Index Top 第4話 目が覚めたらキツネ

第7章 風呂に入る……


「銀歌! 見つけた!」
 葉月の声に銀歌はびくりと肩を跳ねさせた。
 夕方も過ぎ、辺りもすっかり暗くなった午後七時半頃だろう。
 銀歌はひたすら逃げていた。この仔狐の身体ではどこに行くことも出来ないが、葉月から逃げることは出来る――と信じたかった。とにかく、日付が変わるまで逃げ切るつもりだったのだが……
「ここまでか……」
 意気が折れかけるが、ぎりと歯を食いしばる。諦めたらそこで終わり。意志を貫くためには前に進み続けなければならない!
「まだだ! まだ……あたしは行ける!」
 銀歌は走りだした。
 木々の間を縫って突き進む。
 森の中、人間サイズの葉月と狐の銀歌では体格の差が明確に出てくる。
「待ちなさーい」
 叫びながら追いかけてくる葉月。しかし、下草や木が邪魔で思うように走れないようである。辛うじて銀歌の方が速い。
「逃げ切れるか……!」
 思った瞬間。
 ドガァッ!
 轟音とともに、近くの木に何かが突き刺さった。
 葉月の腕。右腕の肘から先。液体金属の身体である。ばらばらになっても動けるのだ。腕を切り離して飛ばすくらいは造作もないだろう。
 木に突き刺さった腕から色が抜け、形を失った液体と化す。例えるならば、銀色のスライム。小さな破裂音とともに、銀歌に向かって跳んでくる。
「!」
 跳び退ろうと身体を動かしたが、遅かった。
 金色の液体が、銀歌を捕らえる。逃げようともがくも、液体の金属。まともに身体を動かすことも出来ず、手足を拘束――
 そのまま固まる。
「……葉月ィィィィ!」
 絶叫してみるが、どうにもならない。鉄を主成分として、レアメタルを含んだ非常に強度の高い合金。仔狐の筋力でどうにかなるものでもない。
「捕まえた♪」
 悠々と傍らまで歩いてきた葉月。
 右腕の先は直っていた。身体を構成する金属が三割ほどまで減っても、姿を保てるらしい。もっとも、筋肉機構を作れなくなる分、力は減るようである。
 金属で縛られたままの銀歌を、葉月はひょいと拾い上げた。
「じゃ、お風呂に入ろう」
「嫌だああああ!」
 じたばたと足を動かし――動かすことも出来ず、銀歌は叫び声を上げる。だが、葉月は聞こえている素振りも見せずに歩き出した。


 風呂場。
 銀歌はその床に下ろされていた。
 六畳ほどの広さで、半分が湯船となっている。湯は張られていない。風呂に入るのは白鋼と銀歌だけ。葉月は風呂に入らない。汗もかかないし垢も出ないので、風呂に入る必要もない。
「どうすればいいのかな?」
 葉月はシャンプーを眺めていた。髪の毛用、尻尾用、身体用。白鋼がどこかから持ってきたものである。気に入らないことではあるが、銀歌と白鋼の身体は同じモノ。異様なほど身体に馴染んでいる。明らかに毛並みがよくなっていた。
 それはそれとして。
「あたしをどうするつもりだ」
 銀歌はじっと葉月を見つめる。何度か逃げようとした。だが、そのたびに捕まえられてしまう。葉月は真面目に与えられた仕事をこなしているだけだが、銀歌にとっては苦行にしかなっていない。
「うん。よし」
 葉月は一人納得したように頷いた。納得しているが、その実内容は絶対に正しくない。シャワーのヘッドを掴むと、銀歌に向ける。
「ちょっ!」
 慌てる銀歌を無視して、葉月は無造作にバルブを捻った。
「! ぎゃあああ!」
 全身に水を浴びせられ、銀歌は飛び跳ねる。人の姿の時はどうということもないが、この姿で水を浴びせられると拒絶反応が走るのだ。
 転がるように――実際に転がりながら、風呂場の隅まで逃げる。
「お前は、何考えてるんだ!」
 全身を震わせ、銀歌は水を払いのけた。飛沫が散る。
 温水ならともかく、いきなり水をぶっかけられたのだ。夏とはいえ、およそ気持ちのいいものではない。
「あれ……。間違えた」
 葉月はシャワーを自分の手に当てる。
 バルブを捻りつつ温度を確かめてから、頷いた。
「よし、今度は大丈夫」
「そういう意味じゃねぇ」
 言い返すも、銀歌の言葉は通じない。
 葉月はひょいと手を伸ばして、銀歌を捕まえた。文字通り腕を伸ばし、目にも留まらぬ速度で銀歌を捕獲する。逃げる余裕はない。
 手元に引き寄せると、容赦なくお湯をかける。
「待てええええ!」
 叫びながらばたばたと暴れるが、どうにもならない。仔狐の身体では、人の姿の時でさえ、銀歌の力では葉月に歯が立たないのだ。
 銀歌をがっちり押さえ、葉月は文句を言う。
「動かないでよ、銀歌。ちゃんと洗わないと、きれいにならないよ」
「そういう意味でもねええ!」
 叫び返す銀歌。しかし、葉月に銀歌の言葉は届かない。キャンキャンと吠えているようにしか聞こえないだろう。
 葉月は手を離した。
 暴れる力も残っていない。ぐったりとへたり込む銀歌。
「嗚呼……。あたし、死ぬかも」
「ええと」
 葉月はシャンプーを手に取った。
 尻尾用のシャンプー。どれを選んでも同じようなものだが、狐の毛を洗うのならば尻尾用だろう。そういう意味では選択は間違っていない。
 葉月はシャンプーを乗せた右手を銀歌の背中に滑らせた。
 そのまま、ごしごしと洗い始める。
「あぎゃあああ!」
 銀歌は再び悲鳴を上げた。
 痛い!
 かなりの力で、全身を掻きむしられる。
 葉月は液体金属。自分の身体を石鹸で洗うようなことはしない。他人の身体を洗うようなこともしない。白鋼なら自分の身体は自分で洗う。ましてや、動物の身体を洗ったことなどあろうはずもない。
 つまり、力の加減が分からない。
「痛い! って、葉月! あたしは芋じゃないんだから、少しは力を抜け! 言葉の意味は通じなくても、雰囲気で察しろ!」
 叫ぶが、聞こえていない。葉月は真剣な表情で銀歌の身体を洗っている。そのことに集中するあまり、周囲のことに注意が向いていない。
「ッ!」
 目に痛みが走り、何も見えなくなる。
「ああッ! 目に入った! って、葉月いいい! いい加減にしろおおお!」
 叫ぶが、葉月は洗うのを止めない。
 拷問は十五分に渡って続いた。

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