Index Top 第7話 臨海合宿

第15章 宴の終わり


「あの大空を見上げ〜♪ ボクらは行くのさ〜♪ もう、戻れない……何も知らない自分にィは♪ だ、か、ら、解き明かせ、この世の全てを〜♪」
 ステージに立った浩介がマイク片手に熱唱している。
 智也が持ってきたカラオケセット。ホテルのカラオケには、アニメソングの類がほとんど入っていないため、自前で用意したようである。
 浩介の横では凉子がマイクを握っている。この歌はデュエットらしい。
「この大地に佇み、私たちは空を見上げる〜♪ その向こうに無限の夢があると信じて♪ さあ、行こう♪ 私たちの夢を意志を、存在を――証明するためにィ♪」
 歌のタイトルは『世界の証明』――少し前に放送された深夜アニメ『枢愕者トリリオン』という作品のオープニングらしい。
「これで、何曲目だろ?」
 残った料理をテーブルの端から胃に収めつつ、慎一は呟いた。
 慎一の一発芸が不発に終わってから、宴会芸は終了。場の空気を入れ換えるためにカラオケ大会が始まった。といっても、歌っているのは浩介と凉子だけ。正確には、二人でマイクを独占してしまって、他人に渡そうとしない。
「十一曲目だな。ん、十二曲目だったかな? どっちでもいいけど」
 デザートとして出されたアイスクリームを食べながら、リリルがステージを見つめる。ノリノリで歌い続ける浩介と凉子。コップの水を口に含んでから、
「それにしても、コースケって歌上手いな……。アタシも初めて知ったわ」
「あいつは漫研で一番歌上手いのよ。そこそこ絵も文章も扱えるけど、どっちも素人に毛が生えた程度だし。歌が才能の本命よね、うん。本人に自覚は無いっぽいけど。そのくせカラオケとかで歌い出すと止まらないのよね〜」
 一升瓶を抱えたまま、結奈が笑っている。いつの間にか近くに座っていた。顔は赤くなっているが、まだ意識はしっかりしている。酒豪を自称する寒月がウワバミと表現しているのだ。ザルとも呼べない強さだろう。
 何も言わぬまま、リリルが逃げるように離れていく。
「それ何本目だ……?」
 一升瓶を指差し、慎一は尋ねた。
 宴会の最初の頃から飲みまくっていたような記憶がある。いちいち気にしていなかったが、非常識なまでに飲んでいるのは確かだった。
 ラッパ飲みで中身の日本酒を胃に流し込んでから、結奈は笑う。
「まだ、五本目よ〜? あともう一本くらいは飲みたいわね」
「日暈くんは飲まないの?」
 ぬっと横から顔が差し出される。
 半歩後退って、慎一は声の主を見つめた。特徴の薄い顔立ちと、感情のよく分からない糸目、額の上で切り揃えられた黒い前髪。綾姫である。そこそこ飲んでいるらしく、酒の匂いが漂っていた。頬もほんのり赤い。目付きは普段と変わっていない。
「とりあえず一杯どうかしら? 日暈くんも、もうハタチでしょ」
 ごく自然な仕草で、目の前にコップを差し出してきた。飲め、ということらしい。
 慎一は眉根を寄せて、視線を逸らした。
 午後八時半。宴会も終わりに差し掛かり、各自好き勝手に動いている。
 部屋の隅っこで丸くなっている飛影と、それに寄りかかって微睡んでいるカルミア。もう一方の部屋の端では、智也と一樹が真剣な表情で将棋を指していた。アルフレッドは洋酒を片手に残った料理を片付けている。ステージ上ではマイペースに歌い続ける浩介と凉子。今度はおとなしめの曲を二人で歌っている。
 綾姫に視線を戻し、慎一はきっぱりと言った。
「僕は酒飲みませんよ」
「ぬあァにィおぅ?」
 途端に口調が荒っぽくなる綾姫。睨み付けているらしいが、やはり目付き自体ほとんど変わっていないのでいまひとつ説得力がない。慎一の首に右腕をかけながら、目の前酒の入ったコップを突き出す。鼻を突く酒の匂い。
「ぼうや、このヒメ様の酒が飲めないってのかいぃ?」
「ダメよ、ヒメさん。そいつに酒飲ませちゃ。一樹以上に酒癖悪いんだから」
 すっ、と。
 綾姫の表情から怒りの感情が消える、慎一の首から腕を放し、座ったまま後ろへと退いた。酒の入ったコップをテーブルに乗せてから、神妙な面持ちで頷く。
「そうね、お酒の無理強いはよくないよね。うん」
 一瞬で変化した態度に、慎一は声を引きつらせた。
「何があったんですか……」
 智也と将棋に興じている一樹を一瞥する。この宴会で酒を全く飲んでいないのは、慎一と一樹と凉子の三人。結奈とアルフレッドはそれこそ浴びるように飲みまくっていて、綾姫は適当に飲んでいた。智也と浩介は少し口を付けただけである。
 綾姫が置いた酒を煽ってから、結奈が手を振った。
「昔ねー、同人誌即売会の打ち上げであいつに酒飲ませちゃったのよ……。いやー、そしたら語るわ語るわ、訳分かんない数学の話を」
 その様子を思い出したのか、乾いた吐息をこぼす。
「ホワイトボードに大量の数式やら図形やらグラフやら書きまくって……。しかも、止めようとしても止らないし。キレたあたしが絞め落とすまで二時間半。あれ以来、一樹にお酒飲ませるの厳禁になったわ」
「あの部長も置き去りだったねー」
 腕組みをしながら、綾姫が天井を見上げている。四年連続主席の智也がついて行けないほどの難解な話を語る一樹。漫画研究部にいること自体が場違いのようにも思えた。
 ふと気づいて、綾姫が結奈を見やる。
「でも、何で結奈ちゃん、日暈くんの酒癖知ってるの?」
「二ヶ月くらい前に、こいつのアパートで、酒飲ませちゃったことあるのよ」
 額を押さえ、結奈はため息混じりに答える。
 寒月が来た時の事だろう。二人揃って酒を飲んでいて、カルミアも水道水で酔っぱらっていて、慎一は途中で無理矢理酒を飲まされ倒れた。それから翌日の昼くらいまで、自分がどうなっていたのか。記憶が曖昧だった。
 綾姫が細い瞳をきらりと輝かせる。
「ほうほう、何で結菜ちゃんが日暈くんのアパートに?」
「ンー。そこら辺のコトは、詳しく知りたいネ。同じ漫研部員としテ」
 いつの間にかアルフレッドまでやって来ている。ウイスキーの瓶を右手に持ったまま、酒臭い息を吐き出していた。半分据わった目付きで、結奈を見つめている。
「言っとくけど、あたしたち二人以外に男女一人づついたわよ。こいつの実家とあたしの実家が知り合いでね。そのことで野暮用があったの。残念だけど、あんたらの期待してるようなことは無いわ。第一そいつ許嫁いるし」
 ぼやくように喋ってから、大袈裟にため息をついてみせる。
「まー。あん時は本気で殺されるかと思ったわ。抜き身の真剣突きつけられて『出てけ』だもん。何も言い返さず全員で逃げたわよ」
「真剣って……?」
「ヤッパ、ってやつカ?」
 綾姫とアルフレッドが、揃って顔を向けてきた。
 苦笑いを見せる慎一と、本気で眉間を押さえる結奈を交互に見つめてから、二人目を合わせて、頷く。酔って暴れた時のことを想像したのだろう。
「だから、そいつにお酒飲ませちゃだめよー。コップ一杯でもね? 暴れ出したら、あたしたちじゃ止められないからねー。お昼の砂浜で部長たち三人がかりであっさりやられちゃったんでしょ?」
「ま、それはそれとして、日暈くん」
 綾姫とアルフレッドが、慎一の目の前に移動する。
「許嫁についてクワシク説明プリーズ。どんなコ? 美人?」
 それぞれ腕を伸ばし、がっしと慎一の肩を掴んだ。肩を握り潰すほどの力で。怨念のような炎が燃える二人の瞳。絶対に逃がさないという意志が映っていた。
 中身を飲み干した酒瓶を横に起き、結奈がメモ帳とボールペンを取り出す。素早く紙にペン先を走らせてから、二人の前に差し出した。
「あたしの独自調査によると、こんな感じの黒髪ロングの美少女よ。少し離れた親戚の子で、真美っていう名前みたい。性格は知らないけど」
 メモ帳に描かれた真美の絵。ワンピース姿の黒髪の少女という普段の姿だった。即興で描いたものだが、かなり上手く、本人の特徴をよく捉えている。護十家の一員ならば、許嫁程度は普通に調べられるだろう。隠してもいないことである。
「鉈とかノコギリとか包丁とか、物騒な得物振り回すのが好きだよ……。普段はおとなしいし礼儀正しのに。自分が猟奇的って自覚が無いのが問題だ。それ止めるのはいつも僕なのに。天然ボケとか言う人もいるけど、そういう領域じゃないと思う」
 半ば愚痴のような慎一の答え、二人は満足げに頷いていた。
「ヤンデレねー。日暈くんの許嫁らしいね、うん」
「しかも、それを止めるのかヨ。ヤンデレと格闘家? 新ジャンルかー」
 何も言わぬまま、慎一は自分の肩を掴む二人の腕を掴んだ。呼吸を合わせながら少し身体を前に傾け、握った手を捻りつつ下に引く。お手本のような重心崩しの技に――
 隣り合った綾姫とアルフレッドが、同時に内側へと倒れる。
 ゴツッ。
「あらら〜、こりゃ痛いわねぇ」
 無言の悲鳴とともに頭を押さえている二人に、結奈が無責任な笑みを見せている。それなりの勢いでお互いに頭突きを決めたのだ。痛くないはずがない。
 結奈はどこか演技っぽい仕草で手をぽんと打ち、
「あ、そうだ。これ、あんたにあげるわー。あたしからのプレゼント」
 にやりと怪しげな微笑みを浮かべ、一枚の封筒を差し出してきた。

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