Index Top 第4話 目が覚めたらキツネ

第5章 お昼ご飯


 銀歌は台所の隅に丸くなっていた。
 葉月と霧枝のお喋りをぼんやりと聞き流している。仔狐の姿では、普段のようなことは出来ないし、妖術も使えない。余計なことはしないに限る。
「あ。もうお昼だ」
 葉月の声に視線を上げる。
 葉月は時計を眺めていた。ちなみに、銀歌の姿から元の姿に戻っている。普段と違う姿を取るのは、負担になるらしい。
「お昼。おなかすいた」
 霧枝は尻尾を揺らしながら、自分のお腹を押さえる。
 午前十一時三十分。
 葉月は時計から霧枝に目を移した。
「霧枝ちゃん、何食べたい?」
「お蕎麦」
 霧枝は笑顔で答える。この年頃の子供ならば迷うところだが、そういった様子はなかった。最初から何が食べたいか考えていたのだろう。
 ふと銀歌は気づいた。
「霧枝……。あの敬史郎の娘だよな」
 敬史郎は五日に一度ほどの割合で、この屋敷にやって来ている。半日ほど白鋼と話し込んでいた。銀歌は話の内容を知らされていない。ある程度推測はつくが、銀歌が口を挟むことでもないだろう。
 さておき。
 敬史郎は来るたびに昼食か夕食を食べている。大量に。五人前程度なら、平然と食い尽くして帰って行くのだ。どういう胃腸を持っているのか時々気になる。
「何玉食べる?」
 銀歌が凝視している中、冷蔵庫を開けながら葉月は尋ねた。葉月も霧枝の答えを予想していたらしい。というよりも、霧枝の食べ物の好き嫌いを知っているのだろう。冷蔵庫の中には蕎麦がしまってあった。
 水を入れた大きな鍋をコンロに乗せながら、霧枝は一言答える。
「一玉」
「よかった……」
 銀歌はぼそりと呟く。
「ねぇ、風歌」
 葉月が声をかけてくる。蕎麦を一玉取り出し、皿に乗せている。ごく普通の一玉の蕎麦。実は三玉分の大きさがあった、などということはない。
 半分ほど目蓋を下げてから、
「今、『よかった』って言ったでしょ?」
「言ってない」
 銀歌は素知らぬふりで首を振った。
 特に否定する理由もないが、否定しておく。あれほど露骨に興味を示して、否定もなにもないが、何となく知られてはならないような気がした。
「……いいけど」
 葉月は銀歌から目を離す。言葉は通じないが仕草の意図は伝わったらしい。
 霧枝が万能葱を取り出し、まな板の上で器用に刻んでいる。手つきも包丁さばきも手慣れたものだ。料理の手伝いもしているのだろう。
 手頃に切ったネギを小皿に盛っている。
(あたしには出来ないな)
 銀歌は心中でぼやいた。
 妖狐の都で料理の仕方も教わったような気がする。しかし、既に料理の仕方など忘れてしまっていた。放浪時代は適当に食べていたし、今は葉月が料理を作っている。
 茶箪笥からせいろを取り出す霧枝。
「ざる蕎麦か……」
「あ。そうだ」
 葉月はぽんと手を打った。
「風歌のお昼ご飯も用意しないと」
「え……?」
 固まる銀歌。意識がその事態を把握しようとしても、理性がそれを押し止める。
 茶箪笥から紙の箱を取り出す葉月。
「………!」
 高級ドックフード・ロイヤルバランス。千グラム千五百円、税込み。
 銀歌は考える間もなく駆け出した。四つ足で走ることには慣れていない。狐に化けられる妖狐とはいえ、普段は人の姿を取っているからだ。
 だが、今なら――狐の今なら本能的に理解出来る。
 台所を突っ切り、銀歌は出口へと向かった。
 台所から出てしまえば、後はどこへでも逃げられる。
「自由への第一歩!」
 自分でも訳の分からないことを叫びながら、銀歌は一際強く床を蹴った。開け放たれた入り口から、台所の外へと飛び出す。
 寸前に……
「待って、風歌」
 葉月の声。
 身体に鞭のようなものが巻き付き、銀歌はあえなく動きを封じられる。
 直径一センチほどの、柔らかい鉄パイプのような銀色の鞭。それが何であるか一瞬理解しかねたが、葉月の指であると気づく。
 鞭のように伸びた、葉月の右手人差し指。
「お前はあああぁぁぁ!」
 暴れながら叫び返すが、振り解けない。
 単純な力で葉月に敵うはずもない。ましてや、妖術も使えない仔狐では、どうあがこうとも、抗うことすらできない。
 がりがりと床板に爪の後を残して、葉月の元に引き寄せられる。
「ちゃんとご飯食べてよ。御館様に怒られるのはわたしなんだから」
 葉月は指を元に戻した。
 犬用の餌皿を銀歌の前に置く。水色の丸い餌皿で、デフォルメされた狐の顔の絵が描かれてていた。絵の癖からするに、葉月が描いたのだろう。
「ぬうぅ……」
 逃げる隙を伺うが、葉月に隙はない。
 戦闘用に作られたというだけあり、普段から隙を見せることはなかった。その割に、肝心なところで抜けているのは、謎である。
 葉月は餌皿にドックフードを適量乗せた。
「さ、食べて」
 屈託のない笑顔で言ってくる。
 犬用の餌を食べさせるという屈辱。それを銀歌に味合わせる。
 ――などといった邪な感情は一切ない。至極純粋に、銀歌の昼食を用意してるだけなのだ、葉月は。無邪気とは、極めて残酷で危険な代物である。
「お前なぁ」
 銀歌は牙を剥いて、葉月を睨んだ。
 通じないことは分かっているが。
「風歌さん」
 霧枝が銀歌の前に屈み込む。
 銀歌は牙を納め、霧枝を見上げた。
 子供相手に威嚇するのは、気が引ける。というか、子供が相手ではどうしても強く出られないのだ。理由は想像できるが、認める気にはなれなかった。
 霧枝は人差し指を立て、諭すように言ってくる。
「好き嫌いは駄目です。ちゃんと食べないと、大きくなれないですよ」
 ぴんと立った猫耳と、黒い尻尾。
 説教しているわけではない。敬史郎か瑞樹に言われたことを、そのまま銀歌に言っているのだ。大人振りたい年頃なのだろう。
「………」
 澄んだ黒い瞳でじっと銀歌を見つめる霧枝。
 銀歌は尻尾を下ろし、半歩後退した。ごくりと喉を鳴らす。
 相手は文字通りの子供。迫力など微塵もない。だが、白鋼の涼しい微笑の脅迫よりも、数倍以上の威圧感がある。
「はい。分かりました……」
 銀歌は五秒も経たずに屈服した。

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