Index Top 第7話 臨海合宿

第16章 樫切浩介の憂鬱


 浩介は畳の上に膝と両手を突いていた。
「どうして、こうなってる……?」
 ただ、その言葉だけが喉から漏れる。
 それは一枚の写真だった。
 泣きそうな顔で砂浜を走っている狐の女。黒いハイレグレオタードと赤い蝶ネクタイ、両腕のカフス。両足は黒いタイツに包まれているが、ハイヒールは履いていない。ビーチサンダルを履いていた。狐色の長い髪と尻尾が跳ねている。
 昼間、結奈にバニーガール衣装を着せられた自分の姿だった。多分、着替えを取りにマリンハウスに向かっている最中だろう。結奈と凉子はあの時意識を失っていたはずだが、なぜかこの写真をさきほど慎一に渡された。慎一は結奈に渡されたと言っている。
「なぜ?」
 顔を上げ、浩介は一言尋ねた。
 窓辺の椅子に座った慎一が、顔を向けてくる。どうやら、その位置が気に入ったらしい。向かいの椅子の背に座ったカルミア。二人で今まで夜の海を眺めていた。カルミアは眠いらしく、ゆっくりと左右に揺れている。
 時間は午後九時半。
 慎一は用意してあったポットから、ガラスのコップに麦茶を注ぐ。
「多分、センサー感知式のカメラを設置してあったんだろうな。マリンハウスに近づいた人間無差別に撮影するようなの。結奈なら蟲を使った仕掛け使うと思ったんだけど、機械を使うのは盲点だった。これだから沼護の家系は侮れない」
 他人事のように口を動かす。これ以上付き合いたくないという本音が丸見えだ。
 自分たちが倒されるのを計算に入れてまでこの仕掛けを用意したのかは分からない。計算尽くの仕掛けだったかもしれないし、最後の保険だったのかもしれない。
「残念だったな。あいつらの方が一枚上手だった。それだけさ」
 布団に寝転がったまま、リリルが悟ったような口調で呻いている。
 慎一と浩介、リリルが寝る布団。用意してあったものを、慎一が敷いたのだ。本来は浩介と慎一しかいないことになっているが、リリルがいるので布団は三組。宿の従業員にリリルが魔法をかけていたのを思い出す。
「俺はどうすればいい?」
 写真を封筒にしまってから、誰へとなく問いかけた。
 座布団の上で丸くなっている飛影、椅子の背に座ったまま眠そうに目蓋を下ろしているカルミア。どちらも、関わる気はないようだった。
 慎一が左手を持ち上げ、リリルを指差す。
「えっと、リリルが持ってる魔輝石の使用許可を出してくれ」
「まきせき?」
 唐突な言葉に、浩介はそのまま訊き返した。
 聞き慣れない単語――というよりも、今初めて聞いた単語である。リリルはそれに心当たりがあるらしく、苦い表情で慎一を睨んでいた。
「リリルが持ってる首飾りのことだよ」
「これだ」
 リリルが右手を動かすと、手の平に首飾りが現れる。shadows Toolboxという、自分の影を媒介にして自分の体積と同じ収納用の仮想空間を作る魔法らしい。
 その首飾りは、以前白鋼と名乗る銀狐に渡されたものだった。細長い赤い石を、銀色のワイヤーでつないだ簡素な作りである。渡された頃は付けていた気がするものの、いつの間にか付けなくなっていた。
「それがどうかしたのか?」
 どちらへとなく尋ねると、答えたのは慎一だった。麦茶を一口すすり、
「それは魔界中枢部分の魔力をこっちに召喚する仕組みが組み込まれてる。僕にも原理はよく分からないんだけど、多分……高々度な召喚術の一種だと思う。作った人は凄い術師だよ。それを使えば、リリルはほぼ数秒で魔力を完全補充できる」
「ようするに、これを使えばアタシはいつでも大人の状態になれるってわけだ。ソーマに貰った魔石みたいに魔力の貯金無しで、しかもほぼ以前と同等の強さを作れる」
 首飾りを揺らしながら、リリルが付け加える。
「へー。便利なもん貰ったんだな」
 浩介は素直に感心した。魔石の魔力は貯金のようなもので、一度使い切ったら一週間ほど溜め直す時間がかかる。大人になっても、魔力の出力は以前の七割ほど。しかし、この魔輝石を使えば、すぐに以前と同じ力が手に入るらしい。
「でも、何で使わないんだ?」
「それは、使うのに樫切の許可が必要な仕組みらしい。術式見る限り、樫切が許可した回数だけ使えるみたいだ。とりあえず、一回許可を出して欲しい」
 慎一の説明とそっぽを向くリリルを見て、浩介は納得した。
 使うには浩介の許可が必要となる。つまり、使わせて欲しいとリリルが頼み込まないといけない。それが嫌だからリリルは首飾りについて何も言わなかったのだろう。
「いいぞ別に」
 深く考えもせずに口にした一言に、リリルが右手に持った赤い石が、薄い光を帯びた。どうやら、それで一回分の使用許可が認められたらしい。
「ん?」
 そこまでの流れで、浩介はようやく気づいた。ごく当然のように話を進めていたが、冷静に考えると明らかに何かに対する準備である。しかも、危険度の高いこと。
 浩介は息を飲み込み、麦茶を飲んでいる慎一を見つめる。
「これから、何が起こるんだ――?」
「分からない。ただ、準備はしておいた方がいいと思って」
 危機感もなく言い放ち、慎一は右手を持ち上げて片手で印を結んだ。途端、空中に一振りの木の棒が現れる。長さ六十センチほどの、白い木の棒。口寄せの術らしい。どこからか呼び寄せた棒を軽く放ってくる。
 浩介は両手でその棒を受け止めた。見た目よりも重い。
「え?」
 よく見ると、白樫拵えの刀だった。
 世間話でもするように、慎一が説明してくる。
「実家で使ってる訓練用の一尺三寸の脇差だよ。使い方は気にせず、刀身折れるくらいに思い切り振り回せばいい。大牙を十発くらい撃てるように術式と剣気込めてあるから、それ使えば大体何とかなる」
 大牙。破鉄の術と飛燕の術の応用で、攻撃を一瞬だけ十数倍の大きさにする基本攻撃術である。以前、凉子が使っているのを見たことがあった。刀の一振りとともに、刀身の十倍はある透明な法力の刃が現れ、丸太を粉砕していた。
 怖々と脇差を眺めながら、浩介は問いかける。
「戦争でも始める気か――?」
「さあ? 僕もよく分からないけど、一番不慣れな樫切には色々武器渡しておこうと思って。備えあれば憂いなし。術符セットとかも持ってきてるだろ?」
 部屋の隅に置かれた浩介の荷物を、慎一が指差す。必要になるからと言われ、草眞に渡された術符セットも持ってきていた。ついさっきまで、結奈たちに対抗するためと思っていたのだが、話の流れからするにそうではないようである。
 脳裏に閃く嫌な考え。
「じゃ、あれもか?」
 ちらりとリリルを見やり、浩介は怖々と尋ねた。
「何でそこでアタシを見るんだよ?」
 リリルが訝るが、無視する。怯えるのは確実だ。
 浩介は喉を鳴らす。尻尾を出していれば、縮こまっているだろう。慎一に持ってこいと言われたもののひとつ。禁断の同人誌、神聖けものみみ帝国。今まで持ってこいと言われた理由が分からなかったのだが、今なら分かる。
「アレが切り札だ。樫切のところにあんな物騒なものがあるとは思わなかったけど、そういうこともあるだろ。重要なのは使い方だ。間違っても自爆はするなよ?」
 なぜか不敵に口端を持ち上げながら慎一は言ってきた。椅子の背に重心を預けて、窓の外に目を向ける。黒い夜の闇が広がる窓。明るい部屋から外は見えないが、窓辺にいる慎一とカルミアには外の風景が見えているのかもしれない。
「それにしても、お前――言動軽くない?」
「そんなものだよ」
 浩介の率直な疑問に、慎一は笑いながら答えた。これから起こる事を期待している雰囲気を感じる。日本随一の戦闘狂と言われる日暈一族。戦いに飢えているのかもしれない。
 トントン。
 ドアのノックされる音。
「入るわよー」
 結奈の声を聞いた瞬間、浩介の身体は動いていた。写真と脇差を掴み、素早く布団の下へと隠す。これを見られるわけにはいかない。
 こちらの返事も待たず、部屋に入ってくる結奈と凉子。
「こんばんはー。どうだったー? あたしのプレゼント?」
 と、結奈が眼鏡越しに見つめてくる。右手に握られた缶ビール。部屋に戻ってもまだ飲んでいるらしい。顔が赤い。
「欲しければ、何枚でもあげるけどねーぇ?」
「うぐぐ……」
 浩介は歯を食い縛って睨み返すも、それが精一杯だった。慎一ならば顔を見た瞬間に殴り倒したりするだろうが、自分にそんな度胸は無いし、力も無い。
 浩介と結奈を無視して、慎一が尋ねる。
「何の用だ? 佐々木さんはいないようだけど」
「部長さんの部屋に遊びに行くので、誘いに来ました。ヒメさんは先に部長さんの部屋に行っています。慎一さんも一緒に遊びに行きましょう!」
 右手を振り上げ、凉子が楽しげに答えるのが聞こえた。

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