Index Top 第7話 妖狐の都へ

第6章 菜の花屋でお昼


「さぁて、どこから訊けばいいのか分からないんだが……」
 銀歌は頬杖を突きながら、半眼で敬史郎を眺めていた。
 見た目二十代半ばの男。雰囲気はかなり老成しているが。跳ね気味の長い黒髪をサラシでまとめ、額に鉢巻きのような白い布を巻いている。顔立ちは精悍だが、一見して無感情。がっしりした身体には白装束と深緑の羽織を纏い、深褐色の袴を穿いている。
「好きなことから聞け。時間はたっぷりある」
 カツ丼を頬張りながら、敬史郎が答えた。
 妖狐の都にある菜ノ花屋。有名な大衆食堂である。創業五百年の老舗だが、高級料理屋という雰囲気はない。多少値段は張るものの、その料理は文句なしに美味しいものだ。妖狐の都を出奔する前も、サボって食事に来ていた記憶がある。
 銀歌がいるのは、奥にある個室だった。六畳の部屋の中央に座卓が置かれている。そして、大量に並べられた料理と、それを次々と食べていく敬史郎。
 窓から見える川辺を眺めながら、呆れたように呻く。
「お前の消化器官ってどうなってるんだろうな? 異次元とでもつながってるんじゃないか? 何でそんなに食えるんだよ。もう十人前は軽く平らげてるだろ……」
 敬史郎は持っていた丼を置いて、次の山盛り蕎麦へと手を伸ばした。ズズズという音とともに、見る間に蕎麦が無くなっていく。食べていると言うよりも、食物を処理していると表現するのが正しいだろう。味わっているとも思えない。
 汁も残らず飲み干してから、敬史郎は器を置いた。
「お前も遠慮せずに食え。こいつは白鋼のおごりだ。代金請求はあいつの所に行くから、値段を気にする必要はない。俺も遠慮せずに食うから」
「店に迷惑だろ……」
 銀歌は片付け用お盆にのせられた器の山を見つめた。敬史郎の噂を聞く限り、本気で食べるならば百人前は食べるとも言われている。それほどの勢いで食べるならば、店の食材が無くなる可能性もあった。
「あらかじめどれくらい食べるかは知らせてある」
「そうか」
 銀歌はただそれだけを返す。それ以上追求しても進展はないだろう。白鋼の所に行く代金請求は五十万円を越えるだろうが、それはどうでもいい。払えない金額でもない。
 話題を変えるように右手を振ってから、
「そいつは、何なんだ?」
 部屋の片隅に置かれている木箱を示す。
 大人一人がすっぽり入れるほどの大きな檜の箱。何度見ても棺桶だが、中身は金属類だろう。鋼の匂いがする。そして、微かに漂う火薬の匂い。
 敬史郎は天丼をかきこみながら箱を一瞥し、
「白鋼に頼まれたものだ。整備に出してたらしい。俺が都に来るついでに持っきてほしいと頼んできた。俺は運送屋ではないのだが、他に適任もいないだろうな。ここの代金請求するという条件で承諾した」
「中身は?」
「銃と剣」
 答えは短かった。
 銀歌は狐色の眉毛を寄せる。浮かんだのは、以前銀歌と戦った時の白鋼の格好だった。左手に機関銃のように改造した大口径の対物狙撃銃を持ち、右手にマガツカミの鉄剣を構えた無茶苦茶な攻撃態勢。
 それに気づいたのか、敬史郎が言ってくる。
「銃は正解だ。バレットXM109改造の機関砲。あとは、各種実弾五百発。ただ、剣は不正解だ。お前の想像しているものは、使わないらしい」
 マガツカミの鉄剣。
 ぼろぼろに刃毀れして所々錆びた片刃の大剣。凄まじい瘴気を纏いながら、銀歌の作った防御術を紙でも切るように引き裂き、身体に致死傷を刻み込んだ。それを思い出すと、未だに背筋が冷たくなる。
 銀歌の沈黙を読んだのか、敬史郎が続けた。
「今回は普段の獲物を持ってきたらしい。大人の背丈くらいの鉄板に刃を付けた見た目の片刃の大剣。術強化とかはされてないが、鍛冶神大鋼鉄命の鍛えた業物だ」
「オオハガネノミコトって……」
 出てきた言葉に呆れ声で呻く。尻尾と狐耳が垂れた。
 神界最高の鍛冶師と言われる古の神である。気に入った相手にしか刀を作らなかったり、刀一本作るのに数年の歳月を掛けたり、赤熱した鋼を素手で打ったりなど、非常識な神らしい。だが、その銘の刻まれた刀剣は、億単位の金額とともに出回っていて、値段に見合った価値はあると言われる。
「また変な所とつながり持っているんだな、あいつは。さておき……」
 と話題を切り替えるように手を振ってから、
「何だ、その鉄板みたいな剣って?」
 頭に描いてみるが、上手く想像できない。非常識な武器というのは理解できるのだが、現物がどのようなものかいまいち分かりにくい。
「そのうち見るだろうから、説明する必要もない」
 敬史郎の答えは簡潔だった。
 ふと気配を感じて視線を移す。
「失礼致します」
 入り口の襖が開き、店の給仕が三人入ってきた。妖狐族の女が三人。きれいな若葉色の着物に菜の花が刺繍されたエプロン姿である。
 そして、山と積まれた空の食器に、一瞬動きを止めた。当然だろう。
「食ったのはこいつだから」
 銀歌は敬史郎を指差し、きっぱり告げた。自分の尊厳を懸けて。
 その言葉で我に返ったのか、給仕たちはてお互いに顔を見合わせて頷いた。
「それでは食べ終わった食器を片付けさせていただきます」
 一番年長らしき給仕が挨拶してから、給仕三人で岡持のような箱にてきぱきと空の食器を片付けていく。さながら宴会の後片付けだが、食器は全部空でちゃんと片付けやすいように重ねてあったので、一分も経たず食器は箱に収められた。
「失礼いたしました」
 揃って一礼してから、部屋を後にする。
 銀歌は残された料理を眺めてから、親子丼に手を伸ばした。半熟卵と鶏肉、ほどよくたれの染みこんだご飯。それを箸ですくって口へと運ぶ。
「変わってないな」
 もごもごと口を動かしながら、そんなことを思った。昔に食べた時と変わらぬ落ち着いた味である。最後に菜ノ花屋で食事をしたのは、二十年と少し昔。だが、酷く大昔のように感じていた。それだけ、自分が変わったということなのだろう。
「今何が起ってるんだ?」
 銀歌は箸を置き、敬史郎を睨んだ。
 白鋼の態度からさきほどの妖狐警衛隊の態度、敬史郎の言葉や荷物。これから戦争でも始めるような雰囲気である。しかし、戦争ではないだろう。もっと危険なことだ。
 山盛りの肉団子を食べるのを一度止めてから、敬史郎は息を吐く。
「機密だ……。俺も全容を聞かされているわけでもないし、今聞かされていることを喋る気もない。上もうかつに口に出来ない案件だ」
 それだけ言ってから、ガラスの水差しを掴み縁を口に当てる。二リットルのガラス製水差し。ジョッキよろしく、中身の水を氷ごと一気に喉の奥へと流し込んだ。
 ゴトリ、と水差しが置かれる。
「ただ――」
 その言葉から数秒の沈黙を挟んで、
「どのみち分かる」
 短く言ってきた。
 再び肉団子を箸で掴んで口へと移していく敬史郎。
 銀歌は尻尾を動かしながら目蓋を下げた。
「そうかい」
 雰囲気からすると、白鋼が当事者なのだろう。そして、銀歌自身もその深い部分に足を突っ込んでいる。自分の知らないうちに。気にくわないことだが、自分の知らない所で勝手に話が進んでいる。
 それに苛立っても意味はないだろう。
 手早く見切りを付けてから、銀歌は自分の首を指差した。今は術で隠してあるが、首には赤い首輪が嵌められてる。敬史郎が視線を向けてくるのを確認してから、
「白鋼の話だと、今日中にこいつを外さないと死ぬらしい」
「なら、死ぬのだろうな」
 敬史郎の答えは酷くあっさりしていた。白鋼が死ぬと言ったから死ぬ。白鋼の言葉を疑っている気配すらない。事実、白鋼の口にする言葉は、極めて的確である。時々――もとい、よく口にする冗談は別として。
 銀歌は座卓に置いてあるコップに目を向ける。氷水の入ったガラスのコップ。氷は大分溶けている。その中身を半分ほど飲んでから、改めて尋ねた。
「どうやったら外れると思う?」
「あいつの性格から考えるに、その答えはもうお前に伝えてあるだろう。お前がそれを答えと気づいていないだけだ。俺が言えるのはこの程度だな」
 肉団子の皿を置いてから、白飯を大量の漬け物で食べ始める。無茶な食べ方であるが、もう驚かないと決めていた。驚くだけ気力の無駄である。
「そうか……」
 術で見えなくした首輪を撫でながら、銀歌は静かにそれだけを答えた。

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