Index Top 第4話 目が覚めたらキツネ

第8章 ぼんやりと雑談


 銀歌はふと目を開けた。
 辺りは暗い。風呂から上がって身体を拭かれ、ふらふらになって自分の部屋に戻る。布団は敷かれていた。いつもは自分で敷いている。風呂に入る前に葉月が敷いたらしい。
 布団の上で丸くなって寝ていた。
 いつ眠ったのか記憶にない。それほど疲れていたのだろう。
「あ。何時だ……」
 身体はまだ仔狐のまま。深夜であるが、日付は変わっていないようである。
 銀歌は暗い部屋をぐるりと見回した。窓から差し込む星明かりだけで、大体の様子は見渡せる。枕元に置いてある時計は、十一時五十分を指している。
「あと十分で元に戻れるのか」
「いやぁ。色々大変だったようですね」
 突然の声に銀歌は肩を跳ねさせた。
 パチリと音を立てて、部屋の明かりがつく。
 明るくなる室内。
「白鋼……」
 布団の傍らに白鋼が立っていた。右手を伸ばして、蛍光灯の紐を掴んでいる。
 いつの間にここに入ったのか、分からない。銀歌が目覚めた時にはいなかった。もっとも、白鋼が神出鬼没であることはいつものことである。
「何だ、こんな時間に」
「銀歌くんの様子が見たくなって、ちょっと寄って来ました」
 銀歌の前に腰を屈め、にっこりと微笑んでみせた。この笑みだけを見れば、穏和なお人好しに見える。だが、その実気性は極めて危険。
「冷やかしか?」
「いえ」
 睨む銀歌に、白鋼は首を振った。
「すみません。本来なら僕が面倒見るべきでしたが、急な仕事があったので。葉月は動物の世話などしたことがないのですからね。大変な目にあったと思います」
 ドックフードを食べさせられたこと、霧枝に一度も逆らえなかったこと、風呂で無茶苦茶に洗われたこと。思い出して、目頭が熱くなる。
「次の新月の日は僕が面倒見ます」
 にっこりと笑う白鋼。
「嬉しくない」
 銀歌は呻いた。葉月のように乱暴に扱われることはないだろう。しかし、今の銀歌を見る目付きが、どことなく霧枝に似ている。
 話を変えるように、銀歌は尋ねた。
「それより、お前。どこ行ってたんだ? お前と敬史郎が一緒に出掛けるなんて、よほどのことだろ。戦争でもしてたのか?」
 ふっと白鋼の表情が暗くなる。思い出したくないことを思い出した顔。
 ぼそりと一言。
「書類整理……」
「書類整理……? なんでそんな地味なことしてるんだよ? あたしの検討が正しければ、お前は日本の黒幕みたい――」
 言いかけたところで、ひょいと持ち上げられる。前足の下に両手を差し入れられ、ぬいぐるみのように抱えられる。たかが仔狐。逃げる暇もない。
 鼻が触れあうほどまで顔を近づけ、白鋼は呻いた。淡々と。
「銀歌くん。君の推測は正しいです。よく調べたと感心しますよ、本当に。僕は確かに、フィクサーのような仕事を行っています。しかし、君は分かっていない。比喩抜きで山積みの書類に目を通して判子押したり、日本中を飛び回って、時には海外に出掛けて交渉を行ったりするのがどれほど退屈で面倒な仕事であるのか。椅子にふんぞり返って、適当に指示出していれば勤まるような仕事ではないのですよ。映画や漫画じゃないんですからね、まったく。時々僕は何でこんなことやってるんだろうと疑問に思ったりしますし、研究の時間削られますし、無駄に神経すり減らしますし、しかもこの姿になってから、なぜかよく口説かれますし。そのたびに相手をシメてますけどね。でも、僕以外にこの仕事をこなせる人もいないんですから、僕がやらなきゃいけなんですよ。分かりましたか、銀歌くん」
「はい」
 こくこくと頷く銀歌。
 ここで否定したら、さらに愚痴を続けられるだろう。朝まで。
 白鋼は銀歌を布団に下ろし、何度か首を振ってみせる。
 気持ちは分からなくもない。銀歌も昔は机に積まれた教科書の山を見て、よく逃げ出していた。机に山積みにされた紙は、威圧感がある。
 空気を変えるように、銀歌は口を開いた。
「ところで、白鋼」
「何でしょう?」
 表情を元に戻し、興味深げに返してくる。
「お前の言う理の力のことだ」
 銀歌は告げた。
 白鋼は口の端を持ち上げる。
「ほう。何か分かりましたか?」
「あれは、ただの方便だろ?」
 白鋼を見つめ、銀歌は言い切った。
 反応するように、銀色の眉毛が動く。尻尾がぱたりと跳ねた。当たりらしい。
 畳み掛けるように続けた。
「お前の言う『理の力』は全体の半分しか言ってない。理の力は、物事の原理や仕組みや、構造……それを完璧に把握し、理解する力だ。どういう方法を使っているのかまでは分からないけどな。そこから、その対象に干渉する方法は別にあるんだろ?」
「お見事です」
 パチパチと拍手をする白鋼。銀歌の推測は正解だったようである。
 嬉しそうに笑いながら、
「やはり、僕が見込んだだけのことはありますね」
「ありがとよ」
 銀歌は素っ気なく返した。
「もっとも、迷宮の先に出口の場所が分かったくらいで、どのような方法で事象を理解するのか。どのような方法で干渉するのか。それを知らないと意味はないですけど」
「見当はつけてある」
「ほほぅ」
 口元を緩める白鋼。何と言うのか、期待しているのだろう。
 しかし、銀歌は言い切った。
「今ここでお前を喜ばせる義理はない」
「そうですか、残念です」
 言葉通り、残念そうに耳と尻尾を萎えさせる。
「あとな」
「何でしょう?」
「……銀牙って誰だ?」
 銀歌の発した言葉に、白鋼は固まる。
 どうやら、核心を突いたらしい。
 銀牙。それが一体誰であるのか、詳しいことは分からなかった。資料の中からちらほらと名前が出てきた。かつて白鋼が殺した魔物らしい。
 しばらく固まってから、白鋼は口に手を当てた。
「ふふふ……はははは――」
 堪えきれないとばかりに笑い始める。
「いや、銀歌くん。やはり、君は凄いですよ。僕が見込んだ以上の逸材です。理の力のイカサマに気づくのは予想していましたけど、まさかこれほど早く銀牙を調べ出すとは思いませんでしたね。うん」
 心底楽しげな表情で言ってから、人差し指を上げる。
「さて、時間です」
「え」
 指の示す先には、時計。丁度、零時を指していた。
 全身に寒気のような感覚が走る。あとは本当に一瞬だった。まるで変化の術を解いた時のように身体の組織が組変わり、元の人の姿に戻る。一秒も掛からない。
「あ……。元に、戻った」
 布団の上に腰を下ろした体勢で、銀歌は両手を持ち上げた。握ったり開いたりしながら、具合を確かめる。元通りになっていた。
「銀歌くん」
 声をかけられ、白鋼に顔を向ける。
 白鋼はデジタルカメラを構えていた。
「はい。笑ってください」
 パシャ。
 というシャッター音を聞いて、自分が一糸まとわぬ姿だと気づく。仔狐になった時に服は脱げていた。狐の時は常に裸。そのまま人の姿に戻っても服を着ているわけではない。
 つまり、丸裸の写真を撮られた。
「ちょっと待てえええええ!」
 絶叫とともに飛びかかるが、遅い。部屋の扉が勝手に開く。
 白鋼は部屋の外へと飛び退っていた。重力を無視した動きで、軽やかに舞うように。無駄に爽やかな笑顔で右手を軽く振ってみせる。
「それでは、アディオス!」
 バタン、と扉が閉まった。
 銀歌は扉を開けて、廊下の左右に視線を向ける。
 白鋼の姿は、忽然と消えていた。

Back Top Next