Index Top 第3話 蟲使いの結奈

第4章 結奈の目的


 深呼吸をしてから、慎一は結奈を見つめた。
「で、どういうことだ?」
「……そんなに殺気立たなくてもいいでしょ。その子怯えてるわよ」
 カルミアを指差し、言ってくる。
「いや、僕は冷静だぞ。至って冷静。この上なく冷静だ」
 慎一は静かに答えた。
「驚くのは当然だけどね」
 結奈が苦笑してみせる。
 憑喪神の秘術。日暈家に伝わる秘術のひとつで、憑喪神を人の姿として具現化させるものである。憑喪神を具現化させる術は数種類ある。だが、日暈家の秘術で具現化した憑喪神は、守護十家の一級退魔師に匹敵する強さを持つことが出来るのだ。おいそれと他人に渡せるものではない。
「沼護家って、見習い退魔師から本職の退魔師になるための試験があるのよ。あなたなら、聞いたこともあるでしょ?」
「あるな。試験内容までは知らないけど」
「試験の内容は簡単。手柄をひとつ立てること」
 人差し指を立てて、ウインクしてみせる。
 慎一はジト目でそれを見つめた。
「つまり?」
「このご時勢、悪事を働く妖怪や神っていうのも滅多にいないし、論文書くにしてもあたしはそんなに頭よくないし、遺跡発掘なんかやりたくないし。そこであたしは、試験として日暈一族の憑喪神の秘術を手に入れることにしたのよ……って!」
「うわあああ! シンイチさん! 落ち着いてください!」
 固まる結奈に、慌てるカルミア。
「はっはっはっ。僕は落ち着いてるぞー」
 慎一は爽やかな笑顔で長椅子を振り上げていた。十キロほどの木の塊。それを。右手だけで頭の上に持ち上げている。人間業ではない。握った部分がみしみしと不気味な音を立てていた。指が木にめり込んでいる。
「……うん。落ち着いてね。タダでよこせなんて言わないから。ね? ね?」
 宥めるように両手を動かし、結奈がぎこちなく笑った。身体を鍛えているとはいえ、さすがに長椅子を叩きつけられたら危ない。
 慎一は椅子を下ろした。握った部分に、くっきりと手形がついている。
 ぞっとしたように、カルミアが手形を見つめていた。
「何をくれるってんだ?」
「血の秘伝書。写本だけど」
 椅子に腰を下ろし、慎一は表情を引き締める。
 血の秘伝書。沼護家に伝わる医療霊術が記されたものだ。分家のものは、さほど高度なものではない。それでも、沼護家以外の者からすれば十分な価値がある。
「本当に、それを僕にくれるのか?」
「宗家にも話して、許可はもらってるわ」
 結奈の言葉を聞いて、慎一はこめかみに人差し指を当てた。
「……それって、なんらかの形でうちにも伝わってるんじゃないか? というか、ごく普通の一族間の技術取引じゃない? 珍しいことには珍しいけど」
「そうとも言うわね」
 しれっと言ってのける。
 お互いの一族の持つ秘術の交換。技術の停滞防止と、相手の実力の調査とを目的に、守護十家の間では二十年に一度くらいの割合で行われている。
「でも、これを言い始めたのはあたしよ。宗家とうちのジジィに掛け合って、秘伝書の持ち出しを許可してもらったの。日暈家のほうには話は通してあるけど、正式な許可はまだだからあんたに頼んでほしいのよ」
「……お前なぁ。何がしたいんだ?」
「相棒がほしいのよ」
 結奈は言った。
「日暈の宗家の連中って、破魔刀の憑喪神を相棒にしてるんでしょ?」
「してるな」
 破魔刀の憑喪神。吹雪、寒月、桜花の姉兄妹。人間と寸分たがわぬ姿を持ち、人間と同じように生活している。破魔刀の性質を持っているため、身体は鋼鉄並に硬く、身体を刃物に変化させるなど、人間には不可能な芸当をこなす。高度な法術を使いこなし、強さも折り紙つきだ。慎一では勝てない。
「で?」
「大学にあんたが通ってたのは知ってたから、なんとなく目をつけてたんだけど、一週間くらい前から、何か妖精と一緒にいるし……はっきり言って羨ましいのよ! あんた、ごく自然にそんな可愛い妖精と契約して! この日本で、妖精見つけて契約することがどれほど大変なのか分かってる!」
 慎一とカルミアを指差し、吼える。
 慎一とカルミアは顔を見合わせた。ヨーロッパではそれなりに見ることが出来るが、日本で妖精を見ることはまずない。カルミアが日本にいるのは、珍しいことである。妖精はヨーロッパ固有の精霊ではないらしいが。
「そこで、あんたの家の憑喪神の秘伝を手に入れ、萌えな相棒を手に入れるのよ! これぞあたしのベスト・セレクション・オブ・ザ・ワールド!」
「意味分からん」
「ようするに、憑喪神の秘術を手に入れて、あたしの相棒を作るのよ」
 テーブルを拳で叩き、瞳に炎を灯している。
 なんとなく、読めてきた。
「でも、秘術教えたからってすぐに使えるわけじゃないぞ。術を使いこなして憑喪神の具現化が出来るのは……そうだな、最低でも三十年くらいかかると思うが」
「だ、か、ら、サンプルを貰うのよ。話はつけてあるわ」
 人差し指を振りながら、結奈は笑った。
「あたしの持ち物から、憑喪神を作ってもらうのよ。どの道、秘術の方は宗家の人間に持っていかれちゃうしね。手元に残るものを置いておかないと。そっちにもうちの宗家にも話はつけてあるわ」
「…………」
 その行動力は、素直に凄いと思う。
 結奈はぱっと表情を輝かせ、
「ちなみに、あたし的には――」
 ドガァッ!
 長椅子が、結奈の顔面を直撃していた。
 前触れもなく木の塊を叩き付けられ、なすすべなく沈む。長椅子の下敷きになり、気絶していた。出血はない。頑丈である。
「な、何やってるんですか?」
「……分からない。でも、危険を感じた。身体が勝手に動いてた」
 うろたえるカルミアに、ぼそぼそと答える慎一。
 ごく、たまに――であるが、ことが起こる前に危険を察知し、身体が動いていることがある。予知能力のようなものだ。勘と経験がこの能力を生み出しているらしい。
「どうしよう?」
 慎一は気絶した結奈を見つめる。
「どうしよう、って言われましても……。困りますよ。わたしに訊かれても」
 戸惑うカルミア。困るしかない。
 小さく息を吐いて、慎一は結奈を抱え上げた。結構軽い。五十キロほどだろう。近くの椅子の上に寝かせる。季節は夏の始まり。凍える可能性は皆無、風邪をひくこともない。十分もすれば、目を覚ますだろう。
 慎一は投つけた椅子を元に戻し、爽やかに笑って見せた。
「帰るか」
「ええっ!」

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