Index Top 第6話 帰郷、日暈宗家

第1章 出迎え


「注意はいくつか」
 時速二十キロ弱で県道沿いを疾りながら、慎一は口を開いた。アスファルトの焼けた匂いが鼻をくすぐる。周囲にはまばらに広がった畑と住宅地が見えた。
 肩に掴まったカルミアが大人しく話を聞いている。右手首に光る、小さな銀の腕輪。左手には銀色の杖を持っていた。
「雪月花三姉兄妹を見ても、何で妹が一番年上に見えるかを訊いてはいけない。桜花さんは大昔からそのこと気にしてるから、くれぐれも言わないように」
「はい」
 カルミアは頷いた。
 最寄りから数個手前の駅で降り、十五キロを自分の足で移動。真夏の炎天下をマラソンするのは正気の沙汰ではないが、もう慣れている。妖精は暑さや寒さに強いので、カルミアはこの熱気も苦痛ではないらしい。羨ましい限りである。
「あとは、僕や兄さんや千歳が目の前で殴り合い始めても、怯えない。血を流したり骨が折れたりしても、泣いたり失神したりしない。どのみちお互い最後の一線はわきまえてるから、殴り殺すことはない」
「………はい」
 かなり逡巡を挟んでから、カルミアは頷いた。
 無理を言っていることは重々承知の上である。日本中探しても文字通り骨が折れるまで殴り合う兄妹喧嘩をするバカはそうそういない。
「最後に真美が変なことしても気にしない」
「マミ、さん?」
 カルミアが訊き返してくる。
「言ってなかったか? 許嫁の日暈真美。一見真面目なお嬢様なんだけど、真性の天然ボケだからなぁ。子供の頃から何度言っても直らない。血を見るのが好きらしいが、それは日暈の間じゃ特に珍しいことでもないけど……」
「……あぅ」
 どこか泣きそうな顔を見せるカルミア。
 言葉だけ聞いていると、日暈家は狂人一族である。実際は口で言うほど危なくはないのだが、下手に刺激すると暴れ出すので危険であることは変わりない。
「慎一さん」
 後ろから声が聞こえた。聞き覚えのある声。
 慎一は足を止めて振り向いた。自動車が一台、十メートルほど進んだ所に止まる。白い軽自動車。ガラスには初心者マークが張られていた。
 車の往来は少なく、路肩もそこそこ広いので邪魔にはならないだろう。
「お知り合いですか?」
「噂をすれば影」
 カルミアの問いに、慎一は答える。
 運転席のドアを開け、少女が降りてきた。車の後ろを回って、目の前まで歩いてくる。
「こんにちは、慎一さん。やはり走ってましたね」
 身長百六十センチほどの少女。十八歳だったと思うが、それより子供っぽく見える。屈託のない明るい笑顔と、腰まで伸ばした艶やかな黒髪。すっきりした体躯を白の半袖ワンピースで包んでいた。見た目だけなら深窓の令嬢である。
 日暈真美。分家の長女だった。
「真美、免許取ったのか?」
「はい。春に免許取りました。せっかくなので、お家まで一緒に行きましょう」
 慎一の言葉にのんびりと車を指差す。カチカチとテールランプが点滅していた。
 免許を取るために教習所に通っていると言っていた。乗せてくれると言うならば、断る理由もないので甘えておこう。
 真美は慎一の肩に掴まっているカルミアに眼を移した。
「そちらの妖精さんは、カルミアさんですね?」
「はい……。ええっと、初めまして、カルミアです」
 肩から離れて、カルミアは短く挨拶をする。
 真美も笑顔で挨拶を返す。
「初めまして、カルミアさん。私は日暈真美。話は聞いていると思いますが、慎一さんの許嫁です。以後よろしくお願いしますね」
「はい。お願いします」
 頷くカルミア。
 前々から思っていたが二人は似ている。無邪気で真面目な性格や丁寧な喋り方、おっとりした雰囲気。話せば気が合うだろう。
 もっとも、決定的に違うことがあるのだが。
 まるでその不安を読んだかのように、真美が訊いてきた。
「ところで慎一さん。都会に行って腕はなまっていません、か?」
 シュッ――!
 一瞬の出来事。
 鋭い風切り音、白刃の閃、鈍い音。全て一瞬。
 慎一は伸ばした右拳を引き戻す。
「よかった。鈍っていないです」
 打たれた喉をさすりながら、真美は笑った。
 右手に無骨な刀が握られている。刃渡りは一尺八寸。先端に向かって細くなっている鉈のような形状で、鍔元から切先まで粗い波歯が刻まれていた。どこかパン切り包丁を思わせる、破魔刀枯羽。真美の得物だった。その刃からは激痛を伴った創傷が刻まれる。
「そういう漫画みたいなことは止めろと前から言ってるんだけど」
「シンイチさん……?」
 カルミアが枯羽を凝視している。青い顔。
 波刃には血がこびりついていた。真美はポケットから取り出した紙で血を拭き取る。慣れた手つきで血を拭い、鞘に収めていた。
「腕、大丈夫ですか? 何だか、沢山血が出てますけど」
 カルミアの強張った声。
 上腕には枯羽によって付けられた創傷がある。指先から流れ落ちる血が、アスファルトに小さな染みを作っていた。
 真美の居合を左腕で弾き、カウンターで右の平拳を撃ち込んだのである。弾いたとはいっても防具となるものは使っていないので、創傷は残っていた。
「これくらいなら大丈夫だ。慣れてる」
 傷口は肉が裂け、そこはかとなくエグい状態になっている。上手く捌いたので皮膚しか切られていないが、出血が多い。痛みも鋭利な刃物とは比較にならない。普通の人間なら痛みで悲鳴上げているだろう。
「………」
 カルミアの顔から完全に血の気が引く。
 腕を持ち上げたせいで、丸見えになる創傷。ノコギリで抉られたような傷口。
 はっと気づいて腕を隠すが、もう遅い。
「はぅ……」
 現実逃避としてカルミアは意識を止めた。失神しふらふらと落ちていく。
 慎一は右手を差し出し、カルミア受け止めた。そのまま肩に乗せる。
「まったく」
 空いた右手を動かして印を結び、水を作り出した。どこにでもある普通の水。腕の血を洗い流してから、指先から霊力の糸を伸ばし、傷口を手際よく縫合する。
 上から治癒の術を掛けて応急処置終わり。
 動かないカルミアを見つめ、真美は小首を傾げた。
「その子、大丈夫ですか? 血を見ただけで気絶するなんて、気の弱い妖精さんですね」
「だから……」
 慎一はカルミアを右手に持ち、一歩前に出る。いつものことと言えばいつものこと。左手を伸ばして真美の頬を摘み、そのまま力任せに引っ張った。
「素で物騒なことするなって、いつも言ってるだろ……!」
「痛い、痛いです」
 腕を掴みながら、真美がぱたぱたと慌てる。
「いい加減に自重しろ、もう大学生なんだから」
「はい。すみませんン」
 こくこくと頷く真美を見てから、慎一は手を放した。
「うー」
 痛そうに頬を押さえる真美。その視線は、慎一の右手に握られたカルミアに注がれていた。小動物を眺めるようなきらきらした眼差し。
「カルミアさん、あとで私にも触らせて下さいね」
「本人がいいと言ったらな」
 慎一は答えた。

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