Index Top 第8話 夢は現実、現実は夢

第8章 尾を踏まれた虎


 桜花が一歩前に進んだ。笑顔のまま、凍り付くような殺気を纏いながら。
「どうやら……お仕置きが、必要なようですね――」
 右手には抜き身の刀が握られている。いつ抜いたのかは見えなかった。よく研がれた冷たい刃。刀を納めていた鞘はどこかに消えている。
 何も言わぬまま、浩介と飛影は逃げるようにその場から離れた。
 桜花は左手を自分の胸に当て、読み上げるように言葉を連ねる。
「わたくしの名は桜花。日暈宗家の特一級破魔刀桜花の憑喪神にして、その刀そのもの。わたくしが持つ力は『硬の形状変化』です。刃の切れ味と強度を維持したまま、伸縮自在で任意に曲げる事も可能。身幅と肉厚は変わりませんけど」
 真上に向けた刀身が、一直線に数十メートルも伸び、続いて音もなく折れ曲がり稲妻模様を作り上げる。それは奇妙なオブジェだった。
「オー。スゲー」
 脳天気に拍手をしているアルフレッドに、桜花は続ける。
「核となる部分以外はすべて高密度法力の具現化したもので、重量はほとんど無く、また折れても問題ありません。折れた刀身もある程度自由に操れます。わたくしを倒すには、この刀身のどこかにある核部分を壊して下さい」
 澄んだ金属音を立て、稲妻の形の刀が弾けた。大量の破片となった刃が地面に突き刺さる。桜花の手元に残ったのは、元と同じ長さの打刀だった。
「斬る、突く、捕らえる、引き寄せる……。この刀は、それらを形状変化で高度に実現します。最大の武器は、最長およそ一里――四キロメートルの伸張と、秒速二キロの最大瞬間速度。有効射程距離は二百メートルくらいですけどね。無論、飛影くん同様わたくしも鋼のように硬く、全身任意の場所を刃物に変えられます」
 持ち上げた左手の指が刀のように変化する。桜色の着物の袖も刃物に変化していた。手と袖を元に戻し、桜花は両手で刀を正眼に構える。
「分かりましたか?」
「Yes, Ma'am! 丁寧な説明very thanksですッ!」
 桜花の問いに、敬礼とともにアルフレッドが答えた。
「何で、自分の特性を……」
 もっともな疑問を口にする飛影。桜花の刀は凄まじい能力であるが、それを丁寧に喋っている。浩介や飛影では刀の特性を知っても対策など立てられないが、現実の制約の無いアルフレッドなら何かやらかすかもしれない。
「異な事を仰る……。無論、言い訳の余地すらなく地べたに這い蹲らせるためですよ。この頭にチーズが詰まっていそうなアメ公を。理解できましたか、お二方?」
「はい」
 冷たい一瞥を向けられ、浩介と飛影はただ頷くしかなかった。単純に倒すのではなく、完膚無きまでに心を叩き折る気らしい。口を挟む余地もない。
 桜花が正面に向き直る。
「お先にどうぞ」
「では、お言葉に甘えさせてもらいますネ……。トウッ!」
 アルフレッドが空高く飛び上がった。
 現れたのは、轟音を上げて飛来する飛行機である。鮫の顔が機首に描かれていた。全体的に古めかしい雰囲気で、尾翼付近に巨大なエンジンをふたつ付けている。
「A-10サンダーボルトII……戦車や装甲車を攻撃する戦闘機です。主要武器は、劣化ウラン弾芯30mm徹甲弾を発車するGAU-8 Avengerガトリング砲……。あれ喰らったら、桜花さんでもひとたまりもありませんよ」
「解説ありがとう――」
 飛行機を見上げ律儀に説明する飛影に、浩介は礼を言った。
 飛行機が空中で分解――人型ロボットに変形して、ホテルの屋上に着地する。衝撃で壁面に亀裂が入り、窓ガラスが砕け散った。
「トランスフォーム・ウォートホッグ! 変形ロボットこそ少年のロマン!」
「ぬるい……」
 一閃。
 人型ロボが袈裟懸けに吹き飛び、ホテルが斜めに爆砕される。
「え……と――」
 あまりに一瞬のことで、浩介には何が起こったのか把握すらできなかった。
 だが、不思議と起こった事は分かる。桜花が刀を振り下ろし、刀の超高速伸縮と砲華の術の連打でホテルの建物ごとロボットを撃ち抜いたのだ。機関砲掃射のように。
 辺りに散らばる金属やコンクリートの破片。
「WRYYYYYY―――!」
 爆発四散するロボットから、アルフレッドが飛び出してくる。
 両手で構えた巨大なガトリング砲を桜花に向けた。つんざくような爆音を上げ、無数の銃弾が撃ち出される。大量に飛び取る薬莢。アスファルトが砕け、折れた刀の破片が散った。銃弾だというのに、爆弾のように土砂が吹き上がっている。
 だが、桜花はいない。
 刀を地面に刺し、高速で伸ばすことであっさりと攻撃範囲から脱出していた。
 飛影がアルフレッドの抱えるガトリング砲を凝視している。
「M61バルカンですか……。でも、オレの見た写真とはなんか形違うし、弾倉どこにあるか分かりませんけど……。一分で六千発の連射は厄介ですね」
「おっと少年、こいつはそんな豆鉄砲じゃねーゼ? A-10の心臓Avengerだ。戦車だろうが何だろうが、30mm劣化ウラン合金弾頭に耐えられるものは無イィィ! 我がステイツの軍事力は世界一ィィィィィ! 軍事費高すぎィィィィ!」
 地面に降りたアルフレッドが、ガトリング砲を構えながら飛影に叫び付ける。
「よそ見はいけませんよ」
 その首に、鈎状の刃が引っかけられた。一瞬で伸びた刀。その先端が内側へと鈎状に折れ曲がり、アルフレッドの首を捕らえている。
「へ?」
 次の瞬間、桜花の右腕がアルフレッドの喉を直撃した。
 左手で掴んだ刀の高速の収縮から、刃物化させた右腕でのラリアット。どう控えめに表現しても殺意全開の一撃である。これが現実ならば、アルフレッドは死んでいた。
 構えていたガトリング砲を手放し、アルフレッドが仰向けに倒れていく。白目を剥いているが、首はつながったまま。夢の世界のアルフレッドはやたらと頑丈である。
 その顔面の真上に桜花が浮かんでいた。軽やかに身を翻し、空中を舞うように移動している。刃物化させた爪先を真下に向け。真上に向けた右掌底に柄頭を乗せていた。
 浩介の脳裏に、次に起こる惨状が浮かぶ。
「ちょ、っと……! 桜花さンッ!」
 ドン!
 空中に突き刺さって伸びる刀。反動で真下に撃ち出された桜花が、アルフレッドの顔面を打ち抜いた。アスファルトに放射状に亀裂が走り、跳ねるように捲れ上がる。蹴り抜くという生易しい表現ではない。それはさながら杭打ち機だった。
 アルフレッドを巻き込んで地面が陥没し、直径十メートルはあるだろうお椀状のクレーターを作り上げていた。生身の人間なら跡形もなかっただろう。
 大穴の縁に、桜花が着地する。乱れた亜麻色の髪を左手で整えつつ、
「立ちなさいヤンキー」
 だが、返事は無い。
 穴の中央で伸びているアルフレッドを見下ろし、桜花は改めて口を開いた。
『あなたにも分かるように英語で言ってあげましょうか?』
 言葉通り、それは流暢な英語である。
 英語なのだが、英語の苦手な浩介にもなぜか意味が分かった。
『立て、この×××野郎! 頭蓋に×××が入ってても、言葉くらい分かるだろ? それとも言葉も分からない×××か? パパとママの×××が×××して、×××した×××なのかな? まあ、お前と比べれれば×××がマシだろうが。さあ、死んだ振りは終りだ、この×××小僧が! その小汚い×××の×××引き抜いて、×××してからお前の×××に×××してやるからよォ。腰でも抜かしてるのか、この×××の×××がァ!』
「何言ってるんだろう、桜花さん……」
「物凄い口汚く罵ってますね……」
 尻尾を縮ませながら冷や汗を流す浩介と、顔を背ける飛影。
 その間も、桜花の口から思考が自主規制するようなスラングが吐き出される。
『ブラボー! 日本人とは思えない素晴らしいスラングだネー。ハッハー!』
 勢いよく飛び出したアルフレッドが、クレーターの反対側に着地した。さきほどと変わらぬウサギ耳の付いた都市迷彩の軍服姿で、傷は残っていない。
 それを見て、桜花が満足げに口を閉じた。優しく微笑む。
『ボク感動しちゃったよ。しかし、それどこで覚えたン? 古い言い回しっぽいけど』
『第二次大戦よりいくらか前に向こうの方と少し殺り合ってから、仲良くなって教えていただきました。イングランドの方でしたけど、アメリカで暮らしてたそうで』
『第二次世界大戦前……? ドイツのポーランド侵攻が1939年だから……』
 アルフレッドが自分の指を折りながら、視線を泳がせる。第二次大戦より前という言葉に、本気で年月を計算しているようだった。何度か同じように指を折ってから、
『本当にババァかよ! 若作りしすぎだろヨ!』
「……小便漏らしながら泣いて詫びるまでどつき殺ス。まだこの程度じゃアないだろ? 言い訳の余地なく叩き潰してやるから、早く手札全部出しな、糞ガキ」
 中指を立て、ドスの利いた声を放つ桜花。完全に目が据わり、口調も別人になっていた。今まで以上に濃い殺気を纏っている。冷たいという表現ではなく、殺気が――重い。
「逃げたい……」
 浩介はそう独りごちた。だが、恐怖で足腰に力が入らず、まともに走れそうにもない。立っているので精一杯である。目元から一筋涙がこぼれ落ちた。
「こえーよ、オバハン」
 アルフレッドも今更ながら桜花の態度に気圧されている。
「だが、ボクは負けない! Let's Clothes OUT!」
 アルフレッドが軍服を脱ぎ捨てた。いや、破け散った。
 続いて現われたのは、赤と青のスーツを着て赤いマントを羽織った姿。いわゆるスーパーマンの格好である。両腕を持ち上げ、ボディビルのポーズを取っていた。服の上からでも、その分厚い筋肉が分かる。軋むような音を立てる全身の筋肉。ギャグとしか言いようのない格好だが、非常識な筋力から生み出される馬鹿力は本物だ。
「男が武器なんかに頼るもんじゃねえなァ! やっぱ男は己の筋肉で勝負だゼ!」
「獣化・刀身一体」
 桜花が刀を自分の胸に突き立てた。鈍色の刃が胸を貫通し、刀とともに人型が崩れる。桜吹雪のように崩れた桜花が、その場で別の姿へと形を変えた。瞬きひとつ分にも満たない時間で、四つ足の巨大な獣へと。
「それでいい、糞ガキ。さあ、始めようか……」
 尻尾を動かしながら、悪役さながらの台詞を吐く。
 体高が大人の胸ほどまである巨大な狐。殺意に輝く茶色い瞳。口元から青い狐火が漏れている。額や首、肩、肘や腰などから角のように刀身が突き出していた。その刃の動きは簡単に想像が付くが、どのような事になるのかは全く想像が付かない。
「はッ、返り討ちにしてやるゼ! キツネのオバハン」
 挑発するように手招きしながら言い返すアルフレッド。その頬に脂汗が滲んでいる。気迫負けしているのは、傍目にも分かった。
 浩介は桜花を力なく指差し、飛影に目をやる。
「何、アレ……?」
「オレも知りませんよ。多分、刀と同化する種類の強化法だと思いますけど……。オレにはそんな事できませんから……」
 飛影は怯えたように首を振った。
 後ろ足でアスファルトを蹴って、桜花が飛び出す。

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