Index Top 第7話 臨海合宿

第3章 漫研の三羽烏


 近くにあった立木の陰から、見覚えのある男が姿を現す。
 二十代前半の凛々しい青年だった。背が高く無駄のない身体付きで、きれいな黒髪と落ち着いた顔立ちで、すっきりとした眼鏡を掛けている。服装は半袖のワイシャツに、ダークグレーのスラックス。夏に似合わず爽快感を持つ格好だった。
「部長、来てたんだ」
 結奈が驚くでもなく声をかける。
「うん。部員が来る前に待ち合わせ場所に来るのは、リーダーの勤めだと思ってるから。一樹が来る三十分前に来てたよ。今日は珍しい参加者が多くてぼくは嬉しい」
 慎一と凉子を見ながら、智也は笑った。誰もが納得するであろう爽やかな笑顔。容姿だけを見るならば、オタクの巣窟である漫研とおよそ関係ないものに見える。
(でも、一度枷外れると危ないんだよな、この人も……)
 慎一は心中でそう呟く。公衆の面前、本屋のど真ん中で大声でおかしな演説ができる神経と、他人をそれに引き込んでしまうカリスマ性は並のものではなかった。
 加えて、慎一にすら気配を感じさせずに隠れるというのも理解の外である。
 一樹が眼鏡を動かし、背筋を伸ばした。
「じゃ、あとは副部長と書記ヒメだ――」
「No、ボクたちももう来てますヨゥ!」
 聞こえてきたのは、英語なまりな日本語だった。
 近くの植え込みから、のそりと一人の大男が立ち上がる。
 身長二メートル近い、異様に筋肉質な大男。適当に伸ばした金髪と青い瞳、赤身を帯びた白い肌、顔立ちははっきり言ってクドい。USA☆G・Iという文字に軍服姿のウサギがプリントされたTシャツと、使い込まれたジーンズという出で立ち。インチキアメリカ人という言葉が怖いくらい似合う男だった。
 漫研副部長のである語学留学生、アルフレッド・ワシントン。
「Hello こんにちハ、ミナサン」
 親指を立て、白い歯を光らせ、暑苦しい笑顔を見せる。英語混じりな片言の日本語も、胡散臭いポーズもどこまで本気でどこまで冗談なのか分からない。
「何というか……」
「本当に人間か、こいつは?」
 思い切り引く慎一たちに対して、結奈たち漫研部員は慣れているようだった。あっさりと受け流している。日常的に接していればそんなものだろう。
「えっと、アルフも来てるし。あとはヒメね……」
 アルフレッドを無視して、辺りを眺める結奈たち。
 もしかしたら、次の展開が読めていたのかもしれない。いや、お約束として理解しているのだろう。三人の視線が一点に向けられた。
「こんにちは〜。みなさん」
 そこに、小柄な少女が立っていた。
 身長は百五十センチ程度で、体格も子供っぽい。中学生に見えなくもないが、一応大学三年生だった。腰下まで伸ばした姫カットの黒髪が目に付く一方、顔の特徴は薄い。糸のように細い目が印象に残る程度である。服装は白と黒のゴスロリを思わせるもので、胸元に赤いリボンが付いている。右手には高級そうな白い日傘。不自然な格好だが、全体的に印象が薄いため、それほど違和感を覚えるものではなかった。
「ヒメさんも来てたんだ」
 浩介の問いに、ぱたぱたと手を振りながら、
「いやー。明け方部長に叩き起こされてね。あたしとしては最後にゆっくり来る予定だったんだけどね。これも漫研のためだねー」
 黒髪を揺らしながら智也の方へと歩いていく。漫研書記の佐々木綾姫。名前はアヤメと読むらしい。部員からはヒメと呼ばれているようだった。
「さて……」
 智也が眼鏡を怪しく光らせる。
 いつの間にか、智也の左右にアルフレッドと綾姫が並んでいた。そして。
「漫画研究部三羽烏――集結!」
 ドン!
 実際に大太鼓のような音が響き、三人が決めポーズを取る。
 冷めた面持ちでその奇行を眺める結奈と浩介、一樹。目を閉じて、あさっての方向を向いている飛影。凉子は体育座りのまま、顔だけ上げて目をきらきらと輝かせている。何かが琴線に触れたようだった。
 一方、頭痛を覚えたように頭を押さえるリリル。
「偵察で本人たちは見てたけど、三人揃って目の前に並ばれると、不気味の一言だな。アタシも油断してた。まさかこれほどイカれてるとは思わなかった……」
 打ちのめされたように呻いていた。
 それは慎一も同じ感想である。何度か姿は目にしているし、顔を合わせたこともあった。だが、三人揃って三人のペースで行動しているのを見るのは初めてである。
「凄い人たちですね。色々な意味で」
 カルミアも呆気に取られている。
 リリルはふと慎一に目を移し、真顔で訊いてきた。三人を指差しながら、
「なあ、日暈……。ここでアタシが魔法であの三人黒焦げにしたら、お前はアタシを捕まえるか? 捕まえないって言うなら、Explosion使うけど。殺しはしないから」
「気持ちは分かるけど、やめておけ」
「そうか、残念だ……」
 慎一の返答に、リリルは足下の小石を蹴飛ばした。小石がタイルの上を転がっていき、芝生へと消える。止めなければ本当に爆発魔法で三人を吹っ飛ばしていただろう。冗談めかしてはいるが、口調は本気だった。
「リリルさん、物騒ですね。本気で魔法で吹き飛ばしちゃいそうですよ?」
「アタシはそういう育ちなんだ。真面目な妖精さんは真似するなよ」
 カルミアの言葉に、にっと口端を持ち上げる。
 リリルは他人に本気にされたくない本音を、冗談めかして言う癖があるらしい。
 正面に目を戻すと、アルフレッドが立っていた。普通に手を伸ばせば届く距離に。身長差は二十センチ以上、横幅と厚みは二倍以上ありそうである。
「ところデ、キミが日暈クンですかァ? ワタシ、アルフレット・ワシントンでェす。アルフって呼んでくれヨ。で、キミの武勇伝はかねがね聞いてますヨ。いやぁ、こうして正面で向かい合ってみるト、ごくフツーの青年ですねェ」
 無駄に大袈裟な身振りとともに訊いてきた。アメリカ人とは今まで何度か話したことがあるが、こんな変な人間は初めてである。演技か素か、どちらなのかと考えて――さほど時間も経たずに結論づけた。この性格は元からだろう。
「異様な人間ってそういないですよ」
 皮肉ではなく、本心から慎一はそう告げた。
 カルミアが肩から離れて、リリルの方へと飛んでいく。賢明な判断だろう。
「ハーハハハ、そりゃソーダ。というわけで、アメリカン・パァンチ――」
 繰り出される右ストレート。ボクシングに似ているが、流派は分からない。
 呆れるほど淡泊な気持ちのまま、慎一前に踏み出した。半歩左に移動しつつ拳を躱し、右手を持ち上げる。頭の真横をかすめる豪打。だが、視線は逸らさない。
 慎一の振り上げた掌底がアルフレッドの顎を捕らえた。脳が揺れる手応え。さらに踏み込みながら、右足で相手の左足を勢いよく払う。大外刈りの実践型。重心が崩れ、支点も失っていた。あとは右腕を振り下ろすだけ。
 背中からタイルへと落ちるアルフレッド。どん、と重い音が響いた気がした。
 ほんの一秒にも満たない時間。
「意味が分からない……」
 数歩下がりながら、慎一は人差し指でこめかみを押さえる。本来なら後頭部から地面へと叩き付ける技なのだが、今は背中から落ちるように調整していた。
「オォー、ホホォー。これが、日本の柔術ですカー。ジュウジュツなのですカ! ビデオは見たことあるけど、実際に喰らうのは初めてだゼ。HAHAHAHA! 何が起こったのか、分からなかったナ。ホントすげー、スゲー!」
 仰向けの状態から跳ね起きて、アルフレッドが笑っている。
 手加減したとはいえ、顎を打たれ背中から叩き付けられて、普通なら数分は動けないだろう。だが、ダメージはない。分厚い筋肉は飾りではないようだった。
「でも、脳震盪は起してるはずなんだが……。まさか頭空っぽか?」
 かなり本気でそんなことを思う。
「気するな、慎一。そいつはそういう性格なんだから……」
「初対面の人が驚くのも無理ないよ。副部長の考えることは、ぼくには分からないし。多分本人も深くは考えてないから」
 浩介と一樹がそれぞれ言ってくる。切実な言葉だった。
 慎一はジト目でアルフレッドを見やる。
「KiRa☆」
 顔の横で親指と人差し指と小指を立てた右手を構え、流し目を送ってきた。どこかで見たポーズだが、思い出せない。ただ、どう見ても気持ち悪い。
 自分がここにいるのが場違いに思える。だが逃げ出すわけにもいかないだろう。
「大丈夫よ。心配しないで」
 ぽんと肩を叩かれ、慎一は振り向く。
 綾姫が立っていた。こちらは二十センチほど慎一よりも背が低い。
「知ってるかもしれないけど、あたしは佐々木綾姫。ヒメって呼んでね? 困ったことがあったら、遠慮なくお姉さんに相談しなさい」
 日傘を持ち上げ、誘惑するような眼差しでウインクしてみせる。こちらもどこまで本気なのかは分からないが、多分全部本気なのだろう。色気は全く感じられないが。
「シンイチさん頑張って下さい。わたしは遠くから見守っています! だから負けないで下さい。シンイチさんならきっと大丈夫です!」
 リリルの傍らまで待避したカルミアが、両手を握って応援してくる。緑色の瞳に無理矢理熱意を灯していた。気持ちは分かるが、気力は浮かんでこない。
「気に入られたようだけど、頑張れよ。アタシは関係ないからな」
 無責任に声を掛けてくるリリル。関わり合いたくないと、全力で主張していた。
 浩介と一樹は慣れているのか、既に射程圏外へと離脱している。結奈や飛影、凉子も近づいてくる気配がない。
「歓迎するよ、日暈慎一」
 智也が笑う。何か含んでいるとか、気持ちの悪いとか、そういう不自然な部分のない常識人的な笑顔。それだけに、余計に胡散臭かった。
「ようこそ……オタクの世界へ……」
「通じない相手にネタ振るのは止めてね、部長」
 結奈が静かにそう告げる。

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