Index Top 第8話 夢は現実、現実は夢

第7章 刀剣と火器


 キュラキュラ……!
 キャタピラの回転する軋んだ金属音が聞こえる。
「何だァ、アレは!」
 自分たちがどこにいるかは分からないが、とにかく全速力で廊下を走りながら、浩介は叫んだ。緋袴の裾が揺れ、狐色の髪がなびいている。後ろから聞こえてくる重厚な機械音と壁やら床やらが粉砕される音。
「M1エイブラムスです。アメリカ陸軍とアメリカ海兵隊が採用している戦車で、おそらく最新モデルのM1A2。ぱっと見た感じ、公式写真と細部が違いますけど、性能に差は無いはずです。主砲はラインメタル社120mmL44のライセンス生産。初弾命中率は九割を超え、世界最高性能の戦車のひとつでしょう」
 浩介の隣を走りながら、飛影がきっぱりと解説してきた。
(やっぱ飛影って兵器マニアだ……!)
 どうでもいいことを改めて確信しながら、浩介は廊下の十字路を左に曲がる。
 爆砕した部屋を逃げ出したら、今度は戦車に追いかけらた。室内を戦車というのも奇妙な話だが、ここでは奇妙さなど意味が無いだろう。壁や天井、床を粉砕しながら、戦車は追いかけてくる。階段なども平然と上り下りしていた。
 ドッ!
 音に身体が殴られる。痛みは無い。
 浩介と飛影は押し寄せる爆風に、あっさりと放り投げられていた。
 音と色彩の消えた世界で、爆炎とともに砕けた壁や天井の破片が飛んでくる。緊急事態に脳がフル稼働しているらしい。モノクロの景色の中で、乱れ飛ぶ瓦礫がはっきりと見えた。浩介にぶつかる瓦礫は、式服の防御効果によって弾かれている。
 壁が砕け、浩介と飛影は広い空間に放り出されていた。
 時間感覚が元に戻る。
「うがぁ……!」
 何度か地面を転がってから、浩介は気合いとともに跳ね起きた。腰の術符ホルスターにから術符を一枚取り出す。すぐに取り出せる位置に仕込んでいた切り札だ。それを左手に持ち替え、法力を流し込む。
 飛影は既に体勢を整え、クナイを抜き左腕を翼に変えて戦闘態勢を取っていた。
「駐車場……?」
 そこはホテル裏手にある駐車場だった。もっとも、記憶にある駐車場の数十倍の広さはある。四角い白線がいくつも並んだアスファルトの地面。車は一台も置かれていない。空には月と無数の星が輝いている。
 正面にはホテルが見えた。ホテルの建物は起きている時と変わらぬ四階建てで、普通の大きさだった。どう考えても内部と外部の大きさが釣り合わないが、夢の世界では整合性を求めるのは無意味だろう。
 キャタピラの軋む音とともに、壁に開いた穴から灰色の戦車が現れる。
 飛影が左腕を振った。黒い翼から放たれた小羽。刃物化させた羽を放ったようだが、戦車の装甲はあっさりとそれを弾き返す。表面の塗装に小さな傷が付いただけだ。
「劣化ウラン装甲は、堅い……」
 戦車を睨みながら、飛影が呟く。羽を飛ばす攻撃が効かないことは分かっていたようだった。戦車の主装甲はこの世でもっとも頑丈な防具のひとつと言われる。
 突然砲塔上部のハッチが開き、大きな人影が姿を現した。
「こーんばんワンコ蕎麦ッ」
「……副部長?」
 浩介は思わず気の抜けた声を上げる。
 砲塔から姿を現したのは、暑苦しい顔立ちの金髪青目のアメリカ人。漫画研究部副部長のアルフレッドだった。巨大な身体を都市迷彩の軍服で覆っている。頭に乗せたヘルメットからは、なぜかウサギ耳が伸びていた。
 アルフレッドが気に入っている『USA G.I.=ウサギ』というネタだろう。
「やはり、アルフレッドさん……」
 飛影が押し殺した声を出す。追いかけている相手がアルフレッドであるとは見当をつけていたようだ。浩介にとっても全く予想外の相手ではない。
 アルフレッドは浩介に目を向け、大袈裟な身振りで驚いて見せる。
「オー、君はあのバニーガールのキツネの女の子じゃマイカ!」
「………」
 浩介は無言のまま息を吐いた。ツッコミ所が分からない。
 少なくとも、今まで自分が追いかけていた相手を知らないわけではない。しかし、アルフレッドは初対面のように声をかけてきた。やたら馴れ馴れしく。
「イヤハヤ、浜辺を走るバニー衣装も素敵だったけど、巫女装束も似合ってますナー。キツネ巫女最高ッ! とゆーわけで、一緒に暑いNightを過ごしません? In the Bedで」
「絶対に嫌です! 金積まれても嫌です」
 浩介は即座に言い返す。キツネ耳がぴんと伸びて、尻尾の毛が爆ぜるように広がっていた。背筋を駆け抜ける悪寒に全身が泡立つ。脳内で鳴り響く警鐘。微妙にアクセントの違う『アツい』という言葉に、正体不明の恐怖を覚える。
 右拳を握りしめ、アルフレッドが吠えた。
「とりあえず嗅がせろヨ、小娘がッ!」
「何をですか! いや、答えなくていいですから!」
 浩介はそう叫び返す。普段以上の無軌道振り。
 アルフレッドの目が動いた。
 飛影が音もなく戦車を駆け上っている。クナイに纏った法力が、六十センチほどの刀身を形作っていた。クナイの刃をそのまま伸ばした形状。ガラスのように透明な直刃を、アルフレッドの首元目掛けて突き出す。迷わず致死攻撃を仕掛けていた。
「残念、無念、また来週ッ! ファイア――!」
 爆音。金属音。声は聞こえない。
 五メートルほど吹っ飛んで地面に倒れる飛影。
 折れた羽根が何枚か、地面に落ちて澄んだ音を響かせた。
 それでも即座に跳ね起き、飛影は改めて構えを取る。派手に喰らったが、持ち前の頑丈さで耐えたらしい。防御に使ったらしい左翼の羽根が、半分ほど欠けていた。
「油断大敵、太りすぎってネ? 頑丈だネー、少年」
 アルフレッドが、巨大なライフルを持っている。
「シモノフPTRS1941ですか……」
「イエース、よく知ってるネー、少年。こいつは、WW2の頃にソビエトで作られた対戦車ライフルさー。ドイツ戦車とガシガシやりあったらしい。カリ城で次元がコレぶっ放してる見て、『ボクも撃ちたいなー』なーんて子供心に誓った十二の夜〜♪」
 対戦車ライフルを右手に抱えたまま、左腕を夜空に向けてみせた。その動作にどのような意味があるのか、浩介には見当が付かなかった。考えるだけ無駄だろう。
 何にしろ、今やるべきことはひとつ。法力の装填は終わっている。
「行ッけええええぇぇぇッ!」
 浩介は腰に差していた脇差を右手で引き抜いた。大牙の術式と剣気の込められた刀。刀身から巨大な刃が作り上げられる。刃渡り十メートルはある輪郭だけの巨大な刃が、戦車に激突した。装甲の表面が割れ、輪郭の刃が砕ける。
「オオゥ!」
 驚くアルフレッドには構わず浩介は二太刀目を放った。巨大な刃が戦車の右キャタピラを壊し、砕ける。三太刀目が砲身を叩き斬り、四太刀目が左のキャタピラを破壊。五太刀、六太刀と大牙を打ち込み、大牙が出なくなったら、脇差を投げ捨てる。
 浩介は左手を前に突き出した。その手に握られた術符。
「奔れ、白雷!」
 発動の言葉とともに、術式が展開される。
 術符に込められた大量の法力が術式に流れ込み、術を発動させた。
 術符から扇状に広がる白い稲妻。空気を裂くような雷鳴とともに、アスファルトの地面を砕き、半分壊れた戦車を焼き、アルフレッドの身体を貫く。雷術・白雷の術符。手持ちの術符で一番攻撃性能の高いものだった。
 効果を終えた術符が崩れる。
「ヒュゥ、おっどろいたーネェ。可愛い狐っ娘の割に、攻撃は矯激だネィ。駄菓子菓子。ボクを倒すにゃ、ちょーっと火力不足さ」
「うわー。全然効いてねー……!」
 焦げただけのアルフレッドを見ながら、浩介は半歩後退った。途中何度か大牙の巻き添えを食らい、白雷も直撃している。だというのに、ギャグ漫画よろしく多少焦げただけで効いた様子はない。
 ハッチから身体を持ち上げ、地面に飛び降りるアルフレッド。暑苦しい笑顔のまま荒い呼吸を繰り返しながら近づいてきた。
「さあ、お嬢さん。ボクと楽しい夜を過ごしマショウ」
「なんか貞操の危機っぽい……」
 現実味の無い危機的状況に、浩介はさらに後退する。攻撃の機会を伺っているのか、飛影は動かない。どうやら、自力で何とかしないといけないらしい。
 だが、助けは突然入ってきた。
「しつこい男の人は嫌われますよ?」
 着物姿の女性が歩いてくる。桜色の着物を纏った二十代後半の女性。亜麻色の髪を背中の中程まで伸ばし、頭に赤いリボンを付けていた。整った顔立ちに落ち着いた笑みを浮かべ、アルフレッドを見つめている。両手で抱えるように握ぎられた打刀。
「どちら様でしょうか……?」
 突如現れたその女性に、浩介は棒読みで問いかけた。現れたタイミングからするに、味方だろう。しかし、浩介の知り合いではない。
 飛影が構えていたクナイを下ろし、左翼も人間の腕に戻す。
「刀の憑喪神?」
「わたくし、日暈宗家の憑喪神の桜花と申します。お見知りおきを」
「慎一の関係者、か……」
 日暈宗家という言葉に、浩介は胸を撫で下ろした。もう大丈夫だろうという安心感。慎一が呼んだ助っ人だろう。緊張が一気に解け、狐耳と尻尾が垂れる。脱力でへたり込みそうになったが、それは気力で耐えた。
 桜花は右手で刀の柄を握り、不思議そうにしているアルフレッドを見つめる。
「アルフレッドさん。そんなに女性が好きなら、わたくしが相手をして差し上げますよ。それほど丁寧に、とは行きませんけど……」
「No theank you……ボクはババァに興味は無いんでネ」
 躊躇無く虎の尾を踏み抜いたアルフレッド。
 ビギッ!
 その音は何故かはっきりと聞こえた。場の空気が一気に冷たくなる。
「ババァ……? 言うに事欠いて、ババァですか……」
 額に青筋を浮かべ、桜花がそう繰り返す。口元は笑っているが、眼は笑っていない。全身を包む禍々しい殺気。空間が歪んで見えるのは、錯覚ではないだろう。
「………」
 浩介と飛影は他人事のように目を逸らした。

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