Index Top 第6話 帰郷、日暈宗家

第2章 雪月花三姉兄妹


 カルミアは目を開けた。
 古めかしい天井が見える。
「あれ、わたし?」
 道路を走る慎一の肩に掴まっていたはずだ。しかし、気がつくとどことも分からぬ場所。記憶が途切れている。何かあったはずだが、何があったのか思い出せない。
 カルミアは身体を起こした。
「おー。起きたか」
 聞き覚えのある声に、視線を移す。
 二十歳過ぎの体格のよい男。適当に伸ばした黒い髪と野生動物を思わせる顔立ち。黒い上着とズボンという服装。壁により掛かったまま本を読んでいた。傍らには鞘袋に納められた大振りの刀が立てかけてある。
 カルミアは傍らの杖を拾い上げた。赤いリボンで飾った銀の杖。
「カンゲツさん……?」
「そうだ。久しぶりだな。覚えててくれたか」
 読んでいた本を閉じて、寒月が笑う。
 八畳の和室。壁際に机が置いてあり、自分はその上に横になっていた。壁際には本のぎっしり詰まった本棚。所々に本が山積みになっている。寒月の部屋らしい。
「シンイチさんはどこですか?」
「あいつなら恭司と話してる」
 寒月は部屋の外を親指で示した。木の扉のせいで、廊下は見えない。
「二十分くらい前に顔見知りの俺にお前を預けていったよ。何話してるのかは知らん。あと十分くらいで終わるだろ」
「そうですか」
 カルミアは頷く。近くに置いてあった帽子を手に取り、頭に乗せた。
「真美と何かあったんだって?」
「マミ……さん」
 自分が気を失った理由を思い出して、ふっと意識が薄れかけた。
 が、慌てて首を振って意識を保つ。慎一の許嫁の日暈真美。いきなりノコギリのような刀で慎一に斬り掛かった、ちょっと危ない人。
 寒月はぱたぱたと手を振りながら、
「悪気はないんだよ、真美も……いや、悪気がないから厄介か。慎一も危ないけどあいつは自分が普通じゃないって自覚あるからな。真美は自分が変だって自覚ないから、時々一般人の前で変なことするんだ」
「大変ですね」
 その様子をぼんやりと想像し、カルミアは素直に同意した。慎一は真美が変なことをしても気にしてはいけないと言っている。その理由も想像できた。
「慎一も苦労してるようだしな。もっとも、あいつは人の面倒見るのが好きみたいだから、真美との相性はいいみたいだけど、不思議だよなぁ」
 苦笑混じりにそんなこと言う寒月。
 カルミアは羽を伸ばして飛び上がり、机の端に腰を下ろした。近くの窓からは、中庭が見える。きれいに手入れのされた植木。
 その景色に見入っていると、声が聞こえた。若い女の声。
「お兄様、もう宜しいでしょうか? カルミアさんは目が覚めたようですね」
 返事も聞かずに襖が開く。
 入ってきたのは二十代半ばの女性。亜麻色の髪を背中の中程まで伸ばし、赤いリボンを付けている。整った顔立ちに柔和な笑みを浮かべ、桜色の着物を纏い、打刀を一振り両手で握りしめていた。寒月と同じ憑喪神。
「初めまして、カルミアさん。わたくし寒月の妹の桜花と申します」
 その場に正座して一礼する。
 カルミアは慌てて立ち上がり、応えるように一礼した。
「あ、初めましてカルミアです」
「はい、カルミアさん。以後よろしくお願いします」
 再び一礼する桜花。目を凝らしてみると、薄い狐の姿が見て取れる。寒月は狼だった。桜花の本来の姿は狐なのだろう。
「アネキはどうした?」
 寒月が辺りを見やる。どこかからかうように、
「またケンカでもしたのか?」
「ここにいる」
 部屋の入り口に少女が立っていた。
 見た目は十二歳ほど。幼さとは対照的な老獪な微笑。僅かに紫色を帯びた長い銀髪を紫色のリボンで飾り、髪と同じ色のワンピースドレスを身に纏っている。胸元にも紫色の大きなリボン。背中に長短二振りの刀を背負っていた。
 あと黒猫が一匹。
「妾はこの二人の姉の吹雪じゃ。よろしくの」
 右手を挙げて、挨拶する。その正体は大きな猫だろう。
 足下で尻尾を動かしている黒猫を示し、
「こっちは粉雪じゃ」
「にゃあ」
 と粉雪が鳴いた。吹雪の半身のようであるが、こちらは普通の猫のようである。他の三人に比べるとそれほど強い力を持っているようにも見えない。
 カルミアは三人を順番に見つめてから、
「ええと、姉の吹雪さんに、妹の桜花さん……」
 ――雪月花三姉兄妹を見ても、何で妹が一番年上に見えるかを訊いてはいけない。
 慎一の言っていた言葉を思い出し、カルミアは改めて一礼した。
「よろしくお願いします」
「今、妹のわたくしがなぜ一番年上に見えるのか、不思議に思いましたね?」
 着物の袖口を口元に当てて、桜花がさらりと訊いてきた。表情も口調も変えずに。それが余計に不気味さと怖さを醸し出している。
「え、ええっと……」
 カルミアは返答に困り、目を泳がせた。すがるように杖を握り締める。
「いえいえ、決して責めているわけではありません。姉が一番年下で妹が一番年上に見える。誰でも不思議に思うのは、わたくしも知っていますから」
 桜花はすっと目線を持ち上げた。天井ではなく、空を見上げるように。ここにはない何かを思い出すように。ため息とともに、言葉を吐き出す。
「答えは簡単です。かつての日暈当主である経徳様が、そのようにお造りになったのですよ。曰く面白そうだったから……と。やはりあの人は思考がズレていますわ」
「お主、未だに恨んでおるのか」
 腰に手を当てて、吹雪が呆れたように眺めた。
 足下では粉雪が前足で顔を撫でている。
「妾のようなお子様よりもマシじゃろぅ? まったく、年増はこれだから困る」
 芝居がかった仕草で両腕を広げて見せた。ふっと吐息を付け加える。
 ピシッと音を立てて、桜花の額に青筋が浮かんだ。
「お姉様は、相変わらず減らず口が過ぎますねぇ。ふふふ」
「お主のような小娘とは年期が違うんでのぉ」
 お互いに笑顔で睨合い。
 キンッ!
 桜花と吹雪の手刀を、寒月の両手が受け止めた。
「……挨拶代わりにケンカするの止めろ。カルミア引いてるだろうが」
 桜花、吹雪の手が、前腕の半ばから小指まで刃物に変化している。刃化の術。飛影が手を刃物に変化させたのと同じだった。
「うむ。姉妹ケンカは重要なスキンシップじゃというのに」
 刃化させた手を戻し、吹雪は素直に謝る。
 頭を左右に振って乱れた髪を背中に流してから、睨むように桜花を見やった。
「それはさておき、先日妾が大事に保管しておいた特大牛乳プリンがなくなっていての。聞き込みの結果、どうやら桜花が食べたものらしいということが分かった」
「お姉様。わたくし、プリンなんて食べていませんわよ」
 否定する桜花に、吹雪がさらに疑わしげに眉を動かす。
「それ喰ったの俺だ。すまん、アネキ」
 あっさりと白状する寒月。
 音も気配もなく、気温が数度下がった。部屋を埋める殺気と怒気。吹雪と桜花の斬りつけるような眼差しが寒月に向けられる。
「……じゃあな!」
 跳ねるように部屋の外へと飛び出す寒月。
 声もなく追いかける吹雪と桜花。
 とことこと粉雪が部屋を出て行く。
 一人部屋に取り残されて、カルミアは独りごちた。
「わたし、どうしましょう?」

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