Index Top 第4話 オカ研合宿

第3章 誰もいない……


 虫の鳴き声がうるさい。
 慎一は左手にカルミアを乗せて、境内を歩いていた。社務所から階段を三十段昇った所にある狭い境内。社の裏手から、さらに階段を登ると小さな社がある。
「一通り見て回ったけど。収穫はなし」
 真っ暗な夜の闇を懐中電灯が照らしている。
「シンイチさん……嫌がらせですか? わたしに何か恨みでもあるんですか?」
 手の上に座り込み、杖を握り締め、カルミアが睨んでくる。しかし、その緑色の瞳には恐怖の色が映り、身体は細かく震えていた。怯えているのが一目で分かる。
「いや……。カルミアが『もうヤダ』って言うから」
 慎一は答えた。
 怪談大会は大盛り上がりだった。有名どころから誰も知らないような怪談まで、各自が厳選したものを延々と続ける。怪談の傍ら、結奈が勝手に演出をつけていた。蟲を使って音を立てたり、こっそりと物を動かしたり、忍ばせた飛影を鳴かせてみたり。本当に何か出てきそうな雰囲気である。
「だからって、外に出ることないじゃないですかぁ。一緒にいてくれることには感謝しますけど、外は怖いですよぉ……! ぅぅぅ……」
 カルミアは泣きそうな顔で、杖を振り上げた。
 怪談の最中、カルミアは耳を塞いで耐えていた。しかし、佳境に入った辺りで耐えきれずに泣き出してしまったのである。放っておくわけにもいかず、慎一はカルミアを連れて、社務所を抜け出した。
「社務所の中だと怪談聞こえるし、じっとしてるのも性に合わないし、さすがに知らんふりってわけにもいかないし。暇潰しにはなるから」
「何考えてるんですか!」
 慎一は懐中電灯で辺りを照らしていた。辺りは真っ暗で明かりがなければなにも見えないだろう。古い石畳と大きな社。小動物の気配があちこちにある。
 冗談のつもりで、慎一は呟いてみた。
「帰りたいなら、一人で帰ってくれ」
「イヤです。絶対にイヤです!」
 指にしがみつき、言い返してくるカルミア。顔を強ばらせ、目元に涙を浮かべている。いつもは落ち着いているのだが、なんというか必死だ。
「人格変わってないか?」
 言ってから、慎一は本殿を見つめた。そちらへと歩いていく。石畳の上を歩きながら、本殿の前まで行き、賽銭箱の手前で足を止める。
「止めましょうよぉ。何か出たらどうするんですかぁ……」
 カルミアは怖々と本殿を眺めた。手の平に座り込んだまま、人差し指と中指を抱き締めている。身体の震えが指に伝わってきていた。
「何か出た方が正直楽なんだけど」
「何怖いこと言ってるんですか!」
 慎一の本音に、慌てて反駁する。
 古びた本殿は、それだけで不気味だ。空の八割ほどが雲に隠れ、月は見えない。時刻は夜の十時。うっすらと漂い混じり合う、熱気と涼気。ここは人間の世界ではない。黄昏時ほど危なくはないが、不用意に近づくのは賢いとは言えない。
 慎一はじっと本殿を見つめた。
「誰もいないんだよな……」
「誰もいませんよぉ。何も出ないですよぉ」
 自分に言い聞かせるように反論するカルミア。
「早く戻りましょう」
「……神社には神がいるはずなんだけど、気配すら感じないんだよな。何でだ? おかしいだろ。いないはずがない。捨てられた神社ってわけでもないし……」
 慎一は賽銭箱の裏に回り、社の中を眺めた。
 当たり前であるが、神社は神がいる所である。普通の人間に神を察知することは出来ない。だが、退魔師ならばその姿を見ることが出来る。もっとも、神は好んで人間の前に現れることはないし、社にいるとも限らない。神社から続く神界にいるかもしれない。
 ただ、気配くらいは感じていいはずだ。
「総出で出掛けてるのか? 神無月じゃないよな?」
 神無月には、全国の神は出雲に集まる。実際に集まる神はそれほど多くない。何にしても今月は七月だ。いないはずがない。ここにいるのは四級位の狼神、仙治。その他六級位の神が何人かいるらしい。
 だが、気配もない。もぬけの空である。
「……どうしたものか」
 結奈は分からないと言っていた。それほど危険なものではないのは分かったが、正体までは見極められなかったそうである。何かあったらその時何とかすると言って、怪談に花を咲かせていた。危機感がない。
 カルミアが社務所の方を指差す。
「シンイチさん、もう帰りましょうよぉ」
 カサッ。
 草の音。
 慎一は音のした方に目を向けた。
「動物か?」
 左手を自由にするため、カルミアを肩に乗せようとして――
 動きを止める。
 カルミアが離れない。目の高さまで持ち上げてみる。指にしがみついたまま、きつく目を閉じて震えていた。指を横にしてみても、指を下に向けていても、指を左右に振ってみても動かない。
「左手が使えないんだけど。離れてくれない?」
 懐中電灯を持ったまま、右手で背中をつつき、慎一は頼んだ。指にしがみつかれたままでは、満足に左手を扱えない。何かあった時に右手だけでは心もとない。
「イヤです。離れません……!」
 カルミアは答える。
 小さな身体の割に異様な力でしがみついていた。身体を掴んで引っ張ってみても離れない。力を込めれば離せるだろうが、無理矢理引き剥がすのは気が引ける。
 慎一は足下の段に腰を下ろした。
「少し落ち着けって」
 カルミアの背中を指で撫でながら、呟く。背中を撫でられると落ち着くらしい。以前そんなことを言っていたような気がする。
 少し力が抜けたようだった。
「それにしても――」
 慎一はぼんやりと神社を眺めた。
 狭い境内。古い本殿。周りは森。本殿の裏手に、神界へと続く入り口があった。昼間見た時は結界が張ってあり、向こうへは行けなかった。今も同じだろう。もしかしたら、神界の方で何かあるのかもしれない。
 カルミアから指を放し、曇った空を見上げる。
「……何がなんだか分からない」
「そうです。いいこと思いつきました」
 カルミアが声を上げた。
 妙に落ち着いた口調。さきほどまで怯えていたとは思えない態度である。指から手を放し、手の平に立って慎一を見上げた。
「この神社、吹っ飛ばしちゃいましょう」
 杖を動かしながら、真顔で提案してくる。
 突拍子もない言葉に、慎一は訝しげに眉を寄せた。冗談を言っているようには見えない。目つきも表情も真面目そのもの。本気で言っているらしい。
 恐怖で頭のネジが何本か外れたようである。
「シンイチさんなら出来るはずです」
 きっぱりと言い切った。
「出来なくはないけど」
 二重限開式を使った状態で、十二分に溜めを用いた後、剣気を許容量限界まで引き出し、天地壊砲を放つ。そうすれば、本殿と社務所を丸ごと吹き飛ばせるだろう。ただ、過剰負担で全身の組織がぼろぼろに破損し、半月は入院することとなる。そもそも、実行する意味も理由も必要性もない。
 カルミアは背筋を伸ばした。振り上げた杖を、本殿に向ける。
「善は急げです。諸悪は元から断たねばなりません!」
「分かったよ……」
 慎一は呻いた。

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