Index Top 第4話 目が覚めたらキツネ

第4章 霧枝と葉月


 霧枝に抱えられたまま、森を抜ける。
「暑い……」
 銀歌は呻いた。
 容赦なく照りつける夏の太陽。森の中とは違う、暑い空気。
 夏毛であるが、動物の毛皮は熱をこもらせる。人の姿である時より何度か気温が上がっているように感じた。抱えられていて、霧枝の体温も伝わってくる。
 屋敷の横手を通り、庭に移った。
「おかえり、霧枝ちゃん」
 洗濯物を干している葉月。
 物干し台に並んでいるものは、銀歌と白鋼の服だけである。葉月は服も含めて全部液体状の金属なので、着替える必要はない。その時の気分に合わせて服装を替えられるのは、便利だと時々思うこともあった。
 銀歌に気づき、声を上げる。
「あ。……ぐ、ぃんん……」
 思い切り口を捻らせてから、ごくりと言葉を呑み込む。
「ふうか」
「………。よう」
 呆れたように呟き、銀歌は右前足を上げた。あやうく銀歌と言いかけて、ぎりぎりの所で踏み留まっている。銀歌と名乗れないことを忘れかけていたらしい。
 霧枝は銀歌と葉月を交互に眺めてから。
「風歌さん? どこにいるの?」
 不思議そうに呟いている。
 敬史郎辺りから銀歌のことは聞いているはずだ。敬史郎のことだから、なんと説明しているかは気になるが――あまり変なことは言っていないだろう。理解不能な言動は目立つが、見かけによらず常識人だ。
 葉月は銀歌を指差し、
「霧枝ちゃんが抱えてるキツネが風歌だよ」
「え?」
 霧枝は抱えている銀歌を見下ろした。
 仔狐から成体になる中程の外見。どこにでもいるアカギツネである。不自然な所もないだろう。少なくとも銀歌自身が気づくようなものはない。
「風歌さんって……ええと、白鋼さんの助手の見習いの風歌さんだよね……。妖狐族の女の人って聞いてたんだけど、この子普通のキツネだよ。違うの?」
 もごもごと口を動かし、霧枝は銀歌を眺めた。信じられないといった表情。
 妖狐族などは、任意で普通の狐に化けることが出来る。霧枝も猫神。仔猫に化けることは出来るだろう。ただし、痕跡は残るのだ。半妖は痕跡がほとんど残らないらしい。
 銀歌は前足でひげを撫でて見せた。
「変化の術……じゃないよね?」
「違うぞ」
 首を振って答える。
 質問に答えたように見えただろう。
 霧枝は銀歌を地面に下ろした。しゃがんだまま、立ち上がることはない。
 銀歌は五歩前に進み、前後を入れ替えて霧枝を見上げる。立った相手を見上げるほどはないが、四つん這いのまま首を持ち上げているため、ちょっと痛い。
「本当に……風歌さん?」
 おずおずと訊いてくる。
 銀歌は右前足の爪を立てた。地面を引っ掻き文字を書く。
『そうだ』
「うわぁ」
 驚きに目を丸くする霧枝。猫耳と尻尾がぴんと立った。
 目の前の狐が文字を書けば、誰でも驚くだろう。
「本当に風歌さんだ。何で仔狐になってるの?」
 興味津々といった声を上げる。
 銀歌は葉月に目をやった。地面に爪で文字を書くのは、手間が掛かりすぎる。葉月に説明してもらうのが手っ取り早い。
「風歌は半妖だから、新月の日になると妖力が弱くなって狐になっちゃうんだ。今は狐の姿だけど、明日になったら人の姿に戻れるよ」
 三秒ほど見つめ合ってあから、葉月は説明した。かなりトボケているので、視線の意味を勘違いする恐れも合った。
「へえー」
 何度も頷く霧枝。
 半妖というものは、まず見ることがない。例えば、妖怪と人間が付合うことは少ないし、子供が生まれることはさらに少ない。種族としての特性が違いすぎるのだ。しかし、極めて稀なことであるが、子供が生まれることもある。半神も同じで、理由は省く。
「半妖って大変なんだ」
 霧枝の耳がぱたぱたと動いていた。
 半妖の妖力が定期的に減ることは知られていない。知っていても、銀歌のように噂話と思うだろう。噂話にはなるが、現実味のある話ではない。
「人の姿の時でどんな感じなのかな。きれいな人なのかな」
 霧枝はじっと銀歌を見つめた。
 敬史郎が写真か何かを見せていると思っていたのだが、どうやら知らないらしい。忘れているわけでもないだろう。
 葉月は腕組みをすると、
「うーん。上手く説明出来ないけど、こんな感じ」
 言った瞬間、身体が歪んだ。
 体格が丸ごと変形し、二回りほど小さくなる。服装がメイド服から巫女装束に変り、髪が伸びで、色が黒から赤みがかった黄色に変わり、狐耳と尻尾が生える。
 三秒ほどで、銀歌の姿に変化した。ほぼ寸分違わぬ容姿。
「………」
 銀歌は息を止め、驚愕に目を見開く。
 両腕を広げて、葉月はくるりと回って見せた。
 変化の術ではない。身体そのものを変形させている。このような芸当が出来ることは予想していた。しかし、実際に見せられると驚くほかない。
「どう。似てるかな?」
 声までほとんど同じである。
 銀歌は無言のまま頷いた。
「うわぁ。これが風歌さん」
 ぽかんと口を開け、葉月を見つめる霧枝。
 葉月は腰に手を当てて得意げに胸を張る。キツネ耳と尻尾がぴんと伸びていた。葉月には元々獣耳も尻尾も生えていないが、元々あるように振る舞っている。
「そういえば、そろそろ十時だけど、何か食べる?」
 葉月は思い出したように呟いた。
 銀歌の姿をしているのに、表情も口調も動きも葉月のまま。ひどく違和感がある。自分は葉月のような脳天気ではない。
「うん。食べる」
 霧枝は頷いた。
「じゃ、おやつにしよう」
 葉月はそう言って、霧枝とともに玄関に向かう。
 銀歌はぼんやりと呻いた。
「いいから元に戻れよ」

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