が落ち着くんだよ」
 狐耳を伏せつつ、銀歌は言い訳がましく呻いた。葉月や白鋼と一緒にいた方が安全なのは確実である。だが、他人と一緒にいると気が落ち着かない。
「そうですか」
 その一言とともに。
 銀歌は後ろへと飛んだ。いや、吹っ飛ばされた。
 空中で一回転しつつ、何とか地面に着地する。胸を斜めに走るような鈍い痛み。斜め下から斬り上げられたが、それだけではない。手を近づけると、白衣の表面が焼けるような熱を帯びていた。熱くて触れない。
(刻熱刃ってヤツか。あたしも初めて見る)
 刃之助の右手に握られた二尺ほどの打刀。警衛隊の備品だろう。
 刀身に込められているのは、攻撃した対象を高熱化させる刻熱刃という非常に珍しい術だ。武器でも防具でも、一撃喰らえばそれだけで身に付けていられなくなる。武器なら手放すことを余儀なくされ、防具の場合はそのまま灼熱の拘束具と化すだろう。
 幸い式服が刃を防御し、熱も防いでいるが、式服が無ければ命は無かった。
 両手で印を結びつつ、尋ねる。
「お前も……例の不穏分子ってやつか?」
「分かりません」
 首を振りながら、刃之助は答えた。自分でも腑に落ちないと言いたげな口調。
「ただ、あなたを暗殺するよう指令が出ていまして。私もいまいち分からないのですが、指令が出ている以上実行しないわけにはいけません。それが仕事ですから」
「幻術か……」
 舌打ちをする。
 銀歌を殺すという指令。それを実行するような幻術を掛けられているようだった。対幻術訓練を受けている警衛隊特選隊班長を、完全に嵌めるほどの幻術。裏で糸引いているのは、相当な実力者だろう。
(やっぱ、アレか……)
 いつぞや、銀歌が攫われた時に敬史郎が呻いていた、黒幕。敬史郎と葉月が束になっても敵わないような相手。そのような相手はそうそういないだろう。
(白鋼に訊くしかないか。まあ、生き延びられたら)
 銀歌は蒼焔を纏わせた右手を持ち上げ、一閃。
 人差し指と中指から、青い光刃が刃之助を貫くように伸びる。顔見知りにケガをさせるのは気が引けるが、事が事だけに多少の負傷は仕方ないだろう。
 だが、刃之助は光刃を苦もなく躱す。青い刃が後ろの紅葉の幹を撃ち抜いていた。
 銀歌は手首を翻し、光刃を横薙ぎへと走らせる。植え込みを焼き斬りながら刃之助へと迫る雷炎の刃。だが、その一閃を刃之助は脇差で斬り捨てた。術式破壊だろう。根本から砕け、空中に散る光の破片。必殺術があっさりと破られた。
「さすがは特別選抜隊の班長……」。
 脇差を納め、刃之助が地面を蹴る。縮地の術から、一息に接近。まっすぐに喉元を狙い、刀を突き出してきた。銀歌の反応を上回る速度。
 今の身体では知覚するだけで精一杯である。
「……ッ」
 目の前に飛び出す影。
 ドッ。
 鈍い音とともに、銀歌の目の前まで銀色の切先が迫る。だが、刀は銀歌に届く前に止められていた。肉と髪の毛の焼ける嫌な匂い。影の主は右手を振りながら、
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ――美少女守れとオレを呼ぶ! お待たせしました、風歌ちゃん! 大滝霞丸颯爽と登場、ここはオレに任せてくれィ!」
「串刺しにされながら言う台詞じゃない!」
 あっけらかんとした口上に、銀歌は思わず叫び返していた。
 派手に跳ねた白い髪と、赤と白の風車模様のド派手な着流しと羽織。霞丸である。脈絡無く飛び出すなり、自ら刃の前へと躍り出た。結果、左前腕と腹を貫かれている。それでも、鉄硬の術で防御したおかげで、刃が銀歌に届くのは防げた。
 刀を引き抜きながら、刃之助が退く。血の付いた刀を構えながら、霞丸を睨んだ。
「大滝霞丸殿、仕事の邪魔をしないで頂きたい」
「狐が化かすならともかく……狐が化かされちゃァ、お話にもならんナ。顔洗って出直してこい! いや、オレが正気に戻してやるから歯ァ食いしばれ……ぅ、げほッ」
 大声で一喝してから――口から血を吐き出す。服や髪の毛から立ち上る煙と、肉が焼ける嫌な匂い。熱の術を帯びた刀で身体を貫かれたのだ。霞丸の着物は防御術も込められていないただの布。無事であるはずがない。
「見栄切ってる暇あったら、人呼んで来い! お前、戦う技術無いだろ」
「ま、そうなんだが……」
 右手で頭を掻きながら、小声で肯定する。
「このバカが」
 銀歌は左手を振り上げた。真上に撃ち出された蒼焔が、雷鳴のような轟音を響かせ、青い閃光を爆発させる。緊急信号のようなものだった。結界が張られているようだが、これだけ大きな花火を上げれば誰か気づくだろう。
「邪魔をするというなら、あなたも公務執行妨害で排除します」
 事務的に告げ、刃之助が両手で刀を構える。
 霞丸の妖力は、刃之助よりも強い。だが、妖力が強いだけであって、実際の戦闘力は、専門の訓練を積んでいる刃之助の方が上だった。
「やれるもんならやってみろィ!」
 挑発の言葉に、刃之助が再び地面を蹴る。迎え撃つように、霞丸も飛び出した。だが、その動きには明らかな差があった。それでも、霞丸は力任せに前進する。
 鈍い音がやけに大きく聞こえた。
 刃之助の踵が、霞丸の左膝に突き刺さっている。今のは骨の折れる音。踏み込みに合わせて踵を突き出し、膝を砕いたのだ。行動不能にするために。
「ぐ……!」
 苦痛に歪む霞丸の顔。膝を壊されれば、立っていることもままならない。骨折の痛みも並のものではないだろう。そこへ、刀が袈裟懸けに振り下ろされる。
 霞丸が強引に身体を捻るが、首筋を逸らすのが限度だった。
 鋭利な切先が、肩から鎖骨を割り、胸へと斬り込む。
 だが、刃が止まった。
「風歌さん……」
 刃之助の両手両足を貫く、青い光刃。霞丸の右側に移動した銀歌が、右手から光刃を伸ばしていた。蒼焔四本が四肢の骨を貫き、五本目が刀を根本から折っている。
 幻術の影響下で無ければ避けられただろう。幻術はかけた相手の注意力などを削いでしまうという欠点がある。ただ、それで止められるほど甘くはない。
 折れた刀身が、地面に落ちた。
 だが、柄を握っているのは、刃之助の右手だけ。左手は腰の脇差を抜いていた。その切先が銀歌の頭を捉えている。蒼焔で刃之助を縫い止めた状態では、すぐに動けない。
 法術の破裂とともに、爆飛雷の術が発動した。
「させるかよ!」
 折れた左足で地面を蹴り、霞丸は一切の迷い無く刃の前に飛び出している。銀歌を守るように。放たれた脇差が右胸を貫通する。刀の勢いに倒れかけつつも、右足を後ろについて体勢を立て直していた。
「惚れた女の前でカッコのひとつも付けられんで、何が男かァ!」
 勢いよく伸ばした右手で刃之助の喉を掴み、霞丸が咆える。
「雷電――!」

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