Index Top 第7話 妖狐の都へ

第5章 昼食に出掛けて


 尻尾を揺らしながら、とことこと都の西通りを歩いていく。
 石畳が敷き詰められた通り。この辺りには雑貨屋や食堂などが並んでいる。白鋼に金を渡されて、食事をしてこいと言われていた。通りを歩いているのは、大抵が妖狐族。会議が開かれるためか、よく制服姿の警衛隊を見る。
 銀歌の服装はかなり浮いているが、それを気にしてくる者もいないようだった。個人の趣味として巫女装束のような服を着る狐族はいる。さすがに首輪は術で隠したが。
「今日中に首輪外さないと死ぬって、唐突だよな……」
 首輪を撫でながら、銀歌は呻いた。
 脈絡もないし前後の経緯をもほとんど分からないが、首輪を外さないと死ぬというのは事実なのだろう。正直なところ、現実味の無い話ではある。
「とはいっても、どうやって外すかな?」
 狐耳の先を弄りながら、銀歌は自問した。
 結局のところ、それが分からない。
 物理的なものでは無理。包丁や短刀などの刃物類から、鉄の棒などを切断する油圧切断機まで試してみたが、傷ひとつ付かない。術でも無理である。蒼焔刃で斬ろうとしたが、首に火傷を負っただけで焦げ目すら付かなかった。言霊も効果は無い。
「それでも、今日中に外せと言っているということは、あたしがその外す方法に気づく可能性が十分あるってことだ」
 道を歩く妖狐をすり抜けながら、頷く。
 白鋼の性格を考えるに、銀歌が今日中に首輪を外す方法を考えつくことはほぼ決定事項だ。自力で方法を見つけるか、他人の力を借りるかは分からないが、その方法はいずれ銀歌の手に入る。もっとも、それは希望的観測に過ぎない。
「まあ、それはそれとして」
 銀歌は軽く右足で石畳を蹴った。
 身体の向きを九十度回し、手近な路地へと足を進める。それほど広さのない細い道。地面に敷かれた石畳も、表通りほど手入れはされていない。所々割れていて、小さな草が生えていた。人気はほとんどない。
 やや早足で、人気の無い場所へ進んでいく。足元の石畳は無くなり、むき出しの硬い地面になっていた。道端には背の低い雑草が生えている。
 そうして、人気の無い空き地にたどり着き、銀歌は振り返った。
「そろそろ出てこい」
「人を不信人物みたいに言わないで欲しいな」
 空き地の入り口に立っていたのは二人の妖狐である。
 一人は普通の妖狐で、若い男。服装もありふれた着流しだった。
 もう一人は壮年の黒狐の男。深緑の羽織に袴という格好である。
 ただ、先ほどから感じていた気配は今口を開いたい若い男のものだけである。壮年の方が実力は上だろう。おそらく、若い男の上司だ。
 距離は十メートルほどだろう。相手の実力と術傾向にもよるが、十分危険範囲ではある。もっとも、銀歌にとってもこの距離は射程距離内だった。
 銀歌は疑わしげに二人を見つめ、
「人を尾行してりゃ、十分不信人物だろ。何の用だ?」
「私たちは妖狐警衛隊の者だ」
 答えたのは壮年の黒狐だった。懐から小さな手帳を取り出し、表紙を開いて見せてくる。警衛隊手帳。顔写真と簡単な肩書きなどが書かれていた。妖狐警衛隊十二班班長、塚淵惣兵衛という名前らしい。
「君は自分の立場を理解しているのか? 色々と他人から狙われる立場というのは自覚して欲しい。気楽に外を歩けば、そのまま攫われかねない立場と言うことも」
 手帳を懐にしまい、惣兵衛が逆に説教をしてくる。銀歌の素性についてはある程度知らされているのだろう。元々、銀歌の素性自身はあちこちで疑われているらしい。あの『銀歌』本人ではないかと。事実であるが。
「メイドの葉月さんだっけ? あの娘さんが一緒なら安心なんだけどね。あ、オレの名前は玲司だから。よろしく」
 若い妖狐が笑ってみせる。着流しから取り出した手帳を見せた。顔写真とともに、春日部玲司という名前が記されている。十二班副班長らしい。
 風が吹き、空き地に生えたネコジャラシが揺れていた。
 銀歌は白衣の袖に右手を入れ、二人を睨み付ける。
「だったら、あらかじめ尾行するとか言っておけって……」
「俗に言う伝達系統の遅れってやつだよ、それは謝罪する。でも、君も自分から人気のない空き地に誘い出すって、自分から攫ってくれって言ってるものじゃないか……」
 ため息をついてから、玲司が一歩前に出た。
 その一歩だけで、空き地の空気が変わる。うらぶれた路地裏の空気から、張り詰めた戦場の空気へと。ある意味予感は的中ということだった。
「それがつまり、お前らなんだろ?」
 返事はない。二人が動く。
 その時には、銀歌は行動を起こしていた。袖から出した手に握られた二十枚の術符。
「散れ!」
 後は一瞬だった。二十枚の札が空中に飛び散り、惣兵衛と玲司の二人を取り囲むように展開する。そして紫電が爆ぜた。青白い輝きが空間を埋め、雷鳴が響く。
 改造型雷撃符。攻撃符の一種で、爆発的な雷撃を放つもの。さらに自動的に標的を追尾して包囲し、破裂するという、誘導機能付きだ。白鋼が作っている試作品らしい。
 雷撃は一秒も経たず収まり、黒焦げになって地面に倒れている惣兵衛と玲司。
 全身から煙を上げながら、小さく痙攣している。生きてはいるようだが、しばらく入院は確実の重傷だった。
「……やりすぎたか?」
 死にかけの二人を見ながら、銀歌は唸る。白鋼に渡されていた護身用のものだったが、さすがに一気に二十枚も使うのは無謀だっただろう。
「風歌、伏せろ」
 突然聞こえてきた声に、銀歌はその場に伏せた。
 十数本の銀光が空を裂いて飛んでいく。真後ろで何かに刺さる音。
 起き上がって振り向くと、妖狐族が三人仰向けに倒れていた。後ろから気配を殺して銀歌を捕まえようとしていたのだろう。喉に一本、胸に二本、腹に一本。法力を纏った細長い刃物が突き立てられている。それは、敬史郎の使う投擲剣だった。
 死んではいないが、確実に動けない状態である。
「確保」
 短い言葉とともに、制服姿の警衛隊隊員が空き地に飛び込んできた。人数は十四人。銀歌が黒こげにした二人と、投擲剣に急所を刺されて瀕死の三人に、頑丈そうな手枷と足枷を嵌めていく。迅速な動き。
「大丈夫ですか? 風歌さん」
 銀歌の元へと歩いてくる警衛隊の男。人間年齢でいう三十半ばほどの銀狐だった。しかし、初めて見たわけではない。鼻筋を横切るような古傷。
「あんた、さっきの――」
 服に付いた土を払いながら、銀歌はその男を見つめた。銀一を連れて行った班の班長である。今の人員を指揮しているのも、この男のようだった。
 男は丁寧に一礼しながら、
「特殊選抜隊第七班班長の木里咲刃之助と言います」
(キリサキ……ジンノスケって、砂理彩の親戚か……。白鋼が指名したのか?)
 銀歌は表情に出さず、そう呻いた。一族内に生まれた銀狐だろう。銀一を止めるために、白鋼が木里咲家の者を指名したかと考えると、それは違う。できれば呼びたくなかったと言っていた白鋼を思い出すに、ただの偶然だ。
「犯人逮捕の協力、感謝します。嘆かわしい話ですが、警衛隊内部にも不穏分子はいましてね。現在動きが活発になっている様子です。どうも狙いはあなたのようですが――」
 視線を僅かに反らし、刃之助はそう渋い言葉を漏らした。完全に潔癖な組織はない。とはいえ、自分の組織内にそのような者がいるのは気持ちいいものではない。
 枷を嵌められたまま担架で運ばれる五人を眺めながら、銀歌は刃之助を睨んだ。
「あたしを囮にしたってわけか?」
「あなたなら必ず人気の無い場所で相手を自分の前に引っ張り出すので、その時を見計らって捕縛して欲しいと、白鋼さんに頼まれまして。元々十二班は内部監査で怪しいと言われていたのですが……」
 半ば愚痴るように答えてから、刃之助は沈痛な面持ちで首を振る。
「………」
 銀歌は頬が赤くなるのを自覚した。警衛隊不祥事はどうでもいい。
 利用されていた以上に、無謀な行動を読まれていて後始末まで仕込まれていたことが情けない。白鋼の手引きが無ければ捕まっていたのは確実だった。
 咳払いをしてから、銀歌は辺りを見回す。
「ところで、あいつらに剣を投げたのは誰だ?」
「俺だ。相変わらずお前は実力を試みない行動が目立つ。自制しろ」
 空き地の入り口に立っているのは、予想通り敬史郎だった。
 頑丈そうな布のベルトで、大人一人が入れそうな大きな木箱を背負っている。形状としては棺桶だが、棺桶ではないだろう。
「久しぶり――でもないが、何でこんな所にいるんだ?」
 銀歌は腕組みをしつつ、敬史郎を見つめた。普通なら妖狐の都に来ることはないが、来ている理由は想像が付く。やはり何かが動いているのだ。
「ご協力感謝致します」
 背筋を伸ばし刃之助が敬礼している。
 敬史郎もそれに敬礼を返していた。
 他の警衛隊が撤収したのを確認してから、刃之助に小声で話しかける。
「この一件への深入りはしないでくれ。失礼な言い方だが、妖狐警衛隊では手に余りすぎる。神界軍内部でもこの件は安易に口にできない状況だ。相手が悪すぎる」
「いつだったか、あの、えっと、名前は何だっけ……? 思い出せん……が、とにかく、あの蛇女もあたしを捕まえようとしてたな……」
 敬史郎の言葉を訊きながら、銀歌は教習所に通っていた時の一件を思い出していた。

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